壇
近所の古い家が取り壊されて新しい家が建ったのは、つい最近のことだ。
前の家にはお爺さんが一人で住んでいた。
奥さんはすでに他界してしまっていたのか、元から独り身だったのかわからないけれど、息子か娘かが訪ねてくる様子がなかったことから、おそらく後者だろう。
家の立地は昔ながらの住宅地の一角で、細い生活道路をはさんで向かい側に整備の放棄された公園がある、といった具合だ。
お爺さんはかなりの綺麗好きみたいで、家の前の道路を毎日掃除していた。
落ち葉一つ許さないといった感じだ。
学区の子がお菓子の袋をポイ捨てしていったときは、わざわざ外に出てきて、別の通りに声が響くほど叱っていた。やりすぎという気がしなくもなかったが、躾をかねてのことと思えば、むしろ子どもたちにとってはありがたい存在かもしれなかった。
そして、草花を愛でる心も持っていた。
お爺さんは公園のコンクリートの縁取りに植木鉢を並べて、家の前に小さな花壇をつくっていた。
道端で似た風景を見たことのある人も多いのではないだろうか。
細かい指摘をすると、公園は自治体の所有なので法的にはよろしくないだが、特別に迷惑をかけられていない限りは誰も何もいわない——そんな日常的なものだ。
その花壇を気に入っていたのだろう。
お爺さんは頻繁に鉢の手入れをしていた。
大小の鉢を囲むように木の板を立てて、風雨から保護もしていた。
家の前の掃除をして、ささやかなガーデニングを楽しむ——。
印象としては、わりとどこにでもいる老人。
そんなお爺さんが姿を見せなくなったのは、いつごろだったか。
気づいたときには、彼の家は防塵シートに囲まれ、取り壊しが始まっていた。
(ああ……年だったし、お亡くなりになったんだな)
私は特に心を動かすこともなくそう思い、近くを通りすぎたのだった。
そしてそれからしばらくして、新築戸建ての建設工事が始まった。
完成したのは、トレンドを盛り込んだ綺麗な家だった。
すぐに建てた家族がやってきた。
若い夫婦と、幼い子どもが二人。
(土地の新陳代謝というのは、こうやって進んでいくのか)
ぼんやりと実感しながら、私はすでにお爺さんの顔を忘れていた。
ある日のことだった。
私は大学の飲み会で帰りが遅くなってしまった。
家の近所までくるころには夜が更けていた。
静かな町並みは街路灯もまばらだ。
一人歩きはあまりしたくないな、と思いつつ歩く。
すると、ぱっと強い光が視界の端に映った。
私は立ち止まってそちらを見る。
何かと思えば……防犯ライトだった。
人感センサーに反応があると、ああやって光る。
作動させているのは、例の若い夫婦が建てた家みたいだ。
しかし妙な様子だった。
ライトが照らす先に人影はいなかった。
しかも、一定時間の作動を終えて消えたかと思ったら間髪入れずに点く。
照らして、消える。
繰り返す。
猫でもうろちょろしているのかと思ったが、向かいの公園をはじめ、このあたりで見たためしがなかった。
(……故障でもしたのかな。新品だろうにツイてないや)
見ていても、一人歩きの時間を長引かせるだけだった。
私は自宅にむけて再び歩きだした。
数か月後。
その若い家族の家は売りに出されていた。
仕事か家庭の都合で引っ越しが必要になったのだろうか。
不動産屋が置いた『入居者募集』の看板から真新しい佇まいに眺めを移しながら、私はもったいないなと同情していた。
そのときだった。
(……?)
私はふと振り返った。
そこには、公園のコンクリートの縁取りがある。
家を建てる際に植木鉢の花壇は処分されたみたいだが、長年そこに置いてあったことを示すように、コンクリートに黒い痕が残っている。
……なんだろう。
痕の輪郭が何かに似ているような気がして、近づいていく。
すると。
植木鉢があった場所のすぐ後ろの茂み。
その中に何かが引っかかっているのを見つけた。
手を伸ばして、それを拾い上げる。
(紙くず……?)
二つに折れ、土気が染み込んで劣化している。
私はゆっくりと開いてみた。
「……何これ」
それは写真だった。
着物姿の女性がこちらを見ている、古い写真だった。
〈壇・終わり〉
厭 な 話 池戸葉若 @furugisky
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