第6話 距離あるめぐり逢い
「やっと着いた」
手頃な丸太に腰を下ろし、息を大きく吐いた。
ここは願いが叶うという『神秘の泉』へ続く道中にある、唯一の安息地。ほとりにある小さな池は神秘の泉から流れてきているらしく、魔除けの効果があるのだという。
この先も険しい道のりが続くため、このタイミングでしっかり身体を休める必要があるのだ。
さっそくポーチの中から携帯食を取り出そうとしたそのとき、思いも寄らない声が飛んできた。
「アルム?」
人を引きつける中性的な声色。その背後に潜む、確かな自信。アルムにとって、とても耳障りなあの声。
「ホルス……」
赤いマントをなびかせる彼の名が口からこぼれ落ちる。それを受け止めるかのようにホルスは柔らかく微笑んだ。
「こんなところで会うなんて奇遇だね」
「勇者さまのあんたがいるってことは、何かやっかいごとでも訪れたのか?」
「そうだとしたら君の手を借りたいところだったんだけど、残念ながら今日は違うんだ」
ホルスは荷物を下ろすと、集めた小枝を放射状に並べ始めた。指先に灯した炎を近づけると、小さなたき火がパチパチ音を立て始めた。
そこにどこから取り出したのか、串に刺さった小さな肉の塊を突っ込んだ。
「初めて会ったときも、それ食べてたよね」
「そうだったか?」
「そうさ。よく覚えてる」
そこで会話は途切れ、たき火の音だけが辺りを包み込んだ。近からず遠からずのなんともいえない距離感が二人の今の関係を物語っているようだった。
焦げ茶色に染まった肉を口に運ぶホルスには目もくれぬまま、アルムは携帯食を胃の中に流し込んだ。
水を飲み終えたタイミングで、ホルスはふいに「どうだ、旅の方は順調か?」と尋ねてきた。
特にこれといって言いたいことも思い浮かばず、適当に「ぼちぼち」とだけ返した。
「そうか。僕はまあ、はは、順調といえば順調さ。この前なんか、こんぐらい巨大なドラゴンも倒してみせたんだ」
ホルスは手を大きく広げて「どうだ」と言わんばかりにはっはっはと笑ってみせた。
だが、一見威勢よく見えるその態度もアルムから見ればから元気にしか見えなかった。でなければ、聞いてもないのに自分のことを語るようなまねだってしないはずだ。
「そんなイケイケな勇者さまが、どうしてこんなとこにいるんだ?世界平和への願掛けか?」
「まあ、そんなところかな」
歯切れの悪い返事が返ってくる。
「……ラシッドたちのことか?」
その名を口にした途端、ホルスはあからさまにうろたえた。
「やっぱりそうだったか」
「まさか、知ってたのか?」
「知らない訳ないだろ。『勇者の仲間が全滅した』なんて」
くどい言い回しをせずに言うと、ホルスは少しだけ落ち着きを取り戻したように見えた。
「アルムは変わんないね、安心したよ」
「どういう意味?」
「そのままの意味だよ」
そう言って微笑んだホルスの表情はたき火に照らされていっそう穏やかに見えた。その顔が腹の虫をチクチク突き刺してくる。
「ラシッド、メイ、シエン。みんなのおかげで、たしかに魔王を魔界に追いやることはできたんだ。けど、代償があまりにも大きすぎる」
「……」
短い間とはいえ、アルムもかつては共に旅をした仲間だ。彼らの訃報を耳にした時はさすがに何かの間違いだと疑ったし、起こったことについて事細かに知っておきたくもあった。
だが、これ以上古傷を掘り返すのはためらわれた。なんとなく、これ以上踏み込むと面倒なことが増えそうだと予感した。
「魔王を追いやっただけじゃダメなんだ。僕がちゃんと倒さなきゃいけないのに……」
まるで自分に言い聞かせるかのように言葉を吐き出すと、そのままうなだれてしまった。
手持ち無沙汰になったアルムは胸元からあるものを取り出した。旅を始めた時から肌身離さず首にかけているペンダントだ。深みのある青色の輝きはいつ見ても綺麗で、辛いことも嫌なことも忘れさせてくれる。
たき火に向けてそれを掲げると、中心に埋め込まれた小さな宝石がキラリと輝いた。
「アルム、そのペンダントはどうしたんだ?」
「どうしたも何も、お前と旅してる時には付けてたけど?」
「そ、そうか。これは失礼」
微妙な面持ちになりながらも、話を止める気配はなかった。
「でも見たところ、かなり年季が入ってそうだね。いつ手に入れたんだ?」
「4年前にもらったんだ。大事な親友からな。まあ、今となっちゃもう会えないけど」
最後の言葉を聞いた瞬間、ホルスはあからさまに顔をくもらせた。少し逡巡したような素振りを見せた後、ホルスはおそるおそる口を開いた。
「アルム、最後に言ったそれは本当か?」
「わざわざそんな不謹慎な嘘をつくように見えるか?」
「いや……」
口をもごもごさせながらうつむいてしまった。
「でも、あえて言う必要だってなかっただろ?もしかして、今の僕なら同情してくれるとでも思ったかい?」
「同情、ね」
たしかにあえて付け加えたのは事実だった。でもそれは、ある種の痛み分けに近い。
人は誰かに寄り添い、支え合いながら生きていくものだ。大切な人を失うと、その支えも失ってどん底に叩きつけられる。耐え難い苦痛に苛まれ、そこから這い上がるのも容易ではない。
それでも"勇者"という称号を背負っている以上は、周囲から寄せられる希望を受け止めなければならない。そんな重圧の元に、ホルスは今立っているのだ。それに比べたら、この程度の痛み分けなどほんの気休め程度にしかならないだろう。
「はあ。最近はうまくいかないことだらけさ。昨日はツテのあるギルドから引き入れた仲間がこぞっていなくった。これももう何度目か分からない。世界平和のためとかいいながら、結局は名声が欲しい人がほとんどなんだ」
仲間というのはおそらく、以前スイレン村で見かけた人たちのことだろう。勇者が仲間作りに苦戦しているという話は噂程度に聞いていたが、どうやら本当だったようだ。
「勇者がこんなに辛いなんて、昔は思いもしなかったな」
半ば独りごちになりながら、ホルスは空を仰ぎ見た。こんなにも弱音を吐いて憂いた目をしているところは今までで一度たりとも見たことがなかった。
アルムが目を丸くしていることに気づくと、ホルスは元の憎らたしい笑顔に戻った。
「なんてね。そうだ、一応聞くけど、また一緒に旅をする気はないか?」
ホルスの誘いに対し、アルムは首を横に振った。
「やっぱりそうか」
そう言ったホルスは少しだけ笑っているように見えた。
彼は簡易テントを広げると、静かに中に入っていった。その背中は勇者とは思えないほど小さく見えた。
消えゆくたき火ごしにしばらく見つめたあと、アルムも簡易テントを広げて横になった。
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翌朝、目を覚ましたアルムはすぐにその場を離れた。テントがあるのを見るに、ホルスはまだ寝ているようだった。
昨日ホルスが歩いてきた方の道に入り、神秘の泉を目指し始める。緩急ある森道を進んでいくと、やがて大きな泉が姿を現した。淡く光る水面は底が見えるぐらい透き通っていた。
手を入れると、ヒンヤリとした感触が全身を駆け巡る。その後、優しい温かさが胸の内側からじんわりと広がっていく。冷たいのに温かい、なんとも不思議な感覚だ。
ひとしきり堪能したところで、アルムはここに来た目的を実行に移し始めた。耳にした言い伝えによると、泉に両手を入れながら願い事を頭に浮かべるのが正しい作法らしい。
袖をまくり、手首までを静かに泉につけるとそっと目を閉じた。すると、あらかじめ考えておいた願い事の他にもうひとつ、嫌いなあの顔と今はもういないその仲間たちの姿が浮かび上がった。
少しばかり逡巡したのち、願い事をもうひとつ追加することに決めた。
(私だけの放浪記が無事に完成しますように。それと)
ここで一度区切り、軽く息を吐いた
(ホルスの奴が魔王を討伐できますように)
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