新たな文明
ユミルがこの星に定住してから、三年の月日が流れた。
この地での生活にも大分慣れた。季節により大きく変わる気温、人命を奪いかねない嵐、鬱陶しい血吸虫、薬のない病気……ルアル文明から持ち込んだ技術が全て使えない状態だったなら、今頃死んでいたかも知れない。
しかし、ただただ圧倒されていた訳でもない。人間は成長し、環境に適応出来る生き物なのだ。
日々の畑仕事のお陰で、ユミルの身体は随分と鍛え上げられた。今まで鍬一本満足に使えなかったのに、今ではまあまあ様になった動きが出来る。重い荷物をせっせと運ぶ事もへっちゃらだ。恒星からの紫外線により肌は小麦色に焼け、それでいて血色も良い。
研究職という仕事を卑下するつもりはない。されどデスクワークから離れ、肉体を酷使した事で、ユミルの身体はとても健康的になっていた。この世界の環境に、よく適応した証と言えるだろう。
「おおおお……此処が、王都なのですか……!」
環境に適合した彼女は今日、新たな環境に足を踏み入れた。
視界いっぱいを埋め尽くす、煉瓦造りの家。今だ機械技術が発達していないこの星で、綺麗な煉瓦を量産するには優れた技術者が大勢必要だ。少なくともこの星の文明で一般的な家である、粗雑な木造家屋の何倍もの予算がなければ建てられまい。
そんな煉瓦造りの家が幾つも、いや、何百軒と並んでいる。これだけで此処がとても裕福で、文明水準の高い地域だと窺えた。道路も平たい石で舗装され、草がぼうぼうに生えた草原よりも遥かに歩きやすい。公共インフラへの投資が十分にされている証だ。
この地の発展を示すように多くの人々――――エルフの姿も見られる。ユミル達がいるのは道幅五メートルほどの大通りだが、行き交うエルフの数があまりに多くて窮屈さを感じるほどだ。道の両端には店が構えられ、人々を呼び込み商いをしていた。何処の店も盛況な様子で、経済が順潮である事が窺える。
無論『地域』の発展というのは、大通り一つ見て判断が付くほど単純ではない。スラムの有無や教育・犯罪状況など総合的に把握してようやく薄っすらと見えてくる。しかし今、この光景だけで判断する限り――――王国の首都・王都と呼ぶに相応しい発展ぶりだと思えた。
「いやー、懐かしいなこういうとこ。ルアル文明があった頃を少し思い出すぜ」
「ええ。この三年間、人通りどころか大型獣もいないような草原暮らしでしたからね」
ユミルの傍にはベーィム、手には籠に入ったダーテルフスもいた。彼等もまた王都の賑わいに感嘆した様子である。
確かにユミル達が暮らす場所は、壊れた宇宙船が一隻と、その地下に水晶生命体の小さな集落があるだけ。地域と呼ぶのもおこがましい生活基盤だ。
しかし少しずつ発展はしている。百年二百年と経てば、いずれ村ぐらいにはなるだろう。町並みだけでなく、人口の面でも。
「でも、三年前と比べて賑やかになりましたよね。人口も少し増えましたし……村長ベーィムさんのお陰ですかね?」
「よせやい、照れるぜ」
「ユミル。あまり彼を褒めないでください。すぐ調子に乗ってやらかしますから」
「そうですね。この前もそれで奥さんに叱られていたみたいですし」
「最近ユミルちゃんも俺に厳しくて辛い」
ユミルが暮らす大地の下には、ベーィム達水晶生命体の村がある。ベーィムが村長を努めており、少しずつだが生活基盤が整いつつあった。食物が主に土壌珪素で良い事もあって、食糧問題についてはほぼ解決していると聞く。
新しい世代の水晶生命体も生まれており、村は活気に満ちている。水晶生命体は成長が遅く、成人になるまで五十年は掛かるが……水晶で出来た身体は有機的な病気に掛かり辛い。有機生命体しかいないこの星で彼等の健康を脅かすものはなく、彼等の人口は今後ゆっくりと増えていくだろう。
懸念があるとすれば、この星の先住種族エルフとの関係だ。創始種族のような「多様性大好き種」でもない限り、異文化や異民族の迫害は歴史上大抵の種族がやっている。エルフ達も低頻度ながら他国と戦争をしているため、異種族への嫌悪を抱いてもおかしくない。
しかし現時点で、エルフと水晶生命体の関係は友好的だ。この国の王が争いを好まない事、水晶生命体も戦いが嫌いな事、ベーィム達の生活基盤が地下のため地上性のエルフと競合しない事、地下数十メートルの低酸素空間への侵攻が今のエルフには困難な事……様々な理由があって、戦いになる気配は今のところない。
一般市民のエルフもそこまで水晶生命体を嫌っていない事は、堂々と王国街道を歩くベーィムに対し、人々が然程嫌悪していない(二年前に存在が公表された事で大抵の人々は彼等の存在を知っている)事から明らかだ。永遠に仲良くしている事はなくとも、あと百年は平和に暮らしていけるだろう。
王国側も、ベーィム達が交易として提供している、豊富な鉱物資源により技術発展が進むだろう。ユミル達から提供された料理や医学、自然科学や生態系の知識も文明の発展に役立つ。エルフの文明は、揺るぎなく繁栄していくように思えた。
……ただ一つの懸念を残して。
今日、ユミル達が此処王都を訪れたのは、この世界ではまだ数少ない『科学者』としてその懸念を調べるためだ。
「おーい! ユミルーっ! ベーィム、ダーテルフス!」
自分達の名を呼ばれ、ユミルは声がした方に視線を向ける。
そこにいたのはアステアだった。彼は左手を大きく振り、自分の存在をアピールしている。
ユミルは駆け足で彼の下に向かい、笑顔を返す。
「アステアさん! お久しぶりです……その、体調はどうでしょうか? 何処かが痛むとか、ありませんか?」
「ははっ、相変わらず心配性だね。君達の治療のお陰で、あれだけの傷も一晩で治ってるよ。そんなのもう三年前に分かっているし、前に会った……半年前かな? その時にも言っただろう?」
「そ、そうですけど、でも私は医者ではなくて、ぶっちゃけヤブな訳で……何時問題が起きてもおかしくないというか……」
「君がヤブなら、国王専属医さえもただの物知りおじさんになってしまうよ。ああ、先に言っとくけどイリアナとゾアックも元気だ。君達がくれた義手のお陰で、なんの支障もなく騎士として戦えている」
むしろ無茶が出来る分前より強いぐらいだよ。そう言いながらアステアは笑う。冗談や気遣いではない、心からの笑みにユミルはほっと安堵の息を漏らす。
三年前に起きた侵入生物との戦いで、アステア達は重度の負傷を負った。アステアは内臓が損傷し、イリアナは片腕を欠損。ゾアックも片手を失い、背骨の損傷から下半身に麻痺が残る。アステアとイリアナの二人はそのままだと失血死が避けられない状態で、ゾアックも日常生活が困難になるのは容易に想像出来た。そしてエルフ達の未熟な医療技術では、彼等を回復させる事は不可能だった。
そこでユミルはレプリケーターを使い、医薬品と『義手』を製造。三人の治療を行った。付け焼き刃の医療知識だったが三人とも健康を取り戻し、今でも騎士として活躍している。
……作り出した医薬品と義手は、ルアル文明からすれば極めて原始的なものだ。特に義手はルアル文明ならば生体部品が基本なのに、今回作ったのは金属製の代物。しかし、だからこそこの星の文明レベルでも、超人的な職人ならば模倣出来る可能性がある。そこまで行かずとも、構造や発想を学ぶだけで数百年分の技術的飛躍が得られるだろう。
間違いなく、この星の文明に大きな影響を与える技術だ。以前ベーィムが言ったように、この星の住民となるのにそんな事を気にするのは些か『傲慢』であるが……それでも気にしていたユミルがここまで手を尽くしたのは、二つの理由がある。
一つはその怪我が、侵入生物によって与えられたものだから。侵入生物は恐らく、ユミル達の通ったマジックリングを経由してこの星に来た。見方を変えれば、ユミル達が来なければこの星に侵入生物は来ていない。アステア達の負傷は自分達の所為だという意識が、ユミルの中にはあった。
そしてもう一つは、文明発展への影響などという瑣末事を気にしている場合ではないかも知れないからだ。
その懸念は今、非常に強くなっている。
「……それで、例のものは?」
「王城の地下にある。案内しよう。こっちに来てくれ」
ユミルが話を切り出すと、アステアは歩き出す。ユミル達は言われた通りその後を追う。
行く先にあるのは、この世界でも特に巨大な建造物である王城。空高くそびえる純白の城は実に迫力満点だが、ユミルの心に感動はあまり湧かない。
『世界の危機』を実感して笑えるほど、ユミルは豪快な性格ではなかった。
……………
………
…
王城に辿り着くと、ユミル達は更に奥へと案内された。
騎士であるアステアが傍にいるからか、基本何処でも顔パスで通してもらえる。ルアル文明のセキュリティ意識からすると不用心極まりなく感じるが、指紋認証どころかカードキーもない世界でそれを言っても仕方ない事だ。
やがてユミル達は王城の地下に案内された。長い階段を下り、やがて辿り着いたのは……牢屋がずらりと並ぶ廊下。何処かに移送したのか牢屋の中には誰もいなかったが、なおも漂う不気味な雰囲気にユミルは足が竦む。
しかしアステアが先に進んだので、勇気を出してその後に付いていく。
やがて辿り着いたのは、大きな部屋へと続く扉。重苦しい鉄製のそれをアステアが開け、中に入る。
ユミル達も入ったその部屋は、そこそこ広い作りをしていた。数ある牢獄の一つなのだろうが、厳重な作りをしている。本来は重罪人を閉じ込める場所なのかも知れない。部屋の中央には大きな台が置かれていたが、それでも十人ぐらいは入れるだろう。
そして今、此処にはユミル達以外に三人の人物がいた。
内二人はイリアナとゾアック。こちらもアステア同様ユミルにとっては久方ぶりの再会だ。治した腕の具合についても(先程アステアから聞いたとはいえ)直接確認したい。とはいえ今それをしようという気にもならない。
何故ならこの部屋にいるもう一人の人物に、意識が向いたから。
老いながらも荘厳で理性的な顔立ちの男性エルフだった。凛と伸ばした背筋、マントや装飾を纏った高貴な出で立ち……そして頭に被った冠。更には彼が動くと、アステア達が一斉に跪く。
「直接顔を合わせるのは、これが初めてだな。余の名はジェイルハイク。この国の王を務めている者だ」
そして男性……ジェイルハイクは堂々たる言葉でそう名乗った。
「おおおお、王様!? わわわわわ」
「お初にお目に掛かります。私はダーテルフス。こちらの女性はユミル、水晶がベーィムと申します」
「うむ。貴殿らの事は、余の息子達から聞いている。その知識と技術に、改めて感謝を伝えよう」
慌てふためくユミルを他所に、ダーテルフスは王と(敬語ではあるが)親しげに話す。ベーィムも膝を付きながら頭を垂れ、慣れた様子だ。
自分だけわたふたしていた事が恥ずかしく、ユミルも慌ててアステア達の真似をする。王から許しが出て、すぐに立ち上がる羽目になったが。
色々バツが悪いが、ユミルはすぐに気持ちを切り替える。無論王族への態度は今後改善すべき点だが、それはこの牢屋に訪れた真の目的ではない。
ユミル達の目的は、台の上に乗せられた生物の調査だ。
「早速だが、見てもらいたい。この生物が、なんであるかを」
「御意の通り」
王からの命を受け、ベーィムは台の上の生物に近付く。ユミルも傍に行き、注意深く観察する。
その生物の体長は、ざっと二メートルはあるだろうか。
体色は炭のように黒い体毛に覆われている。一部毛が剥げている部分の表皮は白く、色素を失っているようだ。身体のあちこちに刺し傷、特に背中側に深い傷がある事から、激しい『戦闘』をしたと分かる。
背筋はかなり直線的で、手足はその背筋に対し垂直方向に伸びていた。死後硬直などを考慮しなければ、恐らくこの生物は四足歩行で歩いていたのだろう。体躯は寸胴型をしており、豚やイノシシのような体型だ。
臀部に尻尾はなく、虫の腹のような円錐型をしている。或いは尻尾だった部分が、小さく退化したのだろうか。よく見ると末端には穴が空いている。糞や卵を生むための排泄口と思われた。
頭部は大きく、五十センチはあるだろう。口は左右に開閉する作りになっており、内側にはずらりと歯が並んでいた。ただしその歯は短く、平べったい形をしている。目は左右に一つずつ、合計二つが側面にある。角が二本生えているが、薄くて細い。ちょっとした事で簡単に折れてしまいそうなそれは、武器には使えないだろう。
見た目は大きく違う。けれどもそれは大した問題ではない。奴等の進化速度を思えば、むしろ三年でこの程度にしか変化しなかったと言うべきか。
「……恐らく侵入生物。アステアさん達が三年前に戦った、あの生物の子孫と思われます」
自分達が呼んでいたその生物の名前を、ユミルは言葉に出した。
驚く事ではない。
三年前、ユミル達(正確にはほぼアステア達の活躍だとユミルは思っているが)は侵入生物と戦った。最終的に侵入生物は自爆し、跡形もなく吹き飛んだが……ユミルは引っ掛かっていた。繁殖を最優先にしていた奴等の末裔が、いくら追い詰められたとはいえ自爆などするだろうか。
ひょっとするとあの自爆は目眩ましで、本体は何処かに生き延びているのではないか。
確信はない。だが考えられる可能性だった。無論自爆したけど何処かに生きている、というのはあまりに荒唐無稽な話である。しかし直に侵入生物と戦ったアステア達はユミルの考えに同意し、国王に進言を行っていた。この世界の何処かで侵入生物が繁殖していないか、調査を行うべきだと。
国王はアステア達を信用し、この三年間様々な場所に騎士団を派遣。調査を行い、そしてついに結果が出たのだ。考えられる限り、最悪の形で。
「……この生物は、何処で確認されたのですか? それと数とかも分かりますか?」
「北に広がる草原地帯よ。発見したのは私が率いていた部隊。定期巡回中に発見したから、私達で仕留めたわ。群れで動いていて、この一体以外はちょっと追えなかった」
「他にも南の森林地帯と、西の砂漠でそれらしき生物が発見されている。西の奴はかなり凶暴で、家畜などが襲われているようだ。被害件数からして、多分一体二体なんて数じゃない」
「だが一番不味いのは、恐らく南の奴だね。ちょっと大きめの虫のような姿らしく、かなり繁殖していると聞く。実のところ二年前から森が丸裸になる被害が出ていたようだが、そこは帝国領で王国側では調査が出来ていない。帝国は弱みを見せまいと隠していたらしいが、いよいよ手に負えなくなったみたいでね。今になって泣きついてきた。今、標本を取り寄せている」
ダーテルフスが確認すると、イリアナとゾアック、そしてアステアはそう答えた。
一度に三ヶ所で発見されるとは。想像以上の拡散ぶりに、ユミルは目眩に似た感覚を覚える。しかも話通りなら、かなり繁殖しているらしい。この調子では、本当に東には何もいないのか怪しく思えてきた。
だが、まだ絶望はしない。
している場合ではないというのもあるが、一つの『可能性』が脳裏にあるからだ。
「あの、私からも質問です。噂話程度でも良いのですが、その生息地で見られる侵入生物らしき種は一つだけなのでしょうか?」
「西のやつは、恐らく一種類だけだね。ただ北の草原は、もしかすると二種類以上いるかも知れない。今回捕まえた奴等の群れを追いかける、
アステアの話が真実であれば、種分化もかなり進んでいるらしい。餌資源が豊かな森で多様化が進み、過酷な環境の砂漠では一種だけというのは、傾向としては頷けるものだ。
それに、言い方は悪いがエルフ達の生物学はお世辞にも進んでいるとは言えない。恐らく分類は外見頼り。生殖器や内臓レベルでの違いは把握しておらず、未確認種が発見されたものの数倍いても不思議はない。ましてや虫ほどの大きさしかない小型種となれば、全ての種を発見するのは無理な話だろう。
詳しく調査しなければ断言出来ないが、この三年間の間に侵入生物は相当多様化したようだ。この星の環境に適応し、着実に勢力を広げている。困難なのは分かっていたが、初期対応には失敗したと言わざるを得ない。
しかし世界の終わりだと、諦めてしまうには早い。
「最後に……この生物、強かったですか?」
この答え次第では、話が大きく変わるからだ。
「……まぁ、強かったわ。うん。部下が何人も大怪我をして、今も治療しているし。ただ……」
「思ったよりは、強くなかった?」
「ええ。矢は普通に刺さるし、出来た傷の治りは、早いと言えば早いんだけど、三年前ほどじゃないし。あとコイツも口から火を吐いたけど、地面を溶かすほどじゃなくて、火傷する程度というか……直撃すれば死にかねないけど、しない限り死なないというか」
ユミルの問いにイリアナは不思議そうに答える。今でも納得していないと言いたげだ。
それだけ、侵入生物が弱かったという事なのだろう。
確かに話の通りであれば、三年前の侵入生物とは比にならないほど弱体化している。イリアナの話を事前に聞いていたであろうゾアックやアステア、そして国王は怪訝な表情を浮かべていた。
彼等には分からない。どうして侵入生物がここまで弱体化したのか。
何故ならエルフの文明では、まだ『進化生物学』が未発達なのだから。いや、進化生物学が十分進歩していても、生物学者以外の者は誤解している事も多い。進化という概念は、大半の知的生命体の思考パターンにはそぐわないものなのだから。
だがユミル達は分かる。
「……イリアナさんの話を聞いて、確信しました。侵入生物は進化し、この世界の環境に適応しています」
「ふむ? 進化というのは……確か、生物が世代を重ねるほどに、より優れた存在になる事だったか? 弱くなったのであれば、それは優秀とは言い難いと思うのだが」
「えっと、も、申し上げ難いのですが、それは誤りです。進化とは優れたものに変わるのではなく、その環境で生きていけるように変わる事です」
国王の疑問に答えながら、ユミルは侵入生物が辿ったであろう進化について思い描く。
この世界にやってきた侵入生物は、圧倒的な力を持っていた。
三メートルもの巨躯である事を考慮しても、アステア達三人を一方的に蹂躙する身体能力。吐き出すブレスは大地を溶解し、弓矢さえ見切る動体視力も誇る。その肉体は剣で刺されても致命傷とはならず、時には弾き、ようやく傷付けてもたちまち治ってしまう。
兎にも角にも凄まじい能力で、だからこそアステア達はあそこまで追い詰められた訳だが……だからこそ問題がある。
その身体で消費されるエネルギーを、どうやって賄うのか?
量子ゆらぎ操作により無からエネルギーを生み出していた個体でも、『強さ』には限度があった。何故なら量子ゆらぎ操作を行うにもエネルギーが必要で、そのエネルギーは食事など外部から取り込んだもの。外部のエネルギーは有限であるため、必然量子ゆらぎ操作の出力も有限だからだ。侵入生物は全知全能の神さえも打ち破ったが、その性質は『なんでもあり』ではない。
この世界に訪れた侵入生物は、量子ゆらぎ操作の力を使えない。だから消費するエネルギー量は、ルアル文明を滅ぼした種より遥かに少ないだろう。
だが人間やエルフと比べればどうだ?
量子ゆらぎ操作が使えないなら、その肉体は恐らく有機物により出来ている。有機物は多様であるが、自然に合成されるものであればそこまで突飛な性質のものは少ない。仮に人間やエルフと似たような成分ならば、一定のパワーを出すのに使うエネルギー量はほぼ同じ筈。つまり凄まじい身体能力を持っていれば、相当消耗が激しい。
消耗が激しいならば、餌をたくさん食べねばならない。だが獲物の数は有限だ。繁殖する量よりも多く食べれば、その土地の食べ物はなくなる。共食いをしたところで、無から有が生まれない以上時間稼ぎにしかならない。
例え世界を破壊する力があろうとも、食べ物がなければ飢えるしかない。
そもそも、
「……成程、話が見えてきた。確かにどれほど強くとも、飢えて死んでは意味がないな。誇りのない獣ならば尚更だろう」
「その通りです。獲物が十分であればその強さを維持出来たでしょうが、この世界は侵入生物が棲んでいた場所ほど生き物は多くありません。獲物がいないのなら、弱体化する方が合理的なんです」
侵入生物は最強の存在になろうとしている訳ではない。生物の本能のまま、繁殖しようとしているだけ。ルアル文明で観測された数々の行動からもそれは明白である。
だから余った力なんて躊躇いもなく捨ててしまう。量子ゆらぎ操作の力を捨てて、この世界を訪れたように。
量子ゆらぎ操作も使えず、並の獣に成り下がりつつある生き物を、侵入生物と呼ぶのは正しくないだろう。新たな環境に適応した新種の生命体……
「外界生物……ふむ、お前達がそう呼ぶなら、我々もそうしよう。して、この外界生物はどうしたら良い?」
「駆除をするのであれば、俺達は何時でも出撃出来るぜ。この程度ならちゃんと部隊編成すれば、一般兵でもなんとかなるだろうしな」
王からの問い、そしてゾアックの言葉に、ユミル達は少し思考を巡らせる。
……この星の環境に適応して、外界生物は先祖である侵入生物よりも更に力を落とした。最早アステア達にとって脅威とは言えない。
しかし話通りなら、草原に暮らしていた種は炎ぐらいなら吐くらしい。十分危険な存在である。そしてその数は着実に増えている。個体単位で弱体化しても、種としては今の方が余程強大だろう。時間が経って更に個体数が増えれば、王国のみならずエルフの総戦力をも上回るかま知れない。
それにほんの三年前まで、量子ゆらぎ操作能力を持っていた一族の末裔なのだ。一度失われた形質を再獲得する事は、生物進化では稀に見られる。例えば藻類では、光合成に必要な葉緑体の退化・再獲得は頻繁に起きている。外界生物達も、いずれ量子ゆらぎ操作の力を再獲得するかも知れない。そうなればエルフの文明など、たちまち滅びてしまう。それが百年後、千年後の出来事だとしてもだ。
例えどちらの懸念も起きずとも、外界生物は所謂『外来種』。繁殖すればこの星の生態系は乱され、幾つもの種を絶滅に追い込み、環境に悪影響を与える。最悪エルフの生存に必要な環境が崩れ、絶滅に追い込まれるかも知れない。そこまでいかずとも漁業資源や山菜資源の減少を引き起こし、エルフ達の生活を悪化させるだろう。
そういう意味では、さっさと絶滅させた方が良いに決まっている。
しかし先祖である侵入生物の繁殖力を思うと、駆除はかなり難しい。実際には身体機能が人間など普通の生物に近付いたのと同じように、繁殖力も相当低下している筈だが……それでもたった三年で、草原や砂漠、森で多くの個体が確認出来るほど増えている。一般的な獣に比べれば繁殖力旺盛なのは間違いない。剣と魔法で減らすのは困難だろう。
おまけに侵入生物の形質を受け継いでいれば、外界生物も単為生殖で増える可能性が高い。有性生殖をする生物なら、異性または同種と会えなければ繁殖出来ないため、ある程度個体数を減らせれば(=仲間との遭遇頻度を減らせば)子孫の数が急減し、勝手に絶滅へと向かうが……外界生物にこれは期待出来ない。最後の一体まで駆除する必要があるが、体長三メートルの侵入生物すら見付けられなかったのに、より小型かつ多様化した今回はどうして可能だと言えるのか。
そして一番懸念すべきは、進化速度だろう。
エルフ達の報告通りだとしても、たった三年で十三種以上にまで種分化した。侵入生物ほどではないが、急速に進化して環境に適応する能力があるのは間違いない。駆除活動をすれば間違いなくそれに適応してくるだろう。それがどんな進化を引き起こすかは、いくらユミルでも予測は出来ない。侵入生物達の末裔と慣れば尚更である。
迂闊に手は出せないし、出すべきではない。
「……正直、どうしたもんかね」
「ええ。望ましいのは駆除ですが、奴等は間違いなく適応してくるでしょう。下手に淘汰圧を強めると、かなりとんでもない種が誕生しそうです」
「だからって放置しても、ろくな事にならないだろうしなぁ……」
ベーィムとダーテルフスが意見を交わすも、名案は出ず。
ユミルも考えてみるが、やはり良い案は浮かばない。
しかしベーィムが言うように、放置してもろくな事にならないのは明白だ。何かしなければならない。だが何をすれば良いのか分からない。
……あまりに悩み過ぎて、ユミルはちょっとムカついてきた。なんでこの世界に来てまで奴等の事で頭を痛めなければならないのか。何時までも喰われる事に怯えなければならないのか。
あちらがこの世界を食い尽くすつもりなら――――
「いっそ、食べてやろうかなー……」
悪態混じりの言葉が、ぽつりと口から漏れ出た。
ハッとした時には既に遅し。国王やアステア達の視線が一斉にユミルの方へと向く。
「食べる? 此奴は食べられるのか?」
「ふぇ? ……え!? あ、ちが……今のは、その、食われるぐらいなら逆にこっちから食べてやろうかという、いわば反骨精神で……」
王から問い詰められ、ユミルは慌てて弁明。何か意味があって話した事ではないだけに、これを作戦と思われては困る。
「いえ、もしかすると良い案かも知れません」
ところがダーテルフスが、この『案』を肯定した。
「せ、先輩!?」
「外界生物の根絶は恐らく不可能でしょう。ならば逆に、それを利用するのです。奴等を資源として活用します」
「……家畜化を狙うのか?」
「そうです。何しろ繁殖力は旺盛。どんな環境にも適応し、進化も早い。食性も恐らく自由に改良可能……家畜として考えれば、最高の生き物でしょう?」
ダーテルフスの意見に、ベーィムは「確かに」と納得を示す。ユミルは後ろであたふたしつつ、その考えには肯定的な印象を抱いた。
外界生物……その祖先である侵入生物は、繁殖を行動原理としている。
だからこそ恐るべき存在だが、見方を変えれば、奴等は繁殖さえ出来ればそれで良い。ルアル文明を滅ぼしたのは、自身が繁栄する際の『巻き添え』に過ぎないのだ。
ならばエルフ達が彼等の繁殖を手助けすれば? 餌付けや繁殖の手伝いを行えば?
奴等はそれに頼る進化をする筈だ。何故なら人が手助けする分、今まで使っていたエネルギーを削減出来る。減らした分のエネルギーを繁殖に回せば、もっと子孫を残せる。その方が子孫を残せるのなら、侵入生物は必ずそう進化する。
進化というのは本来ランダムな筈であり、侵入生物達も同様の変異を遂げているのは観測されている。だがそれでも奴等はまるで意思を持つかのように、或いは導かれるように、どんな進化もしてきた。ならば今回もきっと進化する。
そして「家畜なんて嫌だ」なんて、人間的な感性を奴等は持ち合わせていない。繁殖するためなら自爆すら惜しまないのに、家畜化を嫌がる訳がない。
「もしも家畜化出来れば、メリットは大きいです。高い繁殖力で、安定的にタンパク源を供給出来るでしょう」
「ふむ。肉類の増産が出来るのは嬉しい事だ。強い兵士を作るには、食事に適度な肉が含まれているのが好ましいからな」
「それに元とはいえ侵入生物だ。上手く改良出来れば、色んな素材が作れるかも知れん。繊維や色素が得られれば、工業的な資源にもなるぞ」
「馬のように騎乗動物に出来れば、物流も改善出来るかも知れないね」
ダーテルフスや国王、ベーィムにアステアが明るい未来を語る。無邪気に、慎重に、大胆に。
究極の文明を滅ぼした生き物を利用する。
果たしてそれが上手くいくか、ユミルには分からない。失敗すれば大きな被害が出るだろう。だが
世界は変わっていく。ならばその環境に適応し、繁栄しなければならない。それは侵入生物の有無に関係なく、生命が暮らすあらゆる星で繰り広げられてきた生存競争の形だ。
例えエルフや人間でも、この星で生きる以上生存競争からは逃れられない。
だからもう、後はやるかやらないか。生き残るために力を尽くすか否かでしかない。
「……ああもう! ただの悪態を真面目に受け取らないでください! というかその計画には問題があるじゃないですか! 最初の一匹はどうするとか、そもそも食用になるのかとか!」
乗り気な面子に悪態を吐きつつ、ユミルは自身の口から出た作戦に駄目出しを行う。
この星で生きていくために、駄目なところは徹底的に潰さねばならないと覚悟したがために。
――――彼女が知る事はない。
このエルフ文明が、やがて新たな『究極の文明』に至る事も。その文明の支配者がエルフと自分の間に生まれた子……が、うっかり生焼け状態の外界生物を食べた事でその細胞が混ざり生まれた種族である事も。数百世代後に量子ゆらぎ操作の力を取り戻し、家畜共々侵入生物が如く超越的生命体となり……その能力によってルアルをも超える文明と繁栄を成し遂げる事も。
しかし知る必要なんてない。生きた先にあるのが希望だろうと、絶望だろうと、生命がやるべき事はただ一つ。
この瞬間を全力で生き抜き、その命を未来へと繋ぐ事なのだから。
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