第14話 あさぎゃおは咲いたか

△(十四)


 その日の夕刻、聚楽第から市中を観望すると、鮮血色の夕焼けの中に群生したあさがおの花びらが泣きぬれているような場景が見えたといいます。

 翌日、いつものごとく使丁が部屋にいきました。

 あるじは生害(しょうがい)におよんでいました。

 使丁は聚楽第へとびました。

「今朝(こんちょう)、 利休どのが何をしたと?」

 侍従が小粒の苛立ちを以って訊きかえしました。

「申しあげたとおりにございます」

 使丁はそういって、腰をおって後じさり、くるり背をむけて地面を力強くけりました。あるじの血の始末をした痕がのこっている白い指先が天をさすと身体が美しくうきあがりました。まさしく大鷹にのったかのようでした。更なる驚愕は、大鷹の背にもう一人、もう一人、そう、利休その人がのって去っていったのでございます。空言(そらごと)ではございません、決してそのようなことは。

 侍従にはありありと見えたのでございます、それが。

 まことに、美の一撃でございました。

 侍従から報をうけとった太閤は頓狂な声をあげました。

「利休の、いつもの美の拵えごとか?」

「子細はよくわかりませんが」

 と侍従は神妙(しんびょう)に付けくわえました。

「破れ茶わんが城一つに値すると強弁をはったために、さる大名の恨みをかっただとか、美への追求心が烈しすぎて心が破裂してしまっただとか、いろいろなことどもを周りの者はいっているそうでございます」

「ふゥ」

 太閤は軽く息をはきました。その息がころころと転がって襖にぶつかり柱にぶつかりして部屋の片隅にいってへたりました。太閤は侍従のことばをどう聞いたものか、あるいはまったく聞いてはいなかったものかわかりませんが、耄(ほう)けた者のようにいいました、母者人ことばが乗りうつったように。

「休の庭にゃあさぎゃおは咲いただか」

 侍従はとまどいました。

「えッ」

「あさぎゃおじゃ、休のヨー」

「はッ、それはそのォ」

「そうけ、今年ゃ一片しか咲(わら)わなんだか。そうきゃー」

「……」

 侍従にはかえすことばがもうのこっていませんでした。突然、部屋の空気が入れかわりました。きよらかというのか透明というのかそういう感じがましました。どこかから鼓と琴の合わせ音(ね)が聞こえてきました。それは遥かとおくから鳥がくちばしにのせてくるような音色でした。じっさいの音であったかどうかわかりません。侍従の耳がそんなふうにとらえたのです。おなじ音色を太閤の耳も聞いた否かわかりませんが、陶然とした口調でこんなことをいいました。

「で、利休との茶の湯はこんどいつじゃ」

 侍従は、それにはこたえず、ゆっくらと後じさりました。

 

 その後のことでございますが……


 茶話指月集にあるのをつづめれば、

 ――利休が生害したのち、あるとき太閤、利休がいなくなって事をかくと仰せになる。それを耳にした権現さま、利家公、かねて利休が事件を不便(ふびん)におもっていた由、よい機会ととらえ、所払いとなっていた利休の長男道安(どうあん)、女婿少庵(しょうあん)にお免(ゆる)しをと願いでてくれ、ゆえにお赦しあり――とか。


                               △(了)

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利休のあさぎゃお 鬼伯 (kihaku) @sinigy

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