茜空に祝杯を

安崎依代@『比翼は連理を望まない』発売!

 だって、あれが最期になるなんて。


 きっとお互いに、分かってなんか、いなかった。



  ※  ※  ※




 帰投した日の夕方には、夕日に乾杯をしてから、瓶コーラを一気飲み。


 それが俺の、一種の儀式みたいなものだった。


「こんなトコにいたんすか、ヒューズさん」


 喉を焼く強烈な炭酸に『あー、今回も帰ってこれたんだなぁー』と生還を噛み締めた瞬間、聞き慣れた声が飛んでくる。


 足音で大体誰かは検討がついていたから、慌てることもない。案の定、顔を向けると予想通りの人物がこちらに歩み寄ってくるところだった。


「みんな探してましたよ。今回全員生還できたことに対する立役者がいないって」

「ライナー、あいつらはな、『いない、いない』って言いながら、その実俺を探しちゃいねぇのよ」

「んなわけないでしょ」

「いんやぁ? あいつら、知ってるはずだからねぇ」


 手すりに肘を預けるようにして立った俺は、最近俺の下に配属された青年にヒラヒラと片手を振ってやる。


 そんな俺の言動にムッと顔をしかめたライナーは、遠慮なく俺の隣に並ぶと俺の視線の先を追うように空を見上げた。まるで俺が見つめる先に、何か重要なモノがあるはずだと信じて疑っていないかのように。


 そんなモノ、見えやしないはずなんだけどな。


「この時間帯の俺が、必ずここにいるってこと」

「そうなんですか?」


 結局、茜空に何も見つけられなかったライナーは、素直に疑問を浮かべて俺を見上げた。


 うん。お前のそういう素直なトコ、おいちゃん大好きよ?


「ま、一種の儀式みてぇなもんよ」


 その素直さに免じて、俺はここで何をしていたのか教えてやることにした。


「帰ってきた日の夕方はよ、ついここに来ちまうんだよな」

「何かあるんすか?」

「別に何もありゃしねぇよ」


 そう、目に見えるモノは、何もない。


 俺がこの夕日に、過去の幻影を見ているだけで。


「……なんっつーかね。ま、『今回も無事に帰ってきたぜ』っていう、報告かね?」

「報告?」

「そ。墓がねぇから」


 なおも首を傾げていたライナーは、俺が何気なくこぼした言葉にハッと息を呑んだ。どうやら今の一言で察するものがあったらしい。


 だから俺は、気を使われる前にさらに言葉を継ぎ足した。


「何も珍しい話じゃねぇだろ。空に散った飛行機乗りの墓がねぇなんて話はよ」


 そう、珍しい話でも、何でもない。


 戦闘機から輸送機、果ては移動用の小型飛行機まで。国土の大半を荒野が占めるこの国では、空を行く乗り物は割とメジャーな移動手段だ。そしてこの国を取り巻く状況も、この国の取り仕切り自体も、俺が生まれた時代から中々にきな臭い。


 空を飛んでいれば、いつかは落ちるか墜とされる。


 そんな言葉を誰もが当然としている中、それでも俺達は空を行く。


 誰かを守るために。誰かを支えるために。より良い未来を夢見て。


「あいつはさ……茜空の中に、飛び立っていったから」


 初めて機体を飛ばした時から、ずっと同じ班でフライトしていた。別行動をしたのは、思えばあの日が初めてだった。


 その『初めて』で、あいつが帰ってこなくなるなんて、考えてもいなかった。


『んじゃ、行ってくるわ』なんて。軽く言われて、ヘラッと笑われて。


『おー、行ってこい』なんて。軽く答えて、こっちもニヤッと笑って。


 ついでに『悪ぃな、一緒に飛べなくて』『ヒューズが風邪引くなんて、季節外れの嵐でも来るんじゃねぇのぉー?』『るっせぇよ、バーカバーカ』なんて、くだらない軽口を叩き合って。


 ……思えばずっとバカみたいに一緒に行動してたから、『行ってくるわ』なんて言われたのも、あれが初めてだったんじゃねぇかな。


「だからさ、こんな茜空の中を見上げていたら、ふと、あいつが乗ってる機体が見えたりしねぇかな、なんて」


 仲間の輸送機の、護衛任務だった。


 輸送機の荷物を狙って襲撃を受けた末、あいつは自分を囮にして敵機全てを引き付け、輸送機を逃がすことに成功した。そのままあいつは茜空の中に消えて、戻ってこなかったらしい。


 俺はその話を、無事に荷物を輸送先に届けきった仲間達からの連絡で知った。


 その時点で、『敵機の数からして生還は絶望的』と聞かされていた。


「……見つかると、いいですね」


 俺の物言いから、ライナーは『相手の消息は今なお不明』と読み取ったのだろう。『墓がない』というのも、生存の可能性がわずかにでもあるからだと考えたらしい。


 再び茜空に視線を置いたライナーは、ポツリと小さく呟いた。


「ヒューズさんの仲間が乗っている機体」


 俺はその言葉に、答えることなく口の端に笑みを浮かべた。


 ……本当は、知っている。


 あいつはもう、この空のどこにもいない。


 仲間からの報告を受けて、周囲の制止を振り切って飛び出していった俺は、数日の間死に物狂いで飛び続けた。下手をしたら本当に死んでいたかもしれない。なぜならどっかの誰かの予言が的中したかのように、俺は飛び出した先で嵐に巻き込まれてしまったのだから。


 風邪が治りきっていない中での、無茶な長時間のフライト。さらに嵐で意識も朦朧としていた。


 そんな中で俺は、声を聞いた。


『帰投したらさ、いつもみたいに瓶コーラで乾杯して一気飲みな』


 その声にハッと我に返った瞬間、俺はどこともつかない凪いだ空の中を飛んでいた。本当にどこを飛んでいたのか分からなかった。


 だって下に見えたのは、海だったのだ。この国は大陸のど真ん中で、俺が飛んでいたエリアではどこをどう飛んでも海になんて出るはずがないのに。


『だからさ、帰ろうぜ、ヒューズ』


 同時に、ストンと心に落ちた思いがあった。視線を投げた海上に、嵐の中を不眠不休で飛び回ってまで探していた『証拠』を見つけてしまったから。


 ……ああ、あいつは、本当に。


 ──あんなに機体がバラけてちゃ、生きてるはずがねぇわな。


 本当は、誰よりも自分が分かっていた。


 仮に機体がバラけていても、生きていたら。


 あいつはどんな手段を使ってでも、必ず俺に生存を知らせてきたはずだ。『いやぁ、悪ぃ悪ぃ! ヘマやっちまったわ!』なんて、空元気を精一杯に振り絞って。


 だって、逆の立場に置かれたら、俺だってそうしていたはずだから。


 それがなかった時点で俺は、心のどこかでは分かっていたはずなんだ。


 あいつは、あの茜空の中で、仲間を守って死んだんだって。


「……そうだな」


 あのフライトの後、俺は気付いた時には拠点に帰投していた。


 風邪が悪化してそれからさらに数日寝込んだ俺を見て、周囲は俺が何の成果も上げられないまま、体調悪化を受けて半死半生で帰投したのだと思い込んだのだろう。誰も何も、俺に問うてくることはなかった。


 だから俺は、あいつの機体の残骸を見たことを、誰にも話していない。あいつの正確な生死を、誰も知らない。そもそもあれを『正確な』と表していいのかも分からない。


 だから俺は今も、全てを飲み込んで静かに、呟くように答えた。


「そうだと、いいな」


 代わりに、手にしたままだったコーラの瓶を、徐々に暗くなっていく空にもう一度掲げる。


 あいつと二人、いつもここで並んで、一日の終わりにどうでもいい話ばかりをしていた時と同じように。


 ……いつか俺が、この空に散る時が来たら、その時は。


「……迎えに、きてくれよな」


 そしたらこの茜空の下、もう一度一緒に。


 あの日々の中で飽きるくらい繰り返したように、軽快に瓶をぶつけ合って、賑やかに乾杯をしよう。


 それまではどこにもこの瓶をぶつけずに、静かに祝杯を重ねておくから。


 だから。


「……っと。ライナー、お前、俺を迎えに来たんじゃなかったのか?」

「あっ! そーですよ! スミスさんやホーンさんに叱られるっ!」


 その瞬間を楽しみに、俺は今日もこの空を飛ぶよ。


 心の内で小さく呟いてから、俺は藍色に染め替えられていく茜空に背を向けた。そんな俺の後ろを、ポコポコ怒りながらライナーがついてくる。


 一瞬、『おやすみ』と、懐かしい声が聞こえたような気がしたのは、いつもはしんみりと終わるこの儀式の最後に、ライナーの賑やかな声が加わったせいだろう。


 そう思いながらも、俺はライナーには聞こえないように小さく声をこぼした。


「……おやすみ、エル」


 お互いに、良い夢を。


 また茜空の下で、逢う日まで。



【END】

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