第10話
文化祭当日。朝から学校は熱気に包まれていた。普段は静かな校舎が、今日ばかりは笑い声や慌ただしい足音で溢れている。
廊下には色とりどりの装飾が施され、壁には各クラスの出し物を宣伝するポスターが所狭しと貼られている。『お化け屋敷』を企画しているクラスの廊下には不気味な飾りつけがされていた。もう一つのクラスは『メイド喫茶』らしく、かわいらしい衣装を着た女子たちが準備に忙しそうだ。また別のところでは『射的』を出すらしく、手作りの的が並べられていた。
俺たちのクラス3-Aのポスターは一際目を引いていた。『季節を感じる和カフェ』というテーマで、四季の風景をモチーフにした繊細な水彩画が描かれている。文化祭でカフェと言ったらメイド、という中で正統派カフェをやる。家庭科部と演劇部の衣装力、そして、雪乃を初めとした顔面強者が揃う我がクラスだからこそ成り立つ出し物であった。
いやまあ、冒頭五指に入ると言ったその雪乃の更に上に君臨するガチモンの学園のアイドル二名がやってるのがそのメイドカフェなんだが、そんな化け物クラスは俺の人生には無関係なのだった。なお、売上競争はこれと対を成すイケメンカフェとの二強争いになることは言うまでもないだろう。
教室に入ると、すでに数人のクラスメイトが集まっていた。みんな緊張した面持ちで、最後の仕上げに取り掛かっている。教室の隅には、畳を模した敷物が敷かれ、低めのテーブルが配置されていた。窓際には季節の草花が活けられ、和の雰囲気が漂う。
「おはよう、佐藤」
声をかけてきたのは石川だった。彼は手に持っていた箸を器用に操り、最後の仕上げをしているようだった。
「よう」
俺は軽く手を挙げて応える。石川は俺の顔をじっと見つめ、にやりと笑った。
「どうした?」
「お前のおかげで、みんな張り切ってるよ。エプロンのデザイン、すごく良かったもんな。みんな楽しみにしてるぜ。特に男子は」
エプロンのデザインは、モチーフは俺が決めたものの、細かいところを詰めたのは雪乃と家庭科部だ。季節の花々を繊細な刺繍で描き、淡い桜色の生地と合わせることで、和の雰囲気を醸し出されている。
期間もないのでこうした衣装を身につけるのは女子に割り切った。男子からしたら、夏休みに拝めなかった女の子の浴衣姿を眺められるようなので、非常に眼福である。特に雪乃という存在があるからな。
俺の貢献などさしたる割合ではないのだが、なぜか雪乃が俺を褒めるという流れを取ってから、そういう声を掛けられるようになった。まあ、悪い気分ではない。
そういえば、忘れていたが雪乃はなぜ俺を服飾係にした? 家に来たときに聞いておけばよかったな。今夜も来るかな。
いや冷静に考えると平然と女の子が部屋に通いにくる現状ってヤバいな。クラスの奴らに知られたら、色々とマズいんじゃなかろうか。俺が変な噂を流しても誰も信用しないと思ってるのか? まあその通りではあるか。
と、そんなことを考えていると、教室のドアが開き、雪乃が入ってきた。
「おはよう」
雪乃の声は、今日も鈴の音が響くように美しかった。彼女の目が教室内を巡り、準備の様子を確認している。
雪乃は俺がデザインしたエプロンを身につけていた。淡い桜色の生地に、季節の花々が繊細な刺繍で描かれている。その姿は、まるで日本画から抜け出してきたかのような優美さだった。案の時点でここまでイメージをつけられていたわけではないので、これもやはり仕上げをした人間の成果ではあるが、自分が考えた衣装を女の子が身につけてるってヤバいな。どうしたんだ俺の人生。
「雪乃さん、そのエプロン似合ってるね」
「和カフェにぴったりだよ」
クラスメイトたちから声がかかる。雪乃は少し照れくさそうに微笑んだ。
「ありがとう。素敵なデザインだから」
そう言って、雪乃は俺の方を向いた。やはり何か狙ってやがる。今夜問い正そう。
一般受付が開始されてから、雪乃は皆に指示を出し始める。その姿は、マンションで見るようなコミュ障振りなど影もなく、しっかりとした一面を見せていた。
準備も終わり、いよいよ文化祭が始まった。校門が開くと、次々と来場者が訪れ、教室は賑わいに包まれる。俺たちの『季節を感じる和カフェ』は予想以上に好評だった。なんだかんだ一般客向けの需要は高い。市販のものを並べて加工したぐらいだが、和菓子系をメインに扱っているので幅広い年齢層に受け入れられたのは、結果的に良いチョイスだったかもしれない。
昼休憩。俺はホールから見えない控えスペースで休憩を取っていた。朝からの緊張と忙しさで、疲れが出てきていた。
「あら、佐藤くん」
後ろから声がする。振り返ると、雪乃が立っていた。
「雪乃か。休憩に入るのか?」
「交代の時間はもう少し先だけどね。朝から忙しかったから小休憩の時間を貰ったんだ」
学校での会話は、流暢だ。俺も他人行儀になるから、家にいるより幾分マシに話せる。学校の奴らに痴態を晒すまいとこの身に鞭を打っていることもある。
「佐藤くんもあんまり休んでないよね?」
「俺は、まあ」
忙しくしてたほうが気が紛れるしな。
「んー……」
雪乃が数歩詰め寄って俺の眼前に来る。
そして、なぜか俺の顔を覗き込んでくる。
ち、近い……。
「こんな日ぐらい、前髪上げたら?」
「なんでだよ。これがないと人と話せないんだよ」
「ふーん。そんなものですか」
俺を見守るような優しい目つきだった雪乃の顔が、近づくにつれて見つめるような視線に変わり、そして、至近距離に来たときには、なぜかギッと俺ことを睨むのだった。
「な、なに……?」
「どこか一つぐらい行ってみたら? 他のクラスの出し物。一緒に行こうよ」
「マジで言ってんのか。みんなに誤解されるぞ」
「私と佐藤くんが?」
雪乃は『この圧倒的な格差をしてそんなことが起きるとでも?』という強気である。うるせえ。登校するときはあんなに慎重だっただろ。
「俺だって一応は友達と買い食いぐらいはしたぞ」
「佐藤くんは私の誘いを断る理由はないと思うけど。この三年間の学校生活で女の子との思い出が一つもなくてもいいの?」
別にそんなやつ世の中にいっぱいいるだろ。なんで俺と二人きりのときだけそんなに自尊心たっぷりなんだよ。他のクラスメイトが見てたら泣くぞ。
「でもやっぱり、悪い噂が立つ気がして申し訳ないよ」
そうでなくとも、雪乃と文化祭を回ったとなれば、俺と同じ側の人間からどれだけ避難されるかわからない。下手したら友達を失うかもしれないんだぞ。
「同じクラスの実行委員的な二人が、親睦を深めるために出ていくぐらいは自然じゃない? そもそも、佐藤くんを服飾係にしたのは、クラスに溶け込んでもらうためだっていう名目は立ってるしね」
「やはりあれはお前か」
俺の場合は友達だったやつらが謎にみんな文系クラスに行ってしまったから、学校で話せるやつが急にいなくなったという事情もある。そして、すでに出来上がっているグループに割入っていけるほどの度胸もない。
しかしなるほど。俺を文化祭の出し物に連れ回すのも、沙英雪乃というキャラクターからしたら優しい一面を見せたという程度にしかならないということか。そして、その真の目的は別にありそうだな。家に帰ったら問いただそう。
「責任は取れよ」
「佐藤くんには女の子の日でもあるの?」
「割と童貞のオタクのこと馬鹿にしてるよな?」
「そんなまさか。さっ、行こ」
雪乃に導かれるままに、俺は二人で校内を歩いた。普段は冗談とかも言うやつなんだな。プライベートでも自然と会話ができるようになれば、こんなふうにお喋りをする日が来るのだろうか。
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