夏が来て、梅雨が去り、そして君はいなくなった

夜月紅輝

夏が来て、梅雨が去り、そして君はいなくなった

 7月頭。

 ここ最近雨が降り続く中、大学二年生の【夏樹歩】は笠を指して駅に向かっていた。

 いつもは大学近くの寮に住んでいる彼だが、この季節は毎年大学を休んでまで実家に帰省する。


 それは彼にとってこの時期はとても思い出深い季節だからだ。

 今でも鮮明に思い出せる。それほどまでに印象的な出来事。

 玄関先でしとしとと雨を降らせるそらを見ながら、傘をさし駅に向かう。


 雨のせいか人通りが少ない気がする。

 通ってきた商店街も割と閑散とした空気を纏っていた。

 昔はもっと賑わっていたような気がするのに。


 駅が遠くに見えてきた。

 それをぼんやり見ながら音を鳴らす信号機の前で止まる。

 ふと周囲に目を移せば、道路の向かい側の陶器から花が咲いた電柱のそばで一人の少女が立っていた。


「っ!」


 黒髪ロングに黒い制服、赤いリボンが特徴的で傘を差しながら突っ立っている。

 年齢は高校生ぐらい。端から見ても可愛いより美人が目立つ顔立ち。

 進行方向の信号が青になる。しかし、歩は立ち止まり、見つめていた。


 信号が赤になる。歩は歩き出し、道路を横断した。

 まるで目が奪われたかのように視野が狭くなり、鼓動が高まる。

 しかし、同時に声をかけるのが躊躇われた。


 歩にとっては少女もとい女性に話しかけるのは初めてだ。

 ましてやその相手はあの人。緊張に手が震える。

 しかし、意を決して歩は話しかけた。


「あの!」


「?」


 少女が振り返る。歩はドキッとした。

 思い切りで行動したが言葉が整理できてるわけじゃない。

 あくまで自然体に、そして堂々と。


「こんな所で何してるんですか?」


「......少し思い出に浸っていました。それにしても、影が無い私にナンパですか?

 誘いは嬉しいですけど、あいにく私はこの場から動けませんので」


「そうなの? 俺は君......」


露李つゆりです。【花園露李】」


「俺は花園さんと一緒に話したいと思ってます。見せたいものがあるんです」


「ですが、私は.......」


「ついては来れるはずですよね?」


 歩はそっと手を伸ばす。

 露李はその手を見つめ、おどおどしながらそっと手を伸ばし――振れた。


「え?」


「よし、大丈夫そうですね。それじゃ歩きませんか?」


 歩と露李は駅とは反対側に歩き出した。向かう先は寂しい商店街。

 歩は横目で露李の様子を見ながら話しかけた。


「その......今更だけど突然誘ってごめん」


「ふふっ、大丈夫ですよ。どうせ時間ばっかりが過ぎるだけですから」


「......花園さんはいつからあの場所に?」


「いつからでしょう? 気が付いたらあの場所にって感じでして。

 ただまぁ、ずっと気になっていたことがあったので丁度良かったです。

 それにしても.......なんというか、随分と雰囲気が変わりましたね」


 露李は商店街を見渡しながら驚きの声をあげる。

 それに同調するように歩も言葉を発した。


「ですよね。俺も中学生の頃は友達と良く買い食いしてたんだけど、高校生になると移動距離も増えてたまにしかいかなくなって......そして今では大学で県外にいるからめっきり。

 この時期にこうして通ってみても特に物欲も湧かないから買わないしで」


「そうなんですか。私は同級生とよく買い食いをしてましたよ。ふふっ、懐かしいです。

 にしても、時間というのはあっという間に思い出を風化させていくものなんですね」


 その言葉に歩はドキッとした。そして、歯を噛みしめる。

 数秒後、言葉を絞り出した。


「風化しないものもありますよ。させてはいけないものが」


「.......そうですね。私も忘れたくないものばかりです」


 空気が妙に重たくなる。会話が途切れてしまった。

 その空気に耐えかねた歩は咄嗟に話題を出す。


「そ、そういえば、その制服ってこの辺じゃ見ない制服だね」


「引っ越してきたんです。で、制服を新調するのも面倒だったので、そのままの制服を着てました。学校ではよく目立ってましたね」


「そりゃ、花園さんのような可愛い人が同級生にいたら俺だって話題に出しますよ」


「ふふっ、お上手ですね。ですが、中には本気にしてしまう人がいるから気軽に言っちゃダメですよ?」


「俺は花園さんには本気で――」


「ダメです。心の中にしまっておいてください」


「......なら、花園さんが通った高校を見に行っていいですか?」


 歩と露李は商店街から移動し、少し離れた学校にやってきた。

 フェンス越しから明かりのついた学校を眺める。


「ここが花園さんが通った学校ですか......」


「なんだか恥ずかしいですね。別に見られて困るわけでもないのに」


「俺は嬉しいです。少しでも花園さんのことが知ることができて」


「......」


「花園さんは何か見てみたいものとかありますか?」


「......えっ!? あ、見てみたいものかぁ、色々あるから悩んじゃうなぁ。

 よし、せっかくだから夏樹君の紹介したいもの見せてください」


「俺の、ですか.......?」


「はい。そういえば、そういうお誘いでしたんで。なんでも大丈夫です!」


 歩は顎に手を当て、少し考える。

 そんな彼を近くに通った人は怪訝な眼差しを送った。

 そんなことも露知らず、歩は「よし」とルートを決めて露李を見る。


「それじゃ、俺の見せたいもの案内しますね」


 それから、歩はゲーセンだったり、本屋だったり、カラオケだったりと露李を連れまわした。

 そんな歩の行動に露李は不機嫌になることは一切なく、むしろずっと驚いたり笑っていた。

 そしてたっぷり時間を使った夕刻近く、二人は小さな公園にやってきていた。


 未だ外は雨模様だ。

 歩は傘を差しながら立ち、露李はブランコに座った。


「ハァ~、楽しかった。こんなに楽しかったのは久々でした」


「それはよかったです。といっても、俺は振り回してただけなんですけどね」


 楽しそうな露李を見て、歩も笑みを浮かべる。

 しかし、そんな姿にいつまでも笑えるわけではなかった。

 目の前にいる。それが笑いを消し去ってしまう。


「あの......」


「どうしたんですか?」


「”気になってること”って聞いていいですか?」


「.......」


 その質問に露李は悲しそうな笑みを浮かべ「いいですよ」と答えた。


「私は気になってる男の子がいるんです。

 その男の子が今も元気にしてるかなって、それがずっと気になってて......私のせいで変に思いつめてないといいなって」


「思いつめてる、ですか......?」


「はい、自分のせいでとか、あの時自分がこうしていればとか。

 全部ただの杞憂であればそれでいいんですけどね」


「それは無理な話ですよ」


 露李の言葉に歩はそっと傘を持っていた手を降ろし、顔をうつ向かせながら否定した。

 雨粒が瞬く間に歩の全身を覆いつくし、濡れていく。

 そんな歩に露李は立ち上がり、そっと顔に触れた。


「......どうしてそんなに泣いているんですか?」


「泣いてなんか......これは雨のせいで......」


「私が。それだけで答えはハッキリしてます。

 いいですか、もう一度質問しますよ? 変に思いつめてますよね?」


 その言葉に歩は拳をギュッと握った。

 そして思い出すのは後悔の記憶。


 あれは歩がまだ小学二年生の頃だ。

 梅雨で連日雨が降り続く中、歩は買ってもらったお気に入りの雨合羽を着てはしゃいでいた。

 雨に打たれているのに濡れない。そんな不思議な感覚が当時の歩の心を満たしていた。


 雨が続く日は決まって雨合羽を着て、まるで駆け回る犬のように動き回る。

 その行動は少し危なっかしくもあり、されど近所の大人達はその姿を微笑ましく見ていた。

 しかし、それはある日を境に見られなくなった。


 とある日、いつものようにルンルンとした気分で信号を渡る歩。

 その時、横からは大型トラックが赤信号を無視して突っ込んできた。

 雨合羽のフードで視界が狭まっていた歩はそれに気づくのが遅すぎた。


 すると、「危ない」という言葉とともに歩は背中を弾かれた。

 雨粒すらスローに映る視界の中、反転する体。

 そして視界いっぱいに広がる黒髪の少女。

 コンマ数秒後にはトラックが全てを持ち去った。

 それが歩の忘れられない、忘れてはいけない痛ましい思い出。


「俺は......ずっと謝りたかった。花園さんの人生を奪うキッカケを作ってしまったことを」


 あの日、あの時、もう少し落ち着いていれば、もう少し周りを見ていれば、回避できたかもしれない。

 そんな終わりのない仮定を考えてはどうしようもない自己嫌悪を感じる。

 重たい十字架が背中にのしかかり、息苦しくなる。

 あんなのは自分が殺したも同然だ。


「夏樹君のせいじゃないですよ」


 露李は優しく否定した。

 しかし、歩は罰を求めるように反論する。


「ですが! 俺はずっと消えないんです! この苦しみが!

 女性が笑っている姿を見ると毎回あの時の、死ぬ直前の笑顔を思い出す。

 あなたにとっては助けられてよかったという意味かもしれない。

 だけど、俺にはその笑顔があまりにも辛すぎる。

 もっと色んな大切な人に、好きな人に幸せを届ける笑顔だったのかもしれないのに」


「......そっか、ごめんなさい。私のせいで」


 露李はそっと歩を抱きしめる。

 その言葉に歩は今にも死にたそうな顔をした。


「いや、俺は......あなたのせいにしたいわけじゃなくて.......」


「だけど、それで苦しんでいる。なら、私のせいですよ。ごめんなさい」


「違う、謝るのは俺の方で――」


「その上で言わせてもらいますね。生きていてくれてありがとう」


「っ!」


 グサッと重たい杭が刺さった気がした。

 しかし、それはあっという間に溶けていく。

 暖かい。それはとても暖かくて、それでいて悲しかった。


「たぶん、こうして会えたのは私が夏樹君の大人の姿を見たいと願ったからでしょうね。

 夏樹君、私はあの時あなたを助けたことを後悔していません。

 確かに、私にもやりたいことやしたいことは沢山あったと思います。

 ですが、私があの時あなたを助けなれば、きっと楽しい妄想は出来なかったと思います」


 露李から語られる言葉の数々。

 そのどれもが歩の心を締め付け、抵抗力を奪っていく。

 きっと本心からの言葉だからと思うからこそ余計に。

 であれば、いつまでもくよくよしているのはかえって迷惑になる。

 いい加減、立ち直らなければいけない。


「そう......ですか。なら、俺も前を向かないとダメですね。

 花園さんに誇ってもらえるような生き方をしなきゃ」


「そうですよ。私に自慢させてください。私が助けた男の子はこんなにすごい人なんだって」


「......花園さん.......俺が今こうして生きていられるのはあなたのおかげです。

 助けてくれて本当にありがとうございました」


「いえいえ、お構いなく。こんなに立派になってくれて私も嬉しいです。

 なんだかお母さんになった気分です。私が育てましたってね」


 露李はそっと体を放した。

 瞬間、歩の体は軽くなった気がした。たぶん心が軽くなったからだろう。

 降っていた雨はいつの間にか止んでおり、震えは止まっていた。


「雨、止みましたね」


「そう、ですね......」


「止まない雨はないんです。ほら、あっちの空を見てください。光が見えてますよ。

 あれ、天使のはしごって言うんですって。なんだかお迎えが来たみたいです」


「っ!」


 歩は咄嗟に手を伸ばしかける。しかし、グッと拳を握って堪えた。

 違う、この行動はきっと正しくない。もうこれ以上縛られる必要はない。


「俺......大学卒業したら警察学校に行こうと思ってるんです。

 そして、交通課に入って俺のような事故を無くしたいと思ってます」


「へぇ、いいですね。夏樹君ならきっとなれると思います。

 私は遠くから応援してますね。そして、素敵な人生を迎えられることを祈っています」


 露李は歩から背を向け、日が差した雲に向かって歩いていく。

 その姿を歩はじっと立ち止まって眺めた。


「それじゃ、私はそのそろ逝きますね」


「はい」


 露李の体が足元から金色の粒子に変えて消えていく。

 するとその時、露李は思い付いたように歩に話しかけた。


「あ、最後に一つお願いがあるんですけどいいですか?」


「なんですか?」


「私のことを露李お姉ちゃんって呼んで欲しいです。私、生前から弟が欲しいと思っていたので」


「わかりました」


 歩は一つ咳払いする。少し照れ臭いが、それを払拭ぐらい大きな声で。


「露李お姉ちゃん、行ってらっしゃい」


「っ! 行ってきます!」


 露李は笑顔で敬礼しながら、やがてその姿を全て消した。

 まるでずっと幻を見ていたかのようにそこには何もない。

 しかし、歩は確かにこの胸に温もりを感じている。


「......」


 歩は空を見る。

 恩人が旅立ってであろう空。

 雨が止み、僅かに青が見える。


「夏が来る」


 歩はふとそう思った。

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