第3話 坂本龍馬を斬った男!?
幕府が朝廷に政を返したと報せが入ってきた時――、新選組内には当然のごとく、動揺が広がった。
勤王佐幕を貫く新選組にとって、その幕府が消えるということは大義名分を失う。
徳川は一諸侯となり、新政権は新選組をどう扱うだろうか。
これまで京守護職・会津藩の下に置かれていたが、それは幕府があってこそ。
この日の夜は白銀の月が浮かび、雪に薄っすら染まった庭を照らしている。
斎藤はこの日も、刀の手入れに余念がない。
刀は武士の魂――。
局長の近藤勇が、よく言っている言葉だ。
斎藤一の刀、
この京で、何人斬ったことだろう。
斎藤は、それが悪いとは思わない。
相手が刀を抜いて向かってくれば、こちらも応戦する。
大事なものを守るため、命をかけて戦う――、それが真の武士。
しかし、幕府が消えるとなれば話は変わってくる。
これから新選組はどうなるのか――、それは神のみぞ知るだろう。
「こんな夜分に、刀の手入れか? 斎藤」
廊下に、一人の男が立っていた。
「まだ起きていたんですか? 永倉さん」
副長助勤二番隊組長、永倉新八である。
「どうも最近、寝付けなくてな……」
永倉の視線は斎藤からすぐに離れ、月に向いていた。
「任務に支障をきたしますよ」
「わかっている。だがな、斎藤。これから俺達は、何のために戦えばいい?」
永倉は、神道無念流の使い手だ。
沖田総司が新選組一の剣豪なら、次はこの男だろう。
そんな永倉が迷っている。
油小路にて、かつての八番隊組長・藤堂平助が散った。
御陵衛士を結成し、新選組を離脱した伊東甲子太郎とともに、藤堂も新選組を離れた。
永倉を含め十番隊の原田左之助にとっては、藤堂はいつも一緒に群れていた仲間である。
江戸の試衛館で食客としていた三人――、これまで離れることがなかった三人が離れ、伊東襲撃の場に藤堂が他の御陵衛士たちとやってきて、新選組隊士と斬り合いとなった。
彼を斬ったのは永倉や原田ではないが、新選組内に漂う嫌な気を、永倉も感じているようだ。
隊士たちに広がる不安――、それはやがて脱退へ繋がる。
どんな理由があるにせよ、捕まれば間違いなく、切腹である。
それが、新選組の鉄の掟である。
「先のことは、誰にもわかりません。ただ――」
斎藤の言葉に、永倉が視線を戻す。
「ただ――?」
「今は前を向くしかないかと」
永倉は瞠目し、
「お前――、最近、土方さんに似てきたな……」
と、笑った。
沖田からも、同じことを言われた。
斎藤と土方は似ているという。
何を考えるかわからないところが、似ているそうだ。
はたして
◆
かつて新選組参謀だった伊東甲子太郎を襲撃した場所は、洛中で南北に一番長い通りの油小路通である。
そんな因縁のある通りに、旅籠・天満屋がある。
新選組局長・近藤勇は、護衛相手の紀州藩士の逗留先に、この旅籠を勧めた。
理由は新選組のかつての屯所・西本願寺も近く、現在の不動堂村も近く、なにかあればすぐに対応できるからだろう。
護衛相手の男は、三浦休太郎と名乗った。
「いや、
この場合、近藤なら豪快に笑って謙遜し、相手を気分良く褒めるのだろうが、斎藤にそんな芸はない。
当然、ここでの初対面の挨拶はぎこちないものになった。
「……新選組副長助勤・斎藤一にござる」
「腕の方は、確かでござろうな?」
三浦は胡乱に目を細め、警戒している。
斎藤は自分でも、愛想が良くないことを知っている。
口数が少ない上に滅多に表情も変えないため、かえって相手を警戒させてしまうらしい。
これまての人生で、その性格で困ったことにはならなかったが。
「局長より――、三浦どのを守れとの命を受けて参った所存」
話は紀州藩から会津藩、そして新選組に伝わったと聞いた三浦は、ようやく斎藤への不信感を解いた。
「それは、ご苦労にござる」
だが紀州徳川家の家臣という誇りなのか、それとも自分たちが格上とこちらを見下しているのか、三浦の態度は不遜である。
このとき斎藤は一人で、天満屋に来たわけではなかった。
いくら新選組屈指の剣豪・斎藤一といえど、相手が数で来られれば太刀打ちできない。 諸士調役兼監察の大石鍬次郎、平隊士の梅戸勝之進以下四名がついてきた。
「さっそくですが、命を狙われてると聞きましたが――」
「左様、相手は海援隊でござる」
「海援隊……?」
「坂本龍馬という男をご存知か?」
まさかここで、坂本龍馬の名前が出るとは思っていなかった斎藤である。
「名前だけは……」
そう答えて斎藤は、三浦の話に集中する。
「その男と我が紀州藩は、些か因縁がござる」
◆◆◆
慶応三年四月二十三日――紀州藩の軍艦・明光丸は長崎に向けて、順調に瀬戸内海を航行していた。
備中国・笠岡諸島の六島に、差し掛かったときである。
刻限は夜の四ツ半――、船員の一人が前方に船がいるという。
この夜は霧も発生し、視界は良くはない。
「面舵いっぱい!」
明光丸は、右に舵を切った。
だが相手の船はなにを思ったか、左に舵を切ってきた。
海法・廻船式目では、右側航行が原則。
双方回避できず、二隻は衝突した。
あとになり、相手の船は土佐藩外郭組織・海援隊の伊呂波丸だと判明するのである。
当時、三浦休太郎は藩の周旋方として京におり、帰藩した際に事件を知った。
聞けば海援隊を率いていたのが、坂本龍馬だった。
この事件で死者は出なかったが、伊呂波丸は沈没し、賠償について交渉することになった。
紀州藩側は幕府の判断に任せるつもりだった。
だが、交渉に出てきた坂本龍馬はこう言った。
「廻船式目はもう古いきに、これからは万国公法じゃ。これに、正しいことが書いちゅう。そちらに非があると、の」
これに明光丸船長・高柳楠之助は、反論できなかったという。
たしかに廻船式目には、蒸気船の事故処理などは、記されていない。
さらに海援隊側は、失った船と積み荷の賠償金として、一万両を請求してきた。
結果――、紀州藩が七万両の賠償金を、海援隊に払うことになった。
紀州藩側は納得できなかったが、海援隊の裏には土佐藩がいる。
この時期に、さらに大事になるのは避けたかった。
そんなときである。
京・近江屋にて、坂本龍馬が何者かに襲撃され、世を去ったのは――。
海援隊と交渉していたのは主に高柳と、勘定奉行の茂田一次郎らだが、三浦もその一人であった。
京に戻る歳、三浦はこう忠告される。
土佐の人間に気をつけろ――と。
海援隊士たちは、坂本龍馬を襲ったのは三浦だと思っているというのである。
◆◆◆◆
「我が藩は海援隊に賠償金を支払った。それをなにゆえ、坂本を斬ったということになる!? そうであろう!? 斎藤どの」
経緯を話し終えた三浦休太郎は、憤懣やる方ないらしい。
「ひとつ伺いたい」
斎藤は、確認することにした。
「なんだ」
「坂本を斬ったのは、あなたではないのですね?」
「いかにも。そもそもあの男は薩長と繋がっておった。怪しい人間は、他にもいように」
三浦の目が「新選組ではないのか?」と言っている。
だが、これはない。
新選組は、確証がなければ動かない。
もちろん、探索中に相手が抜刀すれば戦闘となるが、充分な下調べをしたうえで、捕縛に向かうのが新選組である。
近江屋事件が起きたその日まで、近江屋という屋号は近藤・土方の口からは出ていない。
つまり近江屋に坂本龍馬がいたことを、二人は知らなかったことになる。
ならば隊士が勝手に襲撃したのかといえば、これもない。
単独行動はそれこそ、隊の規律を乱す行為だからだ。
「あの御仁、我々をなんだとおもっているのでしょうなぁ?」
天満屋からの帰り道――、大石鍬次郎が言った。
上から物を言う三浦の態度が、気に入らなかったらしい。
「それでも我々は、任務を果たすだけです」
斎藤はそう大石にいって、空を見上げた。
白いものが、草履に落ちたからだ。
空からは、小雪が降ってくる。
いっそのこと、先行き不安な心のまで隠してくれればいいのに。
斎藤は、そんなことを思っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます