第5話 タマを探せ

 アルムは木陰に座り込み、気持ちよさそうにうたたねしていた。昼下がりのあたたかな陽気が天然のベールとなって全身を包み込む。手元には自身が書き留めた旅の記録が広げられ、穏やかな風がそれをそっとなでていく。

 アルムが目を開くと、鼻にとまっていたらしい黄色い蝶がヒラヒラと飛んで行った。


「っ、んーっ」


 伸びをすると、新鮮な空気が胸いっぱいに入ってくる。なんて心地のいい目覚めだろうか。


 もう少しのんびりしてから出発しよう、と決めたアルムは手帳に綴った旅路に再び目を通し始めた。こうして自身の旅を振り返る時間がアルムにとってのささやかな楽しみになっていた。

 大変だった旅路も、文字を通すとかけがえのない思い出としてよみがえってくる。"懐古"という感情を独り占めし、そこに思いを馳せられるというのはまさに至福のひととき。

 そうして旅の思い出にふけっていると頭上から「あの、すみません」と声をかけられた。


「なんだ?」


 やや不機嫌そうに答えながら顔を上げると、ひとりの女性が神妙な面持ちで立っていた。茶色の前髪から覗く額には小粒の汗がにじみ、目をおろおろさせて落ち着かない様子だった。


「この辺りでタマを見かけなかったですか?」

「タマ?ペットか何かか?」

「ペットなんてもんじゃありません!私たちにとっては大事な仲間なんです。あーもう、どこ行っちゃったんだろう」


「私?」

「はい。実は私、サーカス団の一員でして、次の街に向かっていた最中なんです。タマもサーカスに登壇する立派な団員で、今度の舞台もあの子がいなきゃ成り立たちません。それなのに、今朝起きたら突然いなくなっちゃってたんです!」


 彼女の情緒がいささか安定しなかった理由がなんとなく分かった。同時に、ことの大きさを理解したアルムは腰を上げて女性に向き直った。


「なるほど。直近で何かトラブルでも起こったのか?例えば、他の団員から嫌がらせをされたとか」


 アルムの挙げた推測を聞くやいなや、女性は急に目をかっと開いた。


「それはあり得ません!タマはとっても人なつっこくて、みんなにかわいがられていたんです!もしあの子が嫌がらせされていたなら、その人を縛り上げて火の輪くぐりの輪っかにしてやります!」

「それはやりすぎじゃないか……?」


 タマに対する愛の重さに若干引いてしまう。できれば燃えさかる火の輪になる人がいないことを願うばかりだ。

 それはそれとして、「仲間が居なくなった」と聞きながら見て見ぬふりができるほどアルムは薄情ではなかった。


「その、タマを探すの、私も手を貸していいか?」

「ほんとですか!?ありがとうございます!ありがとうございます!」


 女性はアルムの手を取り、腕をぶんぶん振った。華奢な見た目の割に力強く、腕がもげるんじゃないかと思ってしまう。

 さっそく周辺から探し始めたところで、女性は「そういえば」と口を開いた。


「お名前をまだ伺ってなかったですね。私はリンっていいます!」

「アルムだ」

「よろしくお願いします、アルムさん!」

「よろしく。しかし、そのタマってやつがいないとサーカスが成り立たないって言ってたけど、そんなにすごいのか?」

「ふふん、よくぞ聞いてくれましたね」


 リンは誇らしげに胸をはってみせた。


「タマはとっても賢くて、怖いもの知らずなんです。難しい演目も自分で工夫して乗り越えたり、普通だったら足がすくんじゃうような高所の演目もあっという間に身につけてしまったりして。今じゃベテランの団員にだって引けを取らないんですよ!」


 早口で魅力を語るリンはとても活き活きしていた。そして同時に、本当に大事な仲間なのだということもひしひしと感じられた。


(リンのためにも、早く見つけてあげよう)


 そう決心し、リンが前に見たところも含めてくまなく探し歩いた。

 しばらく探すもなかなか見つからず、残すは鬱蒼とした森のみとなった。ぬかるんだ地面に足を取られないよう気をつけながらも、急ぎ足で進んでいく。昨日立ち寄った村で聞いた話では、魔物が多く住み着いているがためにあまり立ち入らないらしい。


 幸いなことに、ここまでこれといった魔物に出くわすことなく探索することができていた。むしろ、聞いていた話とのギャップにある種の不気味ささえ覚えてしまうほどだ。

 魔物の気配がつゆとして感じられないのを不思議に思っていると、リンが「あっ」と声を上げた。

 腰をかがめたリンの足下には、小動物のような小さな足跡と、大型の魔物と思しき足跡がひとつずつ。


「この足跡、もしかして」


 そう呟くとリンは突然、脇目も振らず走り出した。


「待て!」と呼びかけたところで、リンの足は止まらない。魔物の気配がしないとはいえ、一人で突き進むのは自殺行為とも言える。

 すかさず後を追い始めるも、なかなかリンに追いつけない。さすがはサーカス団といったところだろうか。


 ようやくリンの肩を掴んだ時には、こぢんまりとしたほら穴にたどり着いていた。中は薄暗く、ジメジメヒンヤリした空気が気味悪く感じられる。

 ツイてないことに、2つの足跡はその奥にも続いていた。


「タマ?そこにいるの?」

「待て、リン。危険なにおいがする」


 アルムは先頭に立つと魔法剣を手に取り、何が来てもいいように神経を集中させた。

 裾を握るリンの手にぎゅっと力が入る。

 少しだけ奥に進んだところで、アルムの頬にヒリヒリとした感触が流れた。


「何かくる」


 再び足を止め、リンを守るように背中に回した。

 現れたのは、全身真っ白な毛に覆われた四つ足の魔物。大きなひとつ目玉をギョロリと覗かせ、鋭い犬歯を剥き出しにしてみせていた。まるで「こっちに来るな」とでも言うように喉をグルグル鳴らし、アルムをじっと睨んでくる。相対するだけでも身の毛がよだってきた。


(他の魔物の気配がひとつもしなかったのは、おそらくこいつのせいか)


 魔法剣を握り直し、左手に氷の槍を作り始めた。背中に嫌な冷や汗が伝うのを感じた。


「リン、下がってろ。こいつはそうとうけ——」

「タマー!」


 リンはひときわ高い声をあげながら、魔物にぎゅっと抱きついた。あまりにも突飛すぎるその行動に理解が追いつかず、ただただ呆然とした。


「も〜、勝手にどっか行っちゃダメでしょ?心配したんだからね」


 お小言を食らったタマは少しだけしょんぼりして見えた。


「えっと、タマってもしかして」

「そう、この子がタマです!お目々がクリクリしててかわいくないですか!?」

「あー、まあ、うん……」


 どこから突っ込んでいいのか分からず、アルムは言葉を濁した。

 そんな彼女の様子など気にすることなく、リンはくるりと向き直った。


「ほら、みんなのところに帰ろ?」

「……」

「どうしたの?」


 タマはしきりに背後を気にしているように見えた。アルムが小さな光の玉を作り出してその方を照らすと、1匹の小さな黒ネコが力なく横たわっているのが見えた。


「この仔、足ケガしてますね」

「本当だ。よしよし、辛かっただろ」


 赤く滲んだ前足に手をかざし、魔力を集中させた。すると、淡い黄緑色の光が傷口を包み込み始めた。


「回復魔法使えるんですね」

「多少な。といっても、傷を塞ぐ程度のことしかできないが」

「いや十分ですよ!ひとまず、この仔をサーカスに連れて帰りましょう」


 帰りはタマの背中に乗せてもらい、あっという間にサーカス団の拠点に到着した。

 リンはさっそく黒ネコを抱えてテントの中に入っていった。心配そうにテントを見つめるタマの頬を撫でながら、アルムも待ち続けた。

 程なくして、黒ネコを抱えたリンがテントから姿を現した。


「どうだった?」

「医療班の方に診てもらいましたが、ケガの方は心配なさそうです。それに、ご飯をあげたらすっかり元気になりました!」


 腕に抱えられた黒ネコは「にゃー!」と元気よく鳴いて、地面に降り立った。そのままタマのところに行くのを見送りながら、話を続けた。


「それは良かったな。あのネコは今後はどうするんだ?」

「このままうちで引き取ろうかなって思います。野に離したらまたケガしてしまうかもしれないですし、何よりタマもお友達が増えて嬉しそうですから」


 じゃれ合う2匹を微笑ましく見つめるリンは、心底嬉しそうに見えた。友情を育むのに魔物とか動物といった種族は関係ないのかもしれないな、と思いながら、アルムもしばし2匹を見守っていた。

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