鎌鼬(10)

「では失礼いたします」


 玄関先で秋元あきもと静香しずかの母親に挨拶を済ませ、和久井と伊関は停めておいた車へと乗り込む。

 二人は何とも形容しがたい複雑な表情を浮かべながらシートに深く身体を落とした。


「……和久井さんはどう思います?」

「……どうと言われてもなあ」


 二人は互いの顔を見ることなく、フロントガラスの向こうへと視線を送ったままだ。


「化物ねえ……」

「彼女、やはりまだ襲われた時の恐怖で記憶が混乱しているんでしょうか?」

「まあ、普通はそうなんだろうけどよ……でもなあ……」


 和久井の返答は歯切れが悪いが、それを聞いた伊関にしてみても和久井のその気持ちはよく理解出来た。

 むしろこちらが混乱するような話を聞かされたばかりだったのだから。


 静香は二人に向かってはっきりと言い切った。


 自分を襲ったのは人間ではなく化物だったと。


 犯人の姿を見ていないのではなく、見えなかったのだと。


 あの時、あの場所にソレは確かに存在していたけれど、自分の目には何も見えなかった。そして襲われる前に首筋を味見するかのように舐められたのだと。


不可視インビジブルの犯人ねえ……」

「あれ?和久井さん、意外とそういう言葉知ってるんですね」

「茶化してんじゃねえよ。前にそんなタイトルのドラマをうちの嫁さんが観てたんだ」

「ああ、それで。俺もそれは観てましたよ。でもあれはテレビドラマだし、犯人はちゃんとした人間でしたよ。でも彼女が言ってたのは本当に人には見えない、幽霊とか妖怪とかの化物の事だと思いますよ」

「ああ、ありゃあ完全にそのつもりで言ってたな」

「さすがにあの話をそのまま鵜呑みにするわけには……何か新しい話が聞けるかと思ってましたけど、ちょっと今回は無駄骨でしたかねえ?」

「あんな荒唐無稽な話を聞いたってのに、疑問形で喋ってる時点でお前も何か引っかかってるんだろ?」

「……和久井さんもでしょ?」

「まあな……。多分、お前と同じだよ」


 二件目、三件目の事件において、警察が発表していない事実がある。

 それは両事件において、被害者が複数個所切りつけられていたのに対して、遺体発見現場周辺に血痕がほとんど落ちておらず、被害者の体内の血液のほとんどが無くなっていたという点だ。

 当初は他の場所で襲われて血を抜かれた後に発見現場に運ばれたのではないかとの意見があったが、遺体に浮き出ていた死斑の状況からしても、発見現場が事件現場で間違いないとの鑑識からの報告が上がっていた。


 この共通点が両事件の犯人が同一犯である事を裏付けていると考えられ、通り魔による連続猟奇殺人事件として捜査が行われている。


「化物が人間を襲って血を吸った……」

「馬鹿げた妄想だが、そう考えたくなるほどに気味の悪い事件だ……。今の話にしても妄想にしては妙に具体的な話だしな……」

「もし彼女の言っている事が本当だとしたら……」


 伊関はそんなはずは無いと思いつつも、心のどこかでそれを否定しきれない。

 現場の状況と静香の証言は化物の存在の有無を無視するならば、十分に考慮に値するものに感じられた。

 あくまでも有無を無視すれば、であるが。


「俺たちはそういうオカルトじみた発想を捨てて事件と向き合わなきゃならん。……でもな、長い間刑事をやっていると、本当に俺たちの知らないナニカって奴が事件を起こしてるんじゃないかって思う時がたまにあるんだ。そうじゃなきゃ説明が付かないような事件がな。まあ、実際にそうだった試しは無いけどよ」

「そりゃそうでしょうね。俺だってそんなのは聞いた事無いですから」

「でもそれは俺たちが知らないってだけで、本当はのかも知れねえよな。化物って奴はよ」

「和久井さん?」

「山ほど現場にホシの証拠が残されていても捕まらねえ奴もいりゃあ、全く何の手がかりも見つからないまま迷宮おみや入りする事件もある。そういうのってよ、俺たちじゃあ理解出来ないようなナニカが裏で動いてるんじゃねえかって、たまにそう思っちまうんだよ。これがホシを上げられない不甲斐ねえ自分への言い訳だってのは分かってるんだけどな」


 そう言うと和久井はポケットから煙草を取り出し口に咥える。


「和久井さん……勤務中は禁煙ですよ」

「硬えこと言うなよ……」


 伊関の注意を文句を言いながらも素直に受け入れる和久井。

 咥えていた煙草を箱に戻し、再びスーツのポケットに戻した。


「ちょっと早えが一先ずどっかで昼飯にしようや。そこなら煙草吸っても文句ないだろ?」

「今は喫煙可の飲食店なんて無いですよ?」

「……化物とか関係なしに生きにくい時代になっちまったなあ」

「煙草くらいで大袈裟すぎます。でも飯には賛成です。一旦栄養補給してから情報を整理しましょう」


 そう言って二人を乗せた車はようやく市街地へと向かって走り出した。



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