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 ――――果たして我が子は、新しい土地で上手くやっているだろうか。

 かつてルアル文明と呼ばれていた宇宙を漂いながら、『彼女』はぼんやりとそう思った。

 彼女の前には、ルアル文明が使用していた巨大なゲート・マジックリングが浮かんでいる。

 マジックリングは彼女の祖先が遺した「私等の力が影響して使えないけど、もし力のない子が現れればその子だけは別世界に送り込めるよー。そうすればもっと繁栄出来るねー」的な『言い伝え』に基き、先祖代々守ってきた。そして先日ついに自分達の力……量子ゆらぎ操作を扱えない子が現れ、別世界に送り込む事に成功。しかしその使用後に壊れてしまった。

 恐らく、原因は小さな侵入生物達。彼女の一族は必死に守ってきたが、それでも全ての侵入生物を追い払う事は不可能。長い時間を掛けてマジックリングはあちこちが齧られ、小さな損傷が蓄積していた。どうにか一回は動いたが、その一回の負荷に耐えられず壊れてしまったのだろう。お陰で今ではうんともすんとも言わない巨大なゴミだ。

 先祖代々守ってきたものが壊れて、しかし彼女はどうとも思わない。愛着や風情なんてものは、彼女達侵入生物は何一つ持ち合わせていないのだから。

 壊れたのならもう用はない。送り込んだ我が子が失敗した死んだ時に備え、もう何度か送り込む機会がほしかったが、出来なくなったのだから諦める。それが合理的な思考である。


「フシュルルルゥゥ……」


 守る必要がなくなったリングに見切りを付け、彼女はこの場から飛び立つ。守り手がいなくなったマジックリングは瞬く間に、周囲にいた小さな生産種に食い尽くされた。

 後ろを振り返る事もなく、彼女はくるりと周囲を見回す。

 侵入生物に支配された事で、宇宙にある全ての元素が食い尽くされた。星は一つもなく、真空のエネルギーも枯渇している。されど侵入生物達自身が生み出す量子ゆらぎ……無から生じたエネルギーにより膨大な命が養われていた。何百億光年もある宇宙の隅々まで侵入生物は行き渡り、三次元はおろか十一次元の全てに分布する。大小様々な種がひしめき、一メートル先の景色は何もかも埋め尽くされて見えないほどだ。

 その膨大な数の中で、彼女達二足歩行型捕食種はほんの僅かしかいない。

 理由は明白。彼女達が大型種を獲物とする、生態系における頂点捕食者だからである。『最強』故に天敵はいないが、生きていくには多量の獲物が必要だ。彼女達は様々な種を獲物にしているが、どうやっても獲物より増える事は出来ない。ましてや生産種のような、食われる側の圧倒的な数とは比にならない少なさだ。

 ……生物の生態というのは、それぞれの生き方であって比較するものではない。どの侵入生物も「自分の遺伝子を増やす」事を行動指針にしているが、積極的に生産種になろうとする事はない。あくまで利用出来る資源や生き方があり、そこに進出・適応するだけ。頂点捕食者も大きな生き物という『資源』を利用する進化の一つに過ぎない。

 しかし知能を持つ彼女は、自分達の種族の状況が理解出来る。他との比較も出来、それを客観的に判断するだけの処理能力を持つ。そして知能がある故に、もっと上がある、遺伝子を残す方法があると分かってしまう。

 端的に言えば、他種を羨ましく思った。


「フシュゥ……」


 とはいえ思ったところで種は変わらない。それに頂点捕食者もまた一つの『生き方』に過ぎない。生まれてきた子孫の中には小さな生産種を好む種や、自身が大型生産種となるような進化を遂げるものも現れる可能性がある。

 その新たな生き方をした個体が栄えれば、自分の子孫が増えていく。

 結局のところやる事は何時もと変わらない。餌を食べ、子孫を生む。その数が多ければ多いほど、自分の遺伝子が多く残る可能性は上がっていく。

 彼女は軽く頭を振って思考をリフレッシュ。新たな繁殖を行うため、手頃な獲物を探そうとする。

 彼女だけではない。他の侵入生物達も思うがままに生き、繁殖し、進化していく。ただそれだけを繰り返すのみ。それが彼女達の細胞にある遺伝子が命じる、ただ一つの命令だ。

 そして量子ゆらぎ操作でエネルギーを無から生み出す彼女達がいる限り、この宇宙の物質が尽きる事はない。宇宙の膨張に伴い伸びていく空間も、増殖する侵入生物達の力により引き戻されているため全てが裂ける事もない。有り余るエネルギーを活用するよう進化した侵入生物達は、更に強力な量子ゆらぎ操作を行い、『宇宙』の質量は加速度的に増大していく。

 ネビオス生態系の確立と共に、宇宙は永遠を手に入れた。世界が終わらぬが故に、そこに暮らす彼女達も永遠の繁栄を手に入れたのだ。

 ――――等というのは、幻想に過ぎない。


「フシュ?」


 ふと、彼女は違和感を覚えた。

 身体が。ハッキリとした力ではないが、微かにそのような感覚に見舞われたのである。

 しかし近くに自分を引っ張る生物の姿はない。獲物を吸い込んでいる大型生物の姿もなく、或いは巨大な重力を生み出している戦闘現場も見られない。

 単なる勘違い誤認識だろうか。

 他の侵入生物達はそのように判断したらしい。小さな種も大きな種も、一瞬身動きを止めた後、また動き出した。勘違いを何時までも警戒するよりも、さっさと動いて餌を取り、繁殖する方が合理的だ。数学的思考を持つ侵入生物に迷いはなく、勘違いと判断したならもうその事は気に留めない。しかし数学的思考はすれども知性がないために、それらの侵入生物は気付かなかった。

 みんなが動きを止めたという事は、と。

 彼女は違う。先祖から受け継いだ知性は、勘違いとはどのようなものかを理解している。同一タイミングで、何百万もの生物が勘違いをする確率は極めて低い。何かがあったと考えるのが妥当だ。


「……………」


 彼女は全身の筋肉にエネルギーを満たす。これは狩りを行う時の、戦闘に備える時の反応だ。何かあればすぐに動き、対応出来るようにするための備え。

 その行動は功を奏した。

 突如として宇宙全体の空間が、一方向に吸い込まれるように引き伸ばされていったのだから。


「フギッ!?」


 突然の、予想外の出来事に彼女は驚く。されど身体は硬直しない。即座に引き寄せられることは逆方向へと飛ぶ。

 周りにいる他の生物達も逃げ出す。だが、それらの動きは彼女に比べれば鈍い。先の違和感を勘違いと思ってしまったがために、身体をすぐには動かせなかったのだ。

 彼女の最高速度は秒速三兆光年もあるが、予め力を入れていれば、時間圧縮の効果もあって〇・〇〇二ナノ秒で到達する。他の侵入生物達も出だしが遅いだけで、ほぼ同等の速さを同等の加速時間で出せるが……出だしの一瞬が命運を分けた。

 空間の引き伸ばし、否、吸い込みは一気に加速。鈍足の小型生産種でさえ秒速一兆光年は出るというのに、それでも抜け出せない速さまで強まる! 逃げるのが間に合わないと判断した一部の種は防御を固めたが、無意味だと言わんばかりに空間の吸い込みは侵入生物達を次々と巻き込んでいく。

 これが一瞬の出来事ならば、ちょっとした災害程度で済んだのだが……終わる気配がない。このままでは比喩でなく宇宙の全てが、空間ごと吸い込んでいる『何か』に飲まれてしまう。

 吸い込まれた後、自分は生きているか? そんな楽観的な結末が来るとは、彼女にはとても思えない。


「ギ、フシャァアアッ!」


 だから逃げるしかない。何も分からなくても、それは足を止める理由にはならないのだから。

 ――――そう、彼女は知らない。

 彼女の暮らす宇宙とは異なる、けれどもゲートの痕跡を幾つも辿る事で行ける別宇宙。そこに彼女達侵入生物の祖先が通ってきた、観測用ゲートがあったなど。ゲート自体は既に喰い尽くされているが、宇宙を観測した際の痕跡は残っている。その痕跡の先にある別宇宙新天地目指して多くの侵入生物が突入したが、誰も帰ってこなかった。

 何故なら全員喰われたから。

 ゲートの痕跡の向こう側に広がるのは、侵入生物の祖先種――――ネビオスが暮らす宇宙だった。進化した侵入生物であろうとも、ネビオスの力には遠く及ばない。未だ十億分の一秒ナノ秒だの一千兆分の一秒フェムト秒で競い合う侵入生物には、十のマイナス四十三乗秒プランク秒の世界で生きるネビオスの姿を捉える事も不可能だ。無論それほどの時間圧縮を行えるネビオスの『戦闘能力』は、侵入生物の比ではない。

 無謀にもやってきた侵入生物は、全てネビオスの餌食となる。そしてネビオス達は気付いていた。

 この亀裂の先に何かがある、と。

 侵入生物が気付いたゲートの痕跡に、ネビオスが気付かない訳もなかった。飛び込んできた『餌』の強さから、まるで脅威にならない事も把握している。その先に自身が進出しても、エネルギー不足で耐えられないというのも予想していた。だから今まで何もせず、偶に餌が飛び込んでくる場所程度の認識でネビオス達は放置していた。

 しかしある時、とある個体が空間ごと

 量子ゆらぎ操作能力により、重力と似て非なる力を生み出した。ゲートの痕跡の先に広がる空間を吸い込み、飲み干すために。

 全ては『一瞬』で終わっている。彼女達が認識している異変は、空間が延びる事で時間の流れがゆっくりになった結果生じたものだ。この破滅を引き起こしたネビオスはにより結果を先取りし、既に食事を終えている。最早『運命』は決していた。

 彼女がその事実を理解する事はない。ただ一つ、分かっているのは――――吸い込まれる宇宙空間から逃れなければ、命はないという事だけだ。


「フッシュゥゥゥゥッ!」


 逃げながら彼女は思考を巡らせ、打開案を模索する。ただ逃げるだけでは駄目だ。吸い込まれる宇宙空間は、彼女の飛行速度よりも速く迫っている。

 逃げるならば別の空間、いや、別の宇宙しかない。彼女は瞬時に的確な行動を閃き、そして運にも恵まれていた。

 逃げる先にゲートの痕跡があったのだ。

 あそこに飛び込めば別宇宙に行ける。しかしゲートの痕跡に向かうのは彼女だけではない。近くにいたあらゆる侵入生物達が一斉に押し寄せている。どの侵入生物もこの宇宙がもう『終わり』である事を理解し、他の宇宙に避難しようとしていた。

 ゲートの痕跡はお世辞にも大きな道ではないが、彼女達は本質的に自分の事しか考えていない。お行儀よく列を作る事もなく、我先に通ろうと割り込む。傍にいるのが自分より弱い個体なら、躊躇いなく攻撃して殺そうとしている。

 彼女は優れた知能を持つ。しかし理性がある訳ではない。そして彼女達は、群れとはいえこの宇宙の侵入生物生態系の頂点に君臨する種族。

 彼女もまたゲートの痕跡を通るため、他の生物を蹴散らす。小型種はバラバラに砕き、大型種は引き裂き、中型種は殴り飛ばした。自分のための隙間を作り出したら、その身を捩じ込んで通る。

 ゲートの痕跡内は虚空領域、即ち物理法則の存在しない世界。しかしネビオス生態系の獲得により強化された侵入生物の身体にとって、こんなのは微風ですらない。耐えるという事すら考えず、彼女は一気に虚空領域を突き進む。

 そんなゲートの痕跡さえも、ネビオスの『吸い込み』はお構いなしに飲み干そうとする。

 急がねば死ぬ。その予感はあれど、侵入生物の数学的思考に恐怖などない。背後にどれだけ死が迫ろうと、淡々とするべき行動――――周りにいる他の侵入生物を避けながら前に進み続けるという動きを続ける。動揺によるミスも、焦りによる早合点もない。最善最速の行動により、誰よりもゲート痕跡を辿っていく。

 しかしどれだけ最速でも、空間の吸い込みの方が圧倒的に速い。亀裂の中にまで吸い込みが及んでいる事から、別宇宙に逃げても恐らく振り切れない。さて、一体どうしたものか――――

 次の手を考え始める彼女だったが、その思考が役立つ事はなかった。何故なら彼女は大きな幸運に恵まれていたからだ。

 その幸運とは、自身が辿っているゲートの痕跡が極めて長いものである事。つまり『遠い』宇宙と繋がっている道だったのである。

 ネビオスが行った宇宙の吸い込みは凄まじいものだ。何しろ宇宙数個どころか、×を飲み込もうとしている。そしてそれはゲートの痕跡という繋がりにより、さながら粘り気に引き寄せられる納豆の粒が如く宇宙を巻き込む形で行われた。

 桁違いという言葉でも足りない、理不尽なまでに圧倒的な暴力。だがその強さが仇となった。

 あまりにも勢いよく吸い込まれるものだから、一部のゲートの痕跡が耐えきれずしまったのである。これは痕跡の距離が長ければ長いほど、使用頻度が少なくて細ければ細いほど、高確率で起きた。

 彼女が逃げ込んだ痕跡も、とても長いものだったためネビオスの力に耐えきれず。途中で破断し、ネビオスの吸い込みから逃れる事が出来たのである。


「ブギッ! ギャブゥッ!?」


 ゲートの痕跡を通り抜けた直後噴き出した莫大なエネルギーは、その痕跡が千切れた証。彼女の身体にもエネルギー吸収能力はあるが、捕食者として進化した結果、熱以外はあまり上手く利用出来ない。彼女はエネルギーに押し出される形で大きく吹っ飛ばざれ、宇宙空間をぐるぐると回る。

 どうにか体勢は立て直したものの、彼女には何が起きたか分からない。知能がなければ危険=離れるぐらいの単純な思考で動けたが、なまじ知能が高いばかりについ考えてしまう。

 そのほんの一瞬呆けている間に、侵入生物達の宇宙の大半……吸い込みから逃れられた、つまり途中で千切れた宇宙はほんの百万個だけだった……を飲み干した個体は――――繁殖する事も出来ずに餓死した。何故なら侵入生物達に満たされた宇宙では、からだ。

 祖先種であれば、十の五十三乗個もの宇宙を食べればいくらでも増えただろう。だが、今のネビオスはかつての祖先種ネビオスとは違う。

 侵入生物の祖先種はプランク秒以内に世代交代をしていた。つまり一秒後には一・八五五×十の四十三乗世代も交代していたという事。全てではないが、少なくない数の種がそれだけの速さで繁殖を繰り返していた。

 人間が生まれた惑星で、人間が誕生するまでに掛かった年月は凡そ三十七億年。単細胞生物から原人まで含めた全祖先の平均世代交代を一年としても、三十七億年で重ねられるのは三・七×十の九乗世代。細菌並の速度である一時間に一世代でも三・二×十の十三乗世代だ。それだけの時間があれば、普通の生物でも単細胞生物が知的生命体となる。

 それ以上の『時間世代』を費やしたネビオスが進化しないなどあり得ない。ましてやネビオスは侵入生物と同じく量子ゆらぎ操作の力を使い、いくらでもエネルギーを作れるのだ。空間のエネルギー密度は世代を重ねるほど増大し、濃密になっていく。より『強い』生物が生き残れる環境が出来上がり、それに適応した個体が次世代を残し、桁違いの力で新たなエネルギーを生む。

 ネビオスも進化し続けていた。侵入生物がルアル文明を食い尽くすまでに掛かった、ほんの数十日――――五×十の六乗秒の間ずっと。たった一秒過ぎる度にネビオスの時間はより圧縮され、次の一秒後には更に多くの世代を重ねる。時には機能的限界に突き当たり『数千万世代』ほど停滞する事もあったが、その難問さえも一秒に満たないうちに解決してしまう。その繰り返しの果てに、今やプランク秒でも生活を表現出来ない。

 今のネビオスは一秒の間に、体長数センチの小型種であれば6↑↑↑7回の世代交代を行う。

 この↑は見た目通り、矢印表記と呼ぶ。意味は「乗算の反復」。↑の後の数字の分だけ、前の数字を乗算する。例えば2↑5の場合、二の五乗(2✕2✕2✕2✕2)を意味し、その数は三十二となる。これだけなら大したものには思えないだろう。だが↑がもう一つ増えた場合、例えば3↑↑3はどうか? これは三の三乗の三乗であり、三の二十七乗に等しい。よって答えは七兆六千二百五十五億九千七百四十八万四千九百八十七となる。3↑↑4は三の三乗の三乗の三乗であり、三の七兆六千二百五十五億九千七百四十八万四千九百八十七乗と等しい。ちなみに三の二百十乗時点で答えが百桁を超えている、と補足しておく。

 そして3↑↑↑3は、と等しい。これが如何に巨大な数字であるかは、言うまでもないだろう。

 6↑↑↑7という表記は、最早乗数部分を数字に直す事も困難である。そしてこれは一秒の間に交代する世代だ。この間にネビオスは著しく進化していく。プランク秒の狭間で生きていた時よりも、更に急激な速さで。

 その『強さ』もまた、止め処なく圧縮された時間感覚と同じぐらい進化した。体内に満ちるエネルギーは果てしなく凝縮され、素粒子一つ分の範囲でさえ観測不可能な出力を示す。6↑↑↑6もの数の『新次元』を創生し、その中を自由自在に動き回り、その数の次元全てを吹き飛ばす攻撃も繰り出し、それを難なく耐える身体を持つ。当然能力も見合ったものに進化しており、論理的・概念的力も多種多様に発達した。最早全知全能さえも古くて単純な力でしかない。

 そしてその無尽蔵な力の大部分を繁殖に費やす。繁殖力は時間圧縮を抜きにしても祖先種を遥かに上回る。更に生存競争や時間圧縮などで行われる量子ゆらぎ操作により、膨大なエネルギーが生み出される。毎秒ネビオス達の世界は言葉では言い表せないほどの勢いで肥大化し、それと同じ分だけネビオスは個体数を増やす。宇宙の外が無限に広がっていなければ、ネビオスの世界が瞬く間に全てを飲み込んでいただろう。

 当然、これだけの『強さ』を維持するには膨大なエネルギーが必要だ。それはネビオスの世界であれば、数多の生き物が生み出すために問題なく得られるが……他の宇宙でも満たせるものではない。

 今までネビオスがこの宇宙にやってこなかったのは、なんて事はない。『今』のネビオスにとって侵入生物が支配した七×十の五十三乗個の宇宙など、腹の足しにもならないのだ。今回宇宙を吸い込んだネビオスも、飢えに苦しんだ挙句悪足掻きとしてやっただけ。

 その巻き添えを喰らったのが、に分岐した侵入生物達の宇宙という訳だ。


「……フシュ、ルルゥゥ」


 ネビオスなど知らない彼女は、自分達の宇宙がどうしてこんな事になったか分からない。しかし空間の変化が終わったため、難は逃れたと判断。臨戦態勢にあった身体から力を抜く。

 それから宇宙空間でくるりと体勢を立て直しつつ、辺りを見渡す。

 周囲には、自分と同じくこの宇宙に逃げ込んだ侵入生物達がいる。どのタイミングで警戒を解くかは個体によって違うが、段々とこの場から離散するように動き出す。

 生まれ故郷の宇宙が滅びた事は本能的に察しているが、そんな事は侵入生物にとってはどうでも良い。どんな経緯があったにしろ、今から此処で生きていかねばならないのだ。迷い、悩んだところで宇宙は元通りにならないし、元通りになれとも思わない。

 生き残り、子孫を残す。それだけが侵入生物ネビオスにとって重要だ。

 彼女も同じ考えだ。その身を満たすのはなくなった故郷への想いなどではなく、空腹の衝動。逃げるためにたくさんのエネルギーを使った。補給しなければ子孫繁栄どころか、餓死してしまうかも知れない。

 幸い此処には、たくさんの生き物がいる。逃げ込んだばかりでまだまだ落ち着きがなく、混乱している侵入生物達が。この宇宙出身の侵入生物もたくさんいるが、正体不明の相手より、どんな種か知っているものを襲う方が確実に仕留められる。


「フシュゥウッ!」


 『同郷』の生き物達に、彼女は寸分も迷わず襲い掛かる。これからも生き残り、自分の子孫を残すために――――





















 ネビオスの捕食により、侵入生物達は勢力の大部分を失った。

 残った宇宙はほんの百万個。膨大ではあるが、七×十の五十三乗個と比べれば一握りですらない。おまけに吸われた際の勢いでゲートの痕跡はあちこちで千切れ、生き延びた百万の宇宙は一万五千もの集まりに細分化されていた。ほんの数個程度の集団や、一個しかない孤立宇宙もある。繋がりがなければ移動は出来ず、それぞれが独立した『世界』として漂う。

 かつての大繁栄は失われ、侵入生物は衰退したと言えよう。だが、この衰退は一時の事に過ぎない。

 侵入生物は量子ゆらぎ操作能力により、無からエネルギーを取り出す。時間が経つほどエネルギーは増え、宇宙は満たされていく。満たされた分だけ質量も増加し、増大した重力によりやがて宇宙は収縮に転じるが……そこに暮らすのは侵入生物。例え周囲がブラックホール以上の密度になろうと、生存に影響はない。むしろ高密のエネルギーは、代謝の激しい侵入生物達には好ましい。より生活しやすくなる。

 収縮後の宇宙でも侵入生物はどんどん繁殖する。その生命活動に押される形で宇宙の収縮は停止。それどころかいずれは押し返し、宇宙自体を広げていく。

 やがて高まり続ける侵入生物の力によって空間さえも壊れる中、一部の小さな種が宇宙の最外縁、宇宙の外との境界である『膜』へと集まる。外へと漏れ出すエネルギーを効率良く摂取するための行動だが、小さな生物が何層にも重なり、ついでとばかりに宇宙の膜を食べてしまう。

 膜を食べながら小さな生物は増殖。最終的に宇宙の膜があった場所を埋め尽くすように並ぶ。空間は消え、代わりに侵入生物達が個々の好みに改変した物理法則が入り乱れる。

 侵入生物が宇宙に状態と言えよう。その時には宇宙ではなく生物が『世界』と化す。空間も、物理法則も、座標も、全ては生命が決める。そしてあらゆる生命の営みによりエネルギーが生まれ、『世界』は止め処なく膨張していく。

 一万五千にも分裂した侵入生物達の宇宙は、その全てが新たな世界生命となって増え続けるのだ。

 世界が肥大する中で、侵入生物達は更なる進化を遂げていく。圧縮された時間はどんどん短くなり、力は一層強くなり、繁殖力は際限なく高まる。終わる事はない。そこに生命がいる限り、永遠に世界は保たれ、生命は進化し続ける。

 いずれ侵入生物ネビオスは、祖先と同じだけ力を手に入れる。プランク秒の狭間を生き、無限を喰らい、死を克服し、全知全能を打ち破り、それでもなお繁殖に大部分を費やす力を。ルアル文明さえも遥かに超える版図と、それを埋め尽くすほどの数を。それさえも通過点であり、その先まで突き進む。

 そして歴史を重ねれば、いずれ出会うだろう。

 興味本位で触れてきた多宇宙文明に。進化した彼女達が一個体でも入り込めば、その痩せた環境に驚きつつも、自らの命さえも糧にして世代交代し、新たな環境への適応を試みるだろう。そして進化適応した新たな個体群が、迂闊な文明を餌にして繁殖。生存競争の果てに喰う喰われるの関係が出来上がり、無尽蔵に引き出されるエネルギーを糧にした進化が始まり、何かのきっかけで多宇宙文明はバラバラになって、個々の宇宙は生命に置き換わり、生命は進化し続けながら繁栄し、世界は肥大化し続け、また何処かの文明が生命の世界に触れる――――

 それは新たな繁栄ではない。彼女達の始まりである祖先種ネビオスでさえも、長く伸びた傍流の一つに過ぎないのだから。

 ……果たしてネビオスの『始祖』は今、どれほどの進化を遂げたのか。始祖のネビオスはどれほど繁栄し、そこから枝分かれしたネビオスと呼べる生命の数はどれほどなのか。ネビオスの子孫でありながら、宇宙を脅かさない種は如何ほどか。

 それらに答える事は出来ない。答えを語るための表現を知的生命体は持ち合わせていない。一つ言えるのは、どれだけ進化しようとネビオスの在り方は決して変わらない。

 自分の遺伝子を増やす。

 それこそがネビオスを『究極の生命』へと至らしめた原動力であり、未来永劫続く生存競争を生んだ呪いなのだから……

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究極の生命 彼岸花 @Star_SIX_778

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