第5話 新選組 VS 海援隊士~天満屋での決闘
慶応三年十二月七日――、京の都はすっかり白銀に染まった。
この日は凍えるほどの寒さではなかったが、踏みしめる雪の冷たさはその身にも伝わり、斎藤は屯所を出ると軽く身震いをした。
堀川通りから東側に一本入った通りに進むと、西本願寺が見えてくる。
新選組にとってはかつての屯所跡であり、馴染み深い通りである。
さらに左手のほうに進むと、旅籠・天満屋の看板が視界に入った。
斎藤たちがこの日天満屋に向かうのは、三浦からの誘いだ。
といって、局長・副長はそれどころではないといい、護衛を命じられていた斎藤が行くことになったのである。
斎藤はこの時勢に酒を飲む気分ではなかったが、連れてきた隊士たちは酒が飲めるとあって嬉しそうである。
もし今宵が刺客の襲撃の日ならば、酒に酔って後れを取るようなことになれば目も当てられぬ。斎藤が軽く睨むと、ニヤけた彼らの表情はそのまま凍りつき、反省しているかいないのか、よくわからない表情になった。
◇
三浦休太郎は
そんな三浦は新選組のこれまでのできごとを、あれやこれやと来てきた。
斎藤は一杯の酒を黙々と口にしていたが、他の新選組たちは自慢げに語っている。
「おお、それで?」
三浦という男、人を持ち上げるのも巧みなようで、当然相手の口は軽くなる。
ある程度聞き終えると、三浦の矛先は斎藤に向いた。
「酒が、進んでおらぬようでござるな? 斎藤どの」
「いや、十分に頂いております」
「この数日なにも起きんところをみると、
三浦も、襲撃は起こらないと思っているようだ。
「それだといいのですが――」
「実は明日にでも、帰藩しようと思っての」
紀州へ帰るという三浦に対して、斎藤は襲撃は起こる気がしていた。
亥の刻――、酒宴もだいぶ進み、三浦はかなり酔っていた。
こうなると、三浦の剣は期待はできそうもない。
そんなとき――、斎藤たちがいるこの二階に向かって、階段を上がってくる複数の足音が聞こえてきた。
斎藤は咄嗟に、脇においた愛刀・鬼丸国重を掴んだ。
「部屋に許可なく入るとは、無礼であろう!」
障子が激しく開き、三浦は一喝した。
そこにいたのは数人の男たちで、浪士のような風体である。
その一人が迷わず、三浦に詰め寄った。
「某は十津川郷士・
斎藤は中井庄五郎という名に、心当たりがあった。
今年の一月七日――、四条大橋にて沖田総司、永倉新八、そして斎藤は、二人の男と斬り合いになった。
一人は土佐藩士・
那須盛馬は元治二年一月八日に大阪で起きた、ぜんざい屋事件の関係者だった。
ぜんざい屋事件とは土佐勤王派が、大坂市中に火を放ち、混乱に乗じて大坂城を乗っとるという計画だったらしいが、当時大阪に出張っていた一部の新選組隊士がこれを察知、防いでいる。
この事件のとき、那須盛馬は外出だったらしい。
その後彼がどうなったか定かではないが、まさか四条大橋にて対峙した中井庄五郎と、ここで再会するとは。
「坂本さんの、
中井庄五郎は三浦本人と確認するや、刀を振り下ろした。
斎藤は「しまった」と思ったが、遅かった。
「三浦どの、避けろ!!」
三浦も刀の鯉口を切ったが、中井の剣は三浦の顔面を捉えていた。
◆◆◆
「ぐっ……」
鮮血が畳に飛び、頬と
「三浦どのっ」
斎藤は数人
幸い三浦は、命だけは免れた。
刺客の一人が、そんな斎藤に目を細めた。
「おまんら、何者ぜよ」
男の言葉には、土佐訛りがある。
おそらく、彼らこそ海援隊士なのだろう。
「我らは京守護職・会津中将・松平容保さま配下、新選組である」
斎藤の名乗りに、海援隊士の一人が渋面になった。
「沢村くん、これはいかん」
「陸奥、なにを怖じ気づいちゅう。これは坂本さんの敵討ちやき、新選組など怖くないがよ」
「そうじゃ。いろは丸の腹いせで坂本さんを、奴は斬ったがじゃ」
海援隊士の言い分に、三浦休太郎は蒼白な顔で訴えた。
「……ち、違うっ! 坂本どのを斬ったのは、わしらではないっ」
「三浦どのは、違うと言っている」
斎藤は鬼丸国重を構え、刺客たちを睨みつけた。
「ふんっ。新選組は、いまだに幕府側の味方をしゆうが?」
「何と言われようと、斎藤は己の信じるもののために戦う」
ついさっきまでの酒宴の場は、修羅場と化した。
剣と剣がぶつかる音が響き、新選組平隊士・宮川信吉と舟津釜太郎が斬られた。
座敷内での戦闘は、どうもやりづらいこの上ない。
すると誰かが蝋燭の火を消した。
明かりが消えて、不利なのは向こうも同じだろう。
仕留めるべき相手がどこにいるか見えず、気配でやり合うしかならなくなったのだから。
「くそっ……!」
「斎藤さんっ!」
刺客の声と、新選組隊士の声が重なった。
斎藤が振り向いた時、背後に平隊士の梅戸勝之進がいた。
肉を断つ音が聞こえて来たのは、そのあとだ。
「梅戸!?」
倒れて来る梅戸を抱きとめ、斎藤は彼の生死を確認する。
傷は深いが、急所は外れている。
「ご無事で……なりより……」
梅戸は、そういった。
もし梅戸勝之進が割って入らなければ、斎藤は間違いなく背後から斬られていただろう。決して油断していたわけではないが、斎藤の不覚である。
「すまなかった……、梅戸」
斎藤の感謝に、梅戸は力なく笑った。
「おのれ、新選組め!」
中井庄五郎が斎藤の前に立った。
「――新選組副長助勤・三番隊組長、斎藤一。相手になろう」
斎藤は他の隊士を制し、刀を構えた。
「その構え――、一刀流か。面白い」
中井は鼻で笑い、床を蹴った。
「……ぐっ……」
勝負は一瞬、斎藤の横を過ぎていった中井が呻いた。
「て、撤収じゃ!!」
戦闘経験がそれほどないのか、海援隊士たちは天満屋から逃走した。
翌――。
斎藤は、屯所の庭で空を見上げた。
今にして思うに――。
――俺は、己の信じるもののために戦う。
新選組は、いまだに幕府の味方をするのかという海援隊士に対して、斎藤が咄嗟に放った言葉。
これから先、幕府がどうなるのか、新選組はどうなるのか、それはここにいる誰もが思っていることだろう。
だが、現在もなんのために戦うのかと問われれば、斎藤は同じ言葉を言うだろう。
それが斎藤一の生き方であり、生涯変わらないだろう。
斎藤は、庭に背を向けた。
新たな戦いに向かうために。
◆
慶応三年十二月九日――王政復古の大号令によって、徳川幕府が真の意味で終わりとなる。
ここに、朝廷の下に新政府が誕生する。
ただその新政府に徳川は組み込まれず、かつての倒幕派は今度は徳川を倒す標的に定めてきた。
鳥羽・伏見の戦いが勃発するのは、それから約ひと月後のことである。
新選組三番隊組長・斎藤一――、彼はまさしく己の信じるもののために、戊辰戦争で戦い、その後の明治の世を生きた。
新選組隊士個人として活躍したのは、天満事件が最後であったが、元来寡黙な男は明治の世において、新選組時代のことを語ることはなかった。
彼が後世なにを思い、なにと戦っていたのか、それは斎藤本人の他は誰も知らない。
----------------------------完
新選組三番隊組長・斎藤一~天満屋事件帖 斑鳩陽菜 @ikaruga2019
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