第2話 呪われた出家者

「ぜえ、ぜえ」


 肩で大きく息を吐きながら、足を一歩一歩前に動かしていく。紺を基調とした旅装束は土にまみれ、短めに整えられた髪はぼさぼさになっていた。


 こんな状態になったのには訳がある。

 先日立ち寄った村にて、アルムはとある噂を耳にした。簡潔にまとめると、『クナン山の頂上には決して行ってはならない。そこには、呪われた出家者が住んでいるからだ』という内容だった。


 これを聞いて興味を持たない放浪者などいるはずがない、と考えるのがアルムという女だった。翌日には既にクナン山へと足が向いていた。


 だが、その道のりは想像以上に過酷を極めた。昼過ぎにクナン山に足を踏み入れて以降、魔物が息付く暇もなく押し寄せてきた。それに加えて、でこぼことした険しい山道が足腰に疲労を蓄積させていく。さらに、ところどころに張り巡らされた罠にも気を配る必要があり、油断は一切許されない。

 そんな状況がもうかれこれ3時間は続いていた。


「はあ、はあ。もうすぐ、着くはず、よね?」


 ポケットから紙を取り出し、辺りを見回した。灯篭が規則的に並んでいるのを確認し、紙に書いてあるメモと何度か照らし合わせた。


「ほっ。良かった」


 終点がすぐそこに迫っていると分かり、軽く頬を叩いた。そして、疲れのたまった体にムチを打ち、最後の上り坂を歩いていった。


 頂上に近づくにつれて、古びたお寺の姿が見え始めた。民家2軒分ぐらいの大きさがありそうなそのお寺に、人の気配は全くといっていいほど感じられない。だが、周りに生えている木や花は手入れが行き届いていると思えるほどに整然とされていた。道中のそれらと比べると、明らかに浮いてみえる。

 おそるおそる足を踏み入れて境内を進んでいくと、その異質さをことさらに感じた。例えるなら、廃れた村の中に新築の一軒家が堂々と建っているようなものだ。神秘的というよりも、不気味さの方が勝る。


「あのー」


 お寺に向かって呼びかけるも、返事は帰ってこない。所詮は噂で、出家者なんていないのだろうか?


「あのー!」 


 今度は声を少しだけ張って呼びかけてみた。すると、ガタンという物音が奥から聞こえてきた。そこからしばらくして、薄い麻の服を身にまとったひとりの年寄りが姿を現した。


「おや、見ない顔ですね」

「あ、まあ、噂を聞いて訪れたもので」

「そうでしたか。ならばおもてなしをしなければなりませぬな。ささっ、お上がりください」


 意外とすんなり通してくれたことにアルムは意外さを覚えたが、ここはお言葉に甘えてお邪魔させてもらった。


 中は外見と同様、かなり年季が入っているようだった。壁の一部には穴が空いており、西に傾いた日差しが顔をのぞかせている。歩くたびにミシッ、ミシッと小さな悲鳴を上げる床は今抜けたとしてもなんら不思議ではない。

 何が起きてもいいよう警戒しながら進んでいると、じいさんはとある部屋の前で立ち止まった。掠れた虎の絵が書いてあるふすまを開けると、薄暗い正方形の部屋が現れた。中心にある囲炉裏に吊るされたやかんからは白い湯気が出ていた。


「長旅ご苦労様でした。今、お茶をお入れします」


 そう言うとじいさんはやかんを手に取り、熱々のお湯を急須に注ぎ始めた。


(あの熱そうなやかんを素手で……)


 自分は触れてないにも関わらず、無意識に手をさすってしまう。それはきっと人間としての性なのだろう。

 そう思いながらアルムはひとまず、囲炉裏を挟んで向かい合う形で座り込んだ。


「ふう……」


 ようやく腰を下ろして落ち着けることに思わずため息が出てしまった。

 お茶ができるまではまだ少し時間があるだろう。急須をゆっくり揺らしているじいさんを観察することにした。


 齢はわからないが、顔や手に深いしわが刻まれていることからかなり年を重ねていることはたしかだ。痩せ細った腕は風にぴゅっと吹かれでもしたら簡単に折れてしまいそうにさえ思える。だが見た目に反して、動作の一挙手一投足はしっかりとしていた。みずぼらしい見た目ながら、貴族並の気品さが要所要所で滲み出ていた。


 いただいたお茶を舌に滑らせると、奥深い渋みが鼻腔を突き抜けたのちに、角の取れた優しい味わいが広がった。喉へと流した後に残された風味は実にまろやかで、かつちょうどいい時間で消えていく。目を閉じれば、広大な茶畑の風景が思い浮かんできそうだ。

 こんなに美味しいお茶は実に久しぶりだった。それこそ、訳あって王宮に招待された際に飲んだものに匹敵する。

 やはり、この老人はただ者ではなさそうだ。


「じいさん。あんた何者だ?」

「わしは、しがない負け犬じゃ」

「では、質問を変える。『呪われた出家者』というのは、あんたのことか?」


 アルムのその問いかけに、じいさんは何も答えなかった。

 代わりに「デルム王国——」と謎めいた言葉をつぶやいた。


「ん?」

「デルム王国という名を聞いたことあるか?」


 じいさんの挙げた言葉はアルムの脳内に一文字も引っかからなかった。

 返事が出ないことが分かると、じいさんは「まあ、今の若いもんは知らぬか」と独り言のようにぼやいた。


「その、デルム王国ってどんなところなんだ?」


 アルムの質問を聞くと、じいさんは深くため息をついた。


「今は亡き、忘れ去られた王国です。そしてわしは、そんな王国を治め、そして滅ぼした」


 最後の言葉はアルムではない誰かに対して向けられているように聞こえた。少し気になりはしたが、今は耳を傾ける方を優先した。

 

「昔は、ここら一帯を統治するほどの力を持っていました。花が咲き誇り、子どもたちがが笑い合う。国民はみな優しい者ばかりで、ほんとうによくしてくれた……。ですが、はあ」


 重いため息が囲炉裏の中へと沈んでいく。


「ある日、ティワール王国から使者がやってきたのです」

「ティワール王国……」


 その名前には聞き覚えがあった。

 たしか、一昔前に繁栄を極めた大国だったはずだ。多くの国を傀儡としていたが、晩年は度重なる内戦によって崩壊の道を辿ったという。


「ティワール王国を知っているのですか?」

「学校で学ぶ程度のことは」

「なら、かの国がどういったものかもご存知かと思います。その使者はまさに、『デルム王国を配下に置きたい』と申し出たのです。ですが、傀儡国となった所からは良い噂を聞いたことがありませんでした。ゆえに、何度めかの来訪にて、お断りしたのです」


 そこで一度言葉を区切り、お茶を口にした。湯呑みを持った皺まみれの手は微かに震えだしていた。


「ですが、まもなくしてティワール王国が突如、宣戦布告してきたのです。かの国の圧倒的な軍事力を前に、私たちは為す術もありませんでした。あちこちから悲鳴と泣き声が上がるなか、わしは緊急用の扉から裏山に向かいました」


 じいさんのついたため息はとても重々しいものだった。後悔とか、無念さとか、そういったもろもろの感情が複雑に絡み合っている。

 そう分かっていながらも、つい意地の悪い質問をしたくなってしまった。


「まさか、怖気付いたのか?」

「まあ、そう見られても無理はありません。実を言うと、わしは国民のために剣を握るといったのですが、家臣に頑なに拒まれまして。『国王様が生きてさえいれば、国は建て直せます』と力強く諭されたのです。一刻を争うということもあり、最終的には折れてしまいました。ですが、あの時から何度も考えてしまうのです。愛しい民を守るためであれば、傀儡となった方が良かったのかもしれない、と」


 じいさんは悔やみきれない過去を噛み締めるかのように、ゆっくり話してくれた。予想以上に多くのことを答えてくれたことで、アルムは噂の真相の一端が掴めた気がした。

 じいさんは過去の呪縛に囚われている。こんなに老いてもなお消えることのない苦しみを、これからもずっと背負い続けていくんだろう。


「さて、老いぼれの話はこれくらいにしましょう。今からこの山を下るのは命を捨てるようなもんです。今晩はここに泊まっていってください」

 

--------

 

 じいさんに案内された部屋は薄い敷き布団と小さな机のみが置いてある簡素なところだった。「ご飯を用意してきます」とだけ告げると、じいさんはそそくさと部屋を後にしてしまった。


 アルムはさっそく机の上に小さな手帳を広げた。旅をするなかで出くわした出来事を定期的に記しておくのだ。

『世界中を隅々まで渡り歩き、自分だけの放浪記を仕立て上げる』

という自身に課した使を成し遂げるため、アルムはこうして放浪の旅を続けている。


 今日は貴重な話を聞けたと満足しながら、じいさんの話を手帳に書き込み始めた。

 

--------

 

 遠くから「チュンチュン」というかわいらしい鳴き声が聞こえてくる。時間が経つにつれて、その声はだんだんと大きく、はっきりとしてきた


「ん……」


 ゆっくり目を開くと、机の上に立っている小鳥と目が合った。体を起こすと小鳥はびっくりしたのか、光差し込む窓の外へさっと飛んで行ってしまった。


(いつの間に寝てしまってたのか)


 目をこすりながら机に視線を戻すと、手帳の右端に違和感を覚えた。よく見ると、明らかに自分ではない筆跡で「旅の無事をお祈りしています」とだけ書かれていた。


「これは……」


 嫌な予感が頭によぎったアルムは急いで囲炉裏のある部屋へと向かった。


 そこにはなんと、白骨化した死体が静かに座っていた。麻でできたボロボロの服とうつむき加減なその姿から、昨日のじいさんだと一瞬で分かった。


 死してなお潰えることのない自責の念がじいさんをこの地に留まらせているのかもしれない。そう考えると、なんとも酷な話だと同情してしまいそうになる。だが、そうしたところで無念が晴れるわけではないし、そうするほどの器ではないとも思っていた。


 それでも、いつかじいさんが全てから解放されて救われることを願わずにはいられなかった。

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