第4話 沖田総司の不安

 海援隊士に命を狙われている――、そう語る紀州藩士・三浦休太郎みうらきゅうたろうだったが、斎藤が挨拶がてら天満屋に赴いてから二日、不穏な動きが刺客側にあったという報せはなく、三浦の思い違いではないかと、斎藤と天満屋に同伴したしょ調ちょうやくけんかんさつ大石鍬次郎おおいしくわじろうが言った。

 それならばそれでいいのだが、斎藤はどうもなにか起きそうな予感がしてならなかった。 それは副長・土方も同じようで、斎藤の三浦護衛の役を解くことはなかった。

 新選組はいつもと変わりなく、この日の巡察担当組が出動していった。

 そんななか、斎藤一は――。

 

「ねぇ、いつまでそうしているわけ?」

 屯所の奥――、沖田総司がせる座敷で、布団から顔を半分出した沖田が聞いてきた。

 斎藤はなにを語るわけでもなく、少し離れた位置に座していただけだったが、黙ってじっと座っていられるのは、沖田としては嫌なようだ。

 これが話し好きの原田左之助なら話し相手になったかも知れないが、斎藤は口下手である。おまけに、笑顔というものが苦手だ。

 

「命令が解除されるまでだ」

 不満そうな沖田に対し、斎藤は言った。

 斎藤がこの部屋にきたとき、沖田は最初は嬉しそうな顔をしたが、見張りと聞かされて、その顔はみるみる不満一色になった。

 

「ひとつ聞くけどさぁ、厠にもついてくるわけ?」

「張り付いていろ――というのが命令だからな」

「信用ないなぁ……」

 斎藤も厠までついてこられるといい気はしないと思うが、これも任務なのである。

「信用できないことをしたのは、お前だ」

 斎藤は、そう沖田をたしなめた。

斎藤がこうして沖田に張り付いていることになったのは、天満屋に赴いた翌日に遡る。


 三浦護衛を命令されてから、斎藤はいつでも駆けつけられるよう、日中は屯所に待機していた。

 さすがに刺客も、明るい日中には襲ってこないだろう。

 京は新選組の他にも奉行所の役人や、見廻組も洛中警備に動いている。

 もし斎藤が刺客なら人目が多い日中ではなく、夜に動く。


 ――素振りでもするか……。


 斎藤は庭に降り、木刀を振り下ろした。

「ご苦労なことだな? 斎藤」

 裏木戸からふらりとやって来た長身の男を一瞥して、斎藤は再度、木刀を振る。

「原田さんも、稽古をしたらどうです?」

「俺は、こいつがあるから大丈夫さ。しっかし、本当に奴らはやって来るのかねぇ……」

 腹に巻いた晒を大きくはだけた袷から覗かせ、原田左之助は頭をかいている。

 紀州藩が会津藩を通し、新選組に護衛を依頼してきた話は副長助勤たちに知らされている。

 刺客とされる海援隊は、この京にも拠点を置いていた。

 場所は河原町三条近くの材木屋・酢屋すや――、しかし巡察に出ていた隊士いわく、怪しい動きはないという。

 

「副長の勘は、外れたことはありません」

「だったら、どうしてこの原田左之助に命じてくれなかったんだよ。こいつで突きまくってやるのによぉ」

 原田はそういって、槍を構える。

 原田は七番組長の谷三十郎たにさんじゅうろうと並ぶ宝蔵院槍術の名手で、長身を生かした戦法を得意とするが、少々喧嘩っ早い。

 問題は刺客との戦闘が座敷内ではじまった場合、原田のその得意な槍が不利になることだ。

そんなときだ。


「馬鹿野郎!!」

 突然聞こえてきた怒鳴り声に、斎藤と原田は体勢を崩した。

「な、なんだぁ?」

「副長――ですね」

 この屯所で大声で「馬鹿野郎」と怒鳴るのは、土方しかいない。

 妙なのはその声が、沖田が臥せっている別棟から聞こえてきたことだ。

 沖田は周りが恐れる土方に、よくちょっかいを出しては怒鳴られていたが、現在の沖田はそんな人をからかえる体ではない。

 

 斎藤と原田は何事かと別棟に向かうと、そこでとんでもない光景を目にした。

 沖田は庭で、木刀を振っていたのだ。

 

 ――あの馬鹿。だからやめろといったのだ。

 

 斎藤は、沖田が木刀を振るところを以前に目撃したことがある。

 病床についてからも、体の調子がいいときはこっそり素振りをしていたようだが、斎藤の制止に聞くような沖田ではなかった。

 この日はついに、土方にみつかったようだ。

 こうして斎藤は、土方から沖田の監視という任務まで命じられたのである。


                 ◆◆◆

 

「ねぇ、はじめくん。は、もう役に立たないのかなぁ?」

 斎藤に張り付かれて観念したか、沖田が天井を見つめながらそういった。

 彼の病状は深刻だった。

 感染するからと、部屋の立ち入りは医師の松本良順だけだったが、少し距離をおけば問題ないということで、食事の持ち込み、軽い見舞いなどは許されていた。

 火鉢で程よく温められた座敷、枕元に置かれた薬袋と吸い飲み、水桶に手ぬぐい、彼のために用意された品々は、彼の全快への期待だ。

 

「なにを馬鹿なことを言っている?」

 斎藤は否定しつつも、視線は沖田の腕に注がれる。

 すっかり肉が削げた、細い腕に。

「以前なら刀を振り上げることぐらい造作なかったのに、どうして現在は持ち上がらないんだろう? あれじゃあ、腹も切れないね」

 沖田はそういって、苦笑する。

「総司!」

「冗談だよ。でもね、不安なんだ。このままなにもできず、みんなに置いていかれるのが」

 いつも明るく、子どものように笑っていた沖田。

 聞けば九歳から剣術を始めたという沖田にとって、その刀を取り上げられるのは死んだも同じと思うらしい。

「そんなことはない。きちんと養生すれば、いくらでも刀を振れる」

「嘘が下手だね? 一くん」

 沖田の指摘に、斎藤の肩が跳ね上がった。

 斎藤は、己の性格がこのときほど恨めしいと思ったことはない。

「…………」

 黙した斎藤を、総司が苦笑する。

「そうそう、そうやって小さな皺を眉間に刻んでいるのが、いつも一くんだよ。そして一くんは、嘘はつけない。自分でもわかってるんだよ。自分の身体だからね。でも、あの土方さんのあんな顔は初めて見た」

 

 床を抜け出して、木刀を振っていた沖田。

 それに激怒した土方。

 沖田の身体の状態を考えれば、土方が激怒するのは当然だろう。

 しかし土方も、正直な男だった。

 沖田を怒鳴り飛ばしたその表情に、沖田の病の深刻さがありありと浮かんでいた。

「いっそのこと……、お前はもう刀は振れないと言ってくれればいいのに。最後まで意地悪だなぁ」

「総司、なにをひとりで諦めているか知れんが――、お前は斎藤との約束は果たしていないぞ」

 斎藤の言葉に、沖田が瞠目した。



 まだ、江戸にいる頃だ。

 斎藤は沖田に、立ち合いを申し込んだ。

「他流なら試衛館うちには、藤堂や永倉さんがいるじゃない」

 その二人をもってして、沖田の剣は凄いというのだ。

「お前としたいのだ」

「うーん……、そのうちにね」

「そのうちとは?」

「今度、試衛館に来たら相手になるよ」

 沖田はそういった。

 だがそんな矢先に斎藤はある旗本を斬ったために、江戸にはいられなくなった。

 

 

「そんなことがあったねぇ……」

 沖田は、笑っている。

 京で試衛館の仲間と再会し、新選組に入った斎藤だが、沖田とはいまだに立ち合えていない。

 この希望がもう叶わぬことは、斎藤にもわかっていた。

 しかし斎藤は、沖田には最強の剣士でいて欲しかった。

「だから早く、体を治せ」

「そうだね……」

 果たして沖田が、納得したかはわからない。

 斎藤は沖田が眠ったのを確認すると、部屋を出た。

 

「――あの馬鹿、眠ったか?」

 副長室の障子を開けると、土方は斎藤が口に出す前に聞いてきた。

 あの馬鹿とは、沖田のことだろう。

「薬が効いたようです」

「天満屋から報せがきた」

 土方の言葉に、斎藤は胡乱に眉を寄せた。

「刺客が現れたのですか?」

「いや、酒の誘いだ。まったく命を狙われているというのに、呑気なもんだぜ」

 刺客がやってこないことに気を緩めたか、三浦休太郎はそう言ってきたという。

「お断りされますか?」

「いや。もし刺客が本当にやつを狙っているとしたら、一番油断しているときを狙うと思わねぇか?」

「ではこの数日の間が勝負だと?」

「ああ」

 斎藤は平隊士数名をつれ、天満屋に向かったのであった。

 

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