第3話 スイレン村の災難

 陽がてっぺん近くまで昇った真っ昼間。

 アルムは本日の目的地である『スイレン村』に到着していた。


 ここは名前の通り、スイレンの花が至るところに咲いているという世にも珍しい村だ。村の至るところに丸い池ができており、その上に満開のスイレンが咲き誇っている。どの水辺にも人がたくさん集まり、美しいスイレンを堪能していた。


 運良く一番近い水辺の空いたスペースに駆け寄ると、丸眼鏡をかけたひとりの少女がスケッチをしていた。後ろからチラッと見えたその絵はスイレンの美しさを鮮やかに描いていた。

 邪魔にならないよう、彼女の視界よりも若干後ろに立つようにして、スイレンへと目を向けた。


「きれい……」


 思わず漏れたその声が聞こえたのか、少女は筆を置くと、手を前へと向けてみせた。


「私のことはお気になさらず、どうぞ近くで見てください」


 絹を撫でるような優しい声、ブロンズの髪をなびかせるその姿はまるで女神だ。スイレンを背景にただ微笑むだけで、心が洗われるかのようだった。


(はっ、いかんいかん。私みたいなのがジロジロ見てしまっては不審がられる)


 フードを整えながら、今日の目的を頭の中で反芻する。そして、少女の言葉に甘えてもっと近くでスイレンを見ようと身を乗り出した。


 その瞬間、腹の虫がぎゅ~、とみっともない音を立てた。とっさにお腹を手で抑えるが、そんなことで音量は抑えられない。アルムの腹の音は少女にもしっかり聞こえていたようで、「あそこに美味しいお店がありますよ」と優しく教えてくれた。


「あ、ありがとう」


 あくまで平静を装っていたが、顔がどんどん熱くなっていくのが分かった。すぐに体を翻し、早歩きでその場を去って行った。

 お店の中に入ると、「いらっしゃいませー!」と活きのいい声が飛んできた。カウンター席に座るとお水がすぐに出てきた。


「ご注文はいかがなさいますか?」

「おまかせで」

「かしこまりました」


 ウェイトレスが離れるとすぐ、水で喉を潤した。その間に、背後のテーブルから聞こえてくる会話に耳を済ませた。


「なあ聞いたか?」

「ああ聞いたぜ。今朝、勇者さまがここに来たんだろう?」

「らしいな。でもって、すぐ南の洞窟に向かったっていうじゃないか」

「てことは、あの憎きドラゴンを倒しにいったってことか。さすが勇者さまだぜ」


 男たちが盛り上がる中、アルムは『勇者』というその響きに顔をしかめていた。ため息を何度もついては、体全体を包む複雑な気持ちから必死に目を逸らした。


(なんでここに来てるんだ、まったく)


 頭の中からそのむずかゆい言葉を振り払っている間に料理が運ばれてきた。アルムの目の前に置かれたのは、人参やじゃがいも、肉がごろごろ入ったホワイトシチュー。と、謎の小さな容器。


「こちら、ハチミツが入っております。お好みの量を注いで召し上がってください」

「ハチミツを入れるのか」

「はい。甘さがプラスされて大変美味しいんですよ」


 それを聞いたアルムはさっそく、ハチミツ入りの小さな容器をそっと傾けた。容器から流れる黄金の液体がホワイトシチューに溶け込んでいく。ティースプーン1杯ほどの量が入ったそれは期待値を最高にまで膨らませてくれた。


(あの少女にはあとで礼を言わないとな)


 溢れ出そうになるよだれをごくりと飲み込み、木製のスプーンに手を伸ばしかけた。

 そのとき、窓の外を大きな影が横切った。視界の端でそれを捉えたアルムの手が思わず止まった。


「っ?」


 得体の知れぬざわめきが胸の中を駆け巡った。他の人も異変に気づいたようで、レストラン内は不安の混じったざわめきで包まれ始めた。

 その直後、ドーン!という轟音が鳴り響き、地面を大きく揺らした。


「キャー!」

「なんだなんだ!?」


 周りが一瞬で混乱の渦に巻き込まれる中、アルムはすぐに席を立って音の鳴った方へと向かっていた。外に出ると、スイレンの周りにいた人たちが血相を変えて村の反対側へと走っていくのが見えた。


 彼らの背後には、大きな翼にゴツゴツとした皮膚、大きな口から耳が割れんばかりの咆哮を上げる巨大な魔物の姿があった。


「ドラゴン!?」


 なぜここに降りたってきたのか、アルムには図りかねなかった。あれが仮に、勇者が討伐しにいったというドラゴンと同じならなおさらだ。


 人々が逃げ惑う中、ドラゴンは何かを見つけたかのような素振りを見せた。

 その視線の先には、スケッチをしていたあの少女がいた。蛇にも似た鋭い目つきに睨まれた彼女は、尻もちをついた姿勢で完全に固まってしまっている。


 抵抗する力すらないと見たドラゴンは、少女を食らわんとその大きな口を容赦なく開けた。


(まずい!)


と思うよりも先に、体が動いていた。アルムは少女に駆け寄りながら、手の平に作り出した氷の槍をドラゴンめがけて投げつけた。一直線に飛んで行った氷の槍はドラゴンの口裏にグサッと刺さり、赤い血が勢いよく吹き出した。


「グアアアアアア!?」


と、耳が壊れそうなほどの声をあげながら、ドラゴンはその場に倒れ込んだ。その隙に、アルムは少女を抱えて村の入り口に飛んで行った。


「ケガはないか?」


 アルムの問いかけに少女は震えながらも小さくうなずいた。彼女を馬車の荷台に載せると、アルムは魔法剣を握ってドラゴンの方に向き直った。

 ドラゴンは血を滴らせながら、アルムをギロッと睨みつけていた。それだけで背筋が凍るような感覚を覚える。


(これは全力でいかないとまずそうだな……)


 ドラゴンの首元に潜り込み、勢いそのまま思い切り斬りあげた。「グオオオ!」と叫ぶドラゴンの喉元に、今度は風魔法で作り出した三日月状の刃を打ち込んだ。


 そのまま勢いを殺すことなく剣と魔法のコンビネーションをたたき込み、ドラゴンの体にダメージを与えていく。その華麗な身のこなしと見応えのある技の数々に、人々は開いた口が塞がらなかった。


「すげえ」

「何者なんだ、あいつ」


 周りを釘付けにする中、アルムはドラゴンの背中を踏み台に空中に舞い上がった。逆手に持った魔法剣に電撃を走らせドラゴンの首元めがけて振り下ろそうとした。

 そのとき、頭上から人並みならぬ異質な気配を感じ取った。


「はっ!?」


 攻撃を中断し、咄嗟にその場から離れる。その直後、1本の太い光がドラゴンの体を貫いた。

 倒れ込んだドラゴンの上に4つの人影が見えた。


「勇者さまだ!」

「ああ、なんて凛々しいお姿……」

「勇者さま、バンザーイ!」


 あちこちから勇者を称える声がひっきりなしに上がり始めた。勇者はそれを凜々しい顔をして受け止めた。


「みんな!遅くなってしまってすまない!きっと怖い思いをしたことだろう。だが、脅威はもう去った!存分に安心してくれ!」


 ドラゴンの上で誇らしげに立っている勇者一行に人々は賞賛の声を上げた。それに手を振って応える勇者一行からそっと離れたアルムはとある人の元に向かっていった。

 村の入り口に座り込む彼女はアルムと目が合うとばっと立ち上がり、一目散に駆け寄ってきた。


「あ、あの!」

「怪我はないか?」

「はい!た、助けていただき、ありがとうございます!」


 少女は首が取れるんじゃないかと思うぐらい頭を何度もさげた。この様子なら心配なさそうだ。


「その、えっと」

「アルムだ」

「アルムさん!命を救ってくださったお礼をさせてください!家宝でもお金でも、なんでも用意します!」


 ぐいぐい詰められ、曇りなき眼差しでじっと見つめられる。普通の人ならその真剣で端正な顔に免じ、喜んでお礼を受け取ることだろう。

 だがアルムは「いや、結構だ」と突き放した。


「そ、そんな……。ならせめて、私の家に泊まっていってください!精一杯おもてなししますから!」

「いや、それもいい」


 首を小さく横に振ると、アルムは背後をちらりと振り返った。

 勇者は相変わらず、賞賛の嵐が吹き荒れる中で堂々とした立ち振る舞いを見せていた。それを辟易としながら一瞥すると、すぐに向き直った。

 やはり、ああいうタイプはどうにも受け付けがたい。


「あの、もう、行かれてしまうのですか?」

「ああ」

「そうですか……」


 少女は目を伏せ、肩を落としてしまった。

 このまま去ってしまうのも気が引けたアルムは「気が向いたら、また訪れるのもいいかもしれないな」と付け加えた。すると少女の顔がぱっと明るくなり、最初に見た女神のような微笑みが戻ってきた。


 少女に見送られながら、アルムはそっと村を後にした。美しきスイレンの光景と食べ損ねたホワイトシチューに、後ろ髪をひかれながら。

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