アルムの放浪奇譚

杉野みくや

第1話 奪われた晩ご飯

 アルムは今日イチの集中力を注いでいた。


 青みを帯びた魔法剣を手に、一歩、また一歩と音を立てぬよう前進していく。

 キッと睨んだ彼女の視線の先には、茶色の体毛に3センチほどの牙を携えた小型のワイルドボアが一頭。地面に落ちている木の実をのんきにむさぼっていた。


 口の中にあふれ出るつばをごきゅっと飲み込む。昨日からまともな食事を取っていないアルムにとって、目の前の獲物はもはやただの肉塊にしか見えていなかった。

 ただ、少しでも音を立てようものなら、あっという間に逃げられてしまうのがオチである。お腹が鳴りそうになるのを何度も我慢しながら、慎重にその背後を取る。魔法剣が届く範囲に潜り込んだら、後はこちらのもんだ。


「せい!」


 豪快に振り下ろした魔法剣は水色の円弧を描きながらワイルドボアの体を切り裂いた。「プギャー!!」と悲鳴に近い鳴き声を上げながら、ワイルドボアは地面に倒れ込んだ。

 絶命したのを確認してから、剣についた鮮血を振り払う。そのまま手の力を緩めると、魔法剣は音もなく消え去った。


 魔法剣とはその名の通り、魔力で作り出した剣のことである。錆びるといったことはないため、本当は血を払う必要はないのだが、昔からの癖でやらないと気が済まないのだ。


 緊張がほどけると、今まで抑え込んでいた腹の虫がぐ~っと大きな声をあげた。たまらず懐からナイフを取り出し、ワイルドボアの大きな傷口に突き立てた。


「やっと、やっとご飯が食べられる……」


 空腹が限界に達していたアルムは、血眼になりながら肉をかきだしていった。ワイルドボアにしてはサイズが小さかったが、それでも一夜を過ごせるだけの量は十分に確保できた。

 さっそく、昼間にくんできた川の水で血を軽く洗い流し、そこら辺に落ちている枝に刺し込んでいく。


 魔法が使えれば万々歳なのだが、昨日から何も食べてないせいで十分な魔力は残っていなかった。野宿をする以上、最低でも魔法剣を作り出して戦えるぐらいの魔力は残しておく必要があるため、今は極力省エネが求められる状況だった。

 全ての肉を刺し終えると、今度は一回り大きな枝をできるだけ拾い集め、一カ所に置いていった。


「念のために持っていた火打ち石がまさか役に立つ日が来るとはね」


 カッ、カッという軽い金属音が森の中に響き渡る。火花は散るが、火をつけるのにはだいぶ苦労した。小さな火だねが生まれては消えてを繰り返し、ようやく大きな炎に成長した時にはすっかり陽が暮れていた。


 パチパチと音を立てる炎の中に赤みを帯びた新鮮な肉を投入。獣臭の混じった香ばしい匂いが空っぽの胃袋をこれでもかと刺激してくる。思わず喉を鳴らしてしまう。


「いただきます」と手を合わせるとすぐ、不格好な肉塊に豪快にかぶりついた。とたん、肉汁がじゅわっとあふれ、口へと流れこんでいく。


「ん〜!美味おいひい〜」


 空腹の苦しみから解放されたアルムはいまにも涙が出そうだった。

 人目を気にせず、ガツガツ食べられるのが野営の良いところ。1日ぶりの晩餐を楽しむアルムの頬は緩みに緩みまくっていた。


 あっという間に1本目の肉を食べ終え、次の肉に手を伸ばした。しかし次の瞬間、目の前から全ての肉がぱっと消えてしまった。何が起こったか分からず、「え?」と声を漏らしてしまう。

 その間に、「キャキャー!」という煩い鳴き声が離れたところから聞こえてきた。


 その方にばっと目を向けると、一匹のマントヒヒが走り去っていくのが見えた。その手にはなんと、先ほどまでそばにあった大事な大事な肉がしっかりと握られているではないか。


「おい待て!」


と叫びながら、すかさず後を追いかけ始めた。あの肉だけは逃しちゃいけない、と本能が強く訴えていた。

 しかし、マントヒヒは木の上を器用に渡りながらどんどん距離を引き離していく。このままでは見失ってしまうのが目に見えていた。


 走りながら、手のひらに小さな氷の球を作り出す。肉を少しだけ口にした分、これくらいの魔法を使うだけの余力は回復していた。

 マントヒヒに狙いを定めると、トゲついた氷球を放った。氷球は青白い弾道線を描きながら一直線に向かっていき、マントヒヒの背中に直撃した。


「ギャギャ-!?」と金切り声をあげながらマントヒヒは地面に落ちていった。すかさず魔法剣を作り出し、いっきに距離を詰め始めた。


「おまえも晩ごはんにしてや、なっ!?」


 刃物のように鋭い睨みを効かせたその瞬間、マントヒヒは狂ったように手足をじたばたと動かした。すると辺りに土埃が舞い始め、一瞬にして視界を奪われてしまった。


 やむをえず足を止めたアルムは、目を腕で多いながら土埃が消えるのを待った。

 視界が開け始めた時、マントヒヒが洞窟の中に入っていくのをアルムは見逃さなかった。すぐさま後を追って中に入ると、思わず足を止めてしまった。


「これは?」


 アルムの視界には、小屋ひとつ入りそうなくらいの空間に多数のマントヒヒが集まっている光景が広がっていた。そして、そのうちの一匹に自然と目が移った。


 背中の毛が凍り付いているそのマントヒヒは間違いなく肉を奪った犯人だった。奴はアルムに気がつくと、突如血相を変えながら野太い雄叫びをあげた。

 すると、その場にいたマントヒヒらはみな目の色を変えて洞窟の奥へと走りだした。


 しかし、その中に一頭だけ流れに逆らうものがいることにアルムは気がついた。


「ん?」


 じっと目をこらしていると、筋骨隆々としたマントヒヒと目が合った。その手にはなんと、明らかに人の手で作られた鉄製の剣が握られていた。


「へえ。マントヒヒが剣を携えてるとは」


 世にも珍しい魔物と、空腹で力が入らないこの状況。

 実力が未知数であるマントヒヒ剣士と刃を交えることに対し、アルムは内心ウズウズしていた。

 魔法剣を握り直し、短く整えられた黒髪をかきあげる。


「食べ物の恨みってやつを、たっぷり教えてやる!」


 先に踏み込んだのはアルムの方だった。地面を強く蹴り上げ、マントヒヒの頭上を陣取る。そのまま体をぐっとひねると、落下の勢いを利用して魔法剣を思いっきり振り抜いた。

 対するマントヒヒ剣士はそれを力強く受け止める。その動作を受けて、アルムはすぐさまその場から離れた。


(今の、少々荒っぽさはあるけど、剣の扱い方をちゃんと分かっている動きだった。いったいどこで身につけたんだ?)


 頭の中でいろいろと詮索してみるが、少し考えたところで答えは出るはずもなかった。


(これ以上は埒が明かない。今は目の前の相手に集中しよう)


 首を横に振り、空いている方の手でフードを軽く整えていると、今度は相手の方から向かってきた。ものの1,2秒で間合いを詰めきると、その太い腕から剣が思いっきり振り下ろされた。


 すぐさま魔法剣で受け止めたが、その力は想像以上のものだった。押しつぶされると脊髄で感じたアルムはとっさにもう片方の手も添えた。


「くそっ。お腹さえ空いてなければ、こんなやつ」


 歯を食いしばって懸命にこらえてるが、それでも体全体がじわじわと低くなっていく。このままでは、力負けするのが目に見えていた。


「あまり使いたくなかったけど、仕方ないか」


 頭の中から焦りの感情を取り除き、深く息を吐いた。そして両手にぐっと力を込めると、温存していた魔力を魔法剣に注いでいった。


「ずっとそこにいると危ないぞ?」

「キキ??」


 マントヒヒ剣士が眉をひそめている間にも、魔法剣はひときわ強い光を帯びていった。


「吹き飛べ!」


 アルムが叫んだ瞬間、魔法剣から衝撃波のようなものが飛び出した。それをもろに食らったマントヒヒ剣士と、反動をこらえきれなかったアルムはそれぞれ宙へと舞い上がった。そして、ほぼ同時に着地を決めると、今度は剣を激しく打ち合い始めた。


 甲高い金属音が響くたびに、周りのマントヒヒたちは歓声を上げた。その一声一声がとても耳に障る。空腹と相まってイライラが募りながらも、アルムは冷静に剣をさばいていった。


「ちっ、そろそろ仕掛けるか」


 打ち合う中でだいたいの太刀筋を把握したアルムはここで勝負を打って出ることにした。

 まず、相手の剣をしゃがんで躱すと、手元めがけて魔法剣を勢いよく振り上げた。ガキン!とひときわ強い音が響き、鉄製の剣が宙に舞い上がる。その衝撃で、マントヒヒ剣士は体勢を大きく崩した。


「もらった!」


 真横に振り抜いた魔法剣はマントヒヒ剣士の腹を綺麗に切り裂いていった。肉の繊維がプチプチと切れる感触が手元に伝わってきた。

 真っ赤な血しぶきを上げながらも、マントヒヒ剣士はさっと距離を取った。あれだけの怪我を負ってなお、衰えぬ俊敏さに舌を巻きながら、魔法剣を再び構える。


「逃がすか、っ!?」


 追撃を叩き込もうとしたその瞬間、マントヒヒ剣士は「ギャオーー!」とひときわ低い雄叫びをあげた。すると、周りにいたマントヒヒたちがいっせいに飛び出し、またも土埃を立て始めた。あっという間に視界を奪われたアルムは目を覆うことしかできなかった。

 しばらくして土埃が晴れ始めると、マントヒヒたちは一匹も残っていなかった。


 その代わり、先ほどまでマントヒヒたちが座っていた場所に見覚えのある木の棒のようなもなが落ちているのを見つけた。


「晩ご飯……!」


 たまらず駆け寄って拾い上げると、肉の残りかすがついた

 辺りを見回し、木の棒を一個一個拾い上げていったが、どれも無惨に食べられていまっていた。


「私の、晩ご飯が……」


 空腹地獄がまだまだ続くと悟ったアルムは文字通り、膝から崩れ落ちた。お腹の虫が力なく「ぐ〜」と鳴く音が虚しさを加速させていった。

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