告示



 ほんの悪戯いたずらのつもりでしたことが、思った以上に大きな罪だった。

 そんな経験はないだろうか。

 特に小学生のときなんかは、善悪の感覚だったり想像力が未発達だったりして、そういったものに遭いやすいだろう。


 私もそうだった。


 当時、私は小学六年生で、受けたくもない中学受験のために勉強をさせられていた。


 両親との会話は受験のことばかり。

 見たいテレビが見られない。

 友だちと遊ぶ時間がとれない。

 その友だちとも結局は離れ離れになってしまう——。


 私はいくつものストレスを抱えていた。

 だから、魔が差したというべきか。

 ふだんならしないようなことをしてしまうのだった。


 それは、ある日のことだった。

 私は日が暮れかけた道を一人で下校していた。

 先生と進路について相談していて、遅くなってしまったのだ。


(あーあ。これから塾か……)


 ため息をつきつつ、とぼとぼと歩く。


(……ん?)


 道中に見慣れない掲示板が設置されているのを見つけて、私は立ち止まった。

 それは選挙ポスターだった。

 告示されたばかりらしい。

 候補者たちがそれぞれのベストショットでこちらを向いている。有権者の印象に残るように大きく名前が書かれており、公約がいっぱいに並べられている。

 とはいえ、小学生にとって選挙なんてのはただ選挙カーがうるさいだけの行事だ。

 彼らが何を訴えているのかわからないし、みんな似たり寄ったりでつまらない。


 ……なんて思っていたところで、私はおもしろいポスターを見つけた。


 五十代くらいの女性候補者なのだが、名前も公約も何も書かれていないのだ。

 微笑みを浮かべて、ただこちらを見ている。


(誰かもわかんないじゃん。そんなんじゃ当選しないよー?)


 クスリと笑ったところで、私はある悪戯を思いついた。

 周りを見て、誰もいないことを確認する。

 そして。

 掲示板の画鋲がびょうを抜いて、その女性候補者の両目に刺してやった。

 もう一度断っておくが、私はふだんなら絶対にこんなことはしない。ただ、中学受験のストレスが出来心という形で表に出てきてしまったのだ。


(これで目立つでしょ。選ばれたらいいね、おばさん)


 私は少し憂さが晴れた気分で、家に帰っていった。





 そのあと、塾が終わったのは夜の八時だった。

 塾の友だちと手を振りながら別れ、私は夜道を一人歩いていた。


 すると、ある臭いがかすかに鼻をついた。


 この独特の香りには覚えがある。

 線香だ。


(こんな時間に? 珍しいな)


 ふいに好奇心が刺激された私は、なんとなく臭いをたどっていくことにした。

 角を曲がるにつれ、濃くなっていく臭い。

 間近で焚いているのではないかと思うくらいになったところで、私はとある道に出た。


(ここは……)


 いつもの通学路だった。


 すぐそこには選挙ポスターの掲示板がある。


 そして、私は戸惑うしかなかった。


 私が目に画鋲を刺した女性候補者のポスターはそのままなのだが、それ以外の候補者たちがすべて違う顔写真に変わっていた。

 並んでいるのは、小学生くらいの男子と女子のポスター。

 女性候補者と同じように名前すらなく、四角い縁取りの中で笑っている。


 一個だけ枠が空いていた。

 番号は『20』だった。


 ……気味が悪い。


 そう、後ずさりかけたときだった。


 女性候補者の目から画鋲が落ちた。


 黒目が戻る。


 だが、当然ながらそれだけだ。


 彼女は変わらず、微笑みを浮かべてこちらを見ている。


(……)


 どうしてか、唐突に。

 なにか大きな罪を犯してしまったのではないかと怖くなり、私は逃げた。

 振り返ったらいけない気すらして、ひたすら家にむかって走った。





 翌日の朝。

 ポスターは元に戻っていた。

 ただ、例の女性候補者がいた枠には何も貼られていなかった。

 あれは夢だったのかとも思ったが、板には画鋲の小穴が残っていた。





 ……というのが、私が小学生のころに体験した奇妙な出来事なのだが。


 どうしてそんな話を思い出しているのかというと。


 今。


 大学生である私の一人暮らしの玄関先に。


 あの候補者とまったく同じ顔の女性がきている。


 インターホンがずっと鳴っている。


 線香の臭いがする。




〈告示・終わり〉



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