第2話 一歩も進めない
それからの数日もまた、ぼんやりと靄がかったようだった。
不規則に目覚め、不規則に眠る。それを何度も何度も繰り返した。
ラーイは「それだけシィの身体は休息を欲しているんだよ」と言ったけれど、その原因を知らないままの私は、少しずつ気持ちが焦れていった。
それは思うようにならない身体についてだったり、短時間しか保てない意識についてだったり、私の穴だらけの記憶について訊ねても、ラーイから明瞭な答えが返ってこないことについてだったりした。
私が『ひどい目に遭った』以上の内容を口にしたがらないラーイは、私の他の記憶についても「時が来れば思い出すだろうから……。俺の主観が入った話を聞くと、記憶がねじまがってしまうかも。それは俺がいやだ」と言って、はぐらかすばかりで、埒があかない。
結局私は、最初に思い出した以外の記憶を――情報を持たないまま、泥のような眠りと、浅い覚醒を繰り返していた。
また、ふと意識が浮上した。ぱちぱちと目を瞬いても、目に映る天井は変わらない。
首を横に動かして椅子のある方を見てみても、そこにラーイはいなかった。
こういうことは度々あった。体感では、目が覚めたときにラーイがいる率といない率は、五分五分というところだった。
少し考えて、慎重に身体を起こす。隣室にもラーイの気配がなさそうだと見当をつけて、私は掛布から身体を出して、床に足を伸ばした。
見当たる場所には履き物はない。仕方なくそのまま足を床につけた。
ひやりとした感覚が伝わってくる。少しだけ、頭がはっきりするような心地がした。
寝台を支えにしながら立ち上がろうと試みる。なんとかまっすぐ立ったところで、くらりと目眩がした。すわ床に倒れ込むかというとき――瞬間的にラーイが目前に現れて私を支えた。
「シィ、大丈夫?」
その瞳にも、声音にも、私を非難するようなところはない。ただひたすら、私を案じる想いだけが伝わってくる。
だけれど、私は少しばつが悪くなって、ラーイの視線から逃げるように目を伏せた。
「自分で動き回りたくなった? 言ってくれたら、俺を支えに家の中を歩き回るくらいはさせてあげられたのに」
「ごめんなさい……」
「謝らないで。シィが謝る必要なんてない。俺こそごめん。ずっと寝台にいたら飽きるよね」
ラーイは優しく私を寝台に戻すと、どこからか取り出した布で、私の足裏を拭い始めた。
跪いて、私の足を自分の太ももにのせて、丁寧に。
「ら、ラーイ、自分でやるから……」
「ふらついたばっかりなんだから、だめだよ。俺がやる」
その声音は柔らかかったけれど、反論を許さないもので――まだ目眩の余韻が残っていた私は、あえなくそれを受け容れることになった。
(ラーイは、私をこういうふうに……壊れ物を扱うようにする。『ひどい目』に遭ったからというのもあるだろうけど……『いつものこと』だったような、そんな感覚がある)
懐かしいというか、馴染んだ感覚。自身には過ぎたものと思うような丁寧な扱いを、記憶が朧になる前から、私はラーイから受けていたのだろうと感じる。
(将来を誓い合った仲、だったから? でももっと……幼少の頃から……だったような……)
ぼやけたような記憶を探ろうとすると、また目眩がした。身体をふらつかせないように耐えたものの、それはラーイに筒抜けで。
「シィ、無理しないで。そんなに焦らなくても、
ラーイは私の身体を寝台に横たえて掛布をかけると、祈るように囁いた。
「俺はシィが何より、いちばん大事だから……。さっきみたいなことがあると心臓が飛び出しそうになる。なった。俺の転移が間に合ってなかったら、シィは冷たい床に倒れ込むことになっていたんだよ。ケガもしたかもしれない。身体を動かしたいっていうなら止めない。でも、俺がいないところで無理はしないで……」
その声があまりにも切実で、どこか泣きそうですらあって、私はとんでもない過ちを犯したような気持ちになる。
(大げさだ、と思うのに、無下にできない……)
それはラーイの言葉に嘘がないと伝わってくるからだろう。
結局私は、そのラーイの懇願に頷いた。
「わかった。寝台から出るのは、ラーイがいるときにする……」
そうしてそれを聞いたラーイが、心底ほっとしたような笑みを浮かべるのを見て――私の中に過るものがあった。
(ラーイは、そう、昔から心配性だった……)
それは、
(――え?)
浮かんだ言葉はすぐに千々にちぎれて溶けてしまった。
とても重要なことだったはずなのに。私という存在の根幹に関わることのはずだったのに。
(ああ、また眠りに引きずり込まれる……)
自分の意思ではどうしようもなく、意識が遠ざかっていく。
もどかしい気持ちを抱えたまま、私は眠りに落ちた。
――そんな私を、ラーイがどんな瞳で見つめていたかも知らずに。
果てのうたかた 勇者は物語を否定する 空月 @soratuki
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