親愛なる君へ
私は
私はチキューこそが私の
私はただの
私が《発見》したあの伽藍の名は、Sagrada Famíliaと言う。
彼らの用いていた
あの伽藍には《聖なる家族》が住まい、共に暮らし、それぞれの死を看取り、別れ、再び歩き始める。
彼らの信仰に於いては、そうである。
“天才建築家”の名は、Antoni Gaudí i Cornetである。
またの名を、Antoni Plàcid Guillem Gaudí i Cornetと言うそうだ。
西暦1852年6月25日に生まれ、1926年6月10日に志半ばで倒れた。
私はその遺跡の頂上に
取り返しの付かないことをしてしまった。
そう、痛感する。
チキュージンの歩みは複雑で、煩瑣すぎる。
《タツミ》氏の歩みもまた、そうだ。
彼はガウディの同郷人ではない。
全くの異国、異星の土地に産み落とされ、しかし、ガウディの跡を追った。
そして、果てしない苦難の道行きの果てに、やはり倒れた。
私はいま、二本の十字架を、この貧弱な肩に背負っている。
とてつもない重石を背負い、六本の脚で大地に辛うじて立ち、二本の腕でこの手記を記している。
もう全て投げ出してしまいたい。
私はほとほと草臥れているよ。
だが、それでは彼らが報われない。
私の魂も、この体のあらゆる細胞も、まだ先に行きたいと叫んでいる。
そこにこそ、私は春を見る。
タツミ=シズヒトは、私の考えではこう書く。
巽静人。
おそらくこれが、彼の本当の名前だ。
寡黙な人を怒らせてはいけない。
それはとても失礼で、不届きなことだ。
ひとつ、興味深い事例を紹介しよう。
ある一人の僧侶の話だ。
彼はとある熱帯の半島に生まれ育ち、自らの信仰に照らし合わせ、その時の政権に強い憤りを感じた。
憤懣遣る方なく思った。
その後、彼は大使館の前に座し、経を読み、瞑想した。
そして、燃料を総身に浴びせかけ、火を点けた。
彼は動かなかった。
灰になるまで、動かなかったそうだ。
彼は生きたまま自らを火にくべ、その姿を後に続く者たちにとっての篝火とした。
彼は生きながら死に、死してなお、一筋の光明と化した。
私たち
しかし、彼らの信仰には、またこうも示されている。
これより56億7千万年後の未来に、新たな
彼は今はまだ眠っているが、56億7千万年後に目覚める。
私たちはそれまで生き延びなければならない。
そして、彼によって救われる。
この絶え間ない輪廻の輪から、ようやく外れることができる。
それまでは、この地獄のような現世で、立っていなければならない。
二本の脚で、瘦せた体で、満身創痍で、ただ、待つ。
チキュージンの信仰とは、畢竟、そうしたものだ。
ああ、なんと高邁で、崇高で、下劣で、愚かで、ねじくれて、なんと真っ直ぐなことか。
もう一度言うぞ?
静かな人をけして怒らせてはいけない。
君の種族の諺も、そういう
その結果として、彼らは自らの生命を燃やし尽くし、私たちの目の前から消え去ってしまう。
それはとても悲しく、しかし、とてもありふれたことだ。
そういう人を、これ以上増やしてはならない。
だから、だからこそ、私たちは新しいキャンペーンを始めよう。
テーマは「
すまない。
私はもう行かなくてはならない。
君を置き去りにする。
いいか?
私はもう行く。
愛を込めて
メリダ=ティミス
続・造りかけの故郷 myz @myz
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