第7話 魔熊 グレーテル

 放浪の旅を続ける上で、懐事情は切っても切り離せない問題だ。立ち寄った村や街での食事代に宿代、携帯食やポーションなどの買い物代、そして忘れちゃいけないスイーツ代。


 旅をしている中でも意外と出費がかさむことも多く、アルムはたびたび金欠になっていた。そうなってからようやく重い腰を上げ、比較的大きな街や王都の掲示板に足を運ぶ。そこにはさまざまな依頼が記載されており、報酬もさまざま。中でもとりわけ美味いのが『魔物の討伐』の類いだ。大型であればあるほど、そして脅威であればあるほど報酬も驚くほどに跳ね上がる。


 今、掲示されている中で報酬が一番高いものを探していると、色あせたひとつの紙が目に入った。


「これ一番美味そうだな。えっと、『魔熊 グレーテル』……?」


 たどたどしくその名前を読み上げると、周りの空気がとたんに一変した。何かまずいことでも言ったか?と疑問に思っていると、近くにいた兵士の男が血相を変えて近づいてきた。


「あんたいま、何つった?」

「グレーテルだけど、何?」

「あいつに挑むのだけはやめておけ。生きて帰って来れねえぞ!」

「でもつまるところ、強い魔力を持つグリズリー、ってとこでしょ?」

「そうやってたかを括ったやつを俺は何十人も見てきたんだ。でも、生きて帰ってこれたのはたった数人で、全員が重傷を負っていた。あんたがどれほどの腕前なのかは知らねえが、これがどんだけやばいかってことぐらいは分かるだろ!?」


 男が必死になって引き留めるも、アルムには全く響かなかった。


「なっ、待て!死にてえのか!?」


 兵士の忠告を頑なに無視するアルムは「まずくなったらすぐに戻る」と告げ、そのまま街を後にした。


 街から少し離れたところにある、通称『魔女の森』。陰鬱とした空気と辺りに漂う魔力の残滓がいかにもな雰囲気を作り出している。今回のターゲットはそこを縄張りとしているらしい。


 決して居心地は良くない森の中をしばらく進んでいくと、やがて強い魔力の痕跡を感じ取った。


「グレーテルがいるのはあの辺か」


 痕跡を辿っていくと、切り開かれた広場のようなところに出た。辺りの木々は紫色に変色しており、魔力の残滓もかなり濃くなっていた。できるなら、長居は避けた方が良さそうな環境だ。

 だが、肝心となる標的の姿はどこにも見えなかった。


(変だな。この辺りから感じたはずなのに。痕跡に惑わされたか?)


 すると突然、背後から強力な魔力の気配を感知した。瞬時に魔法剣を作り出しながら大きく振り払うと、ふたつの魔法弾が目の前で綺麗に撃ち落とされた。


「出たな、グレーテル」


 アルムの目線の先には、ひとまわりもふたまわりも大きな熊が立っていた。紫色の混じったビビッドな毛色がただ者ではない様相を呈していた。


「グルル……」


 グレーテルは正面に立つ人間に対して低い唸り声を漏らした。どうやらかなりいらだっているようだ。無断で縄張りに入り込んでいるのだから、当然と言えば当然である。


 まず先制を仕掛けたのはグレーテルの方だった。

 右腕を半円状に動かすと、緋色の魔法弾が7つ生み出された。そのまま右手を前に差し出すと、アルムめがけて一斉に発射された。

 ひとつひとつを冷静に避けながら間合いを一気に詰める。電撃を纏わせた魔法剣を図太い右腕めがけて振り上げた。

 ガキーン!、と金属音のような音が響く。手に返ってきた感覚も予想より遥かに硬かった。


「っ!?」


 なんとグレーテルの腕は硬い岩へと変貌していた。


(驚いたな。今の一瞬でここまでのものを作り上げるなんて)


 グレーテルの技術力に舌を巻いていると、今度はもう片方の手から水の散弾が放たれた。咄嗟に距離を取ったが、着弾点には小さな穴がいくつも空いているのが見えた。


「あっぶな。まともに食らってたら死んでたかも」


 物騒な言葉に反して、口角がわずかに上向く。ここまでひりつく戦闘は実に久しぶりだった。心臓がギュッと締まって休まらないこの感覚は、生を実感できる数少ない愉しみでもあった。


「今度はこっちの番!」


 地面を強く蹴ったアルムは魔法剣から2発の斬撃を飛ばす。対するグレーテルは両腕に岩を纏って迎え入れる体勢を作る。

 しかし、その思惑とは裏腹に2つの斬撃は急激に速度を落としてグレーテルの手前に着弾した。その衝撃で土埃が巻き上がり、グレーテルの視界を一瞬にして奪う。

 その隙にアルムは背後へと回る。その手には炎を纏わせた魔法剣が燃えたぎっていた。


「せいっ!」


 勢いよく振り下ろした魔法剣は今度こそグレーテルの体を切り裂いたかに見えた。しかし、手に返ってきた感覚はまたしても硬かった。

 その直後、お腹に強い熱さと衝撃が走る。


「がはっ」


 まともに攻撃を食らったアルムは大きく吹き飛ばされた。地面に倒れ込むと、攻撃を受けた箇所からほのかな焦げ臭さが漂ってくる。

 グレーテルはどうやら炎魔法を打ち込んできたようだった。耐魔法素材でできている旅装束を通してもこの威力とは、やはり並大抵ではない。


「ちょっと、マズイかもな」


 剣を突き立てながらなんとか立ち上がる。気づけば、辺りに漂う魔力はかなり濃くなっていた。


「疲れるから嫌なんだけど、ちょっとばかし本気出すしかないか」


 アルムは胸にしまったペンダントを表に出すと、ふうっと息を吐いた。


「"魔力解放"」


 アルムの言葉に呼応するようにペンダントが輝きだし、青い奔流がアルムの周りを流れ始めた。手に持った魔法剣はひとまわり大きくなり、輝きがどんどん増していく。

 短く整えられた後ろ髪は肩甲骨まで伸びていき、毛先にかけては鮮やかな青色のグラデーションで彩られる。瞳はペンダントに埋められた宝石と同じ淡い光を帯びていた。


「グ、グルル……」


 圧倒的な力を前にグレーテルは少しだけ後ずさりする。しかしすぐに氷の槍を3発放ち、間髪入れずに水魔法のビームを放つ。

 アルムはゆらっと体を右に倒すと次の瞬間、ふっと姿を消した。


「グルッ!?」


 次の瞬間、グレーテルは地面に膝をついていた。魔法が地面に着弾した時には、その大きな背中が真っ二つに切り裂かれていたのだ。

 グレーテルの正面には、青眼のアルムが無言で佇んでいた。見るもの全てを凍てつかせるようなその眼差しに、グレーテルはあからさまにたじろいだ。

 アルムは何も言わずに、少しだけ足を引く。それに気づいたグレーテルはすぐさま体全体を岩で覆い始めた。


「それじゃ」


 アルムが膝を曲げたその次にはもう、グレーテルの目前にまで迫っていた。スピードに乗ったまま、雷を帯びた魔法剣を一気に振り下ろす。青い稲妻が鋭い剣筋に沿ってグレーテルを真上からたたきつぶした。


「グルアアアアア!」


 グレーテルの頑丈な岩肌は粉々に砕け、真っ赤な血しぶきが宙に舞う。悲鳴を上げながら仰向けに倒れ込んだ魔熊はピクリとも動かなくなった。

 それを確認すると、アルムは魔力の解放を止めた。とたんに疲労がどっとのしかかり、魔法剣を出していることすらしんどく思えてくる。


 でも、まだ最後の仕上げが残っている。討伐した証拠として、グレーテルの首を持って行かなければならないのだ。

 アルムは魔法剣を両手で握ると、重い腕を振り上げた。


「安らかに眠ってくれ」


 重力に任せて振り下ろすと、ひときわ生々しい音が森中に響いた。

 


 グレーテルの頭が入った袋を肩に掛け、来た道を戻っていく。しばらくは不自由なく過ごせるぐらいの報酬がもらえると思うと、頬が勝手に緩んでしまう。

 今日はスイーツを2つ買っちゃおうかな、あの兵士はどんな顔するんだろうな、などと浮かれたことを考えるアルム。この後、街を上げての宴が行われ、主役として強制参加させられてしまうということを、彼女はまだ知る由もなかった。

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アルムの放浪奇譚 杉野みくや @yakumi_maru

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