第2話 思わぬ依頼者

 慶応三年十一月下旬――、寒さは一層厳しくなり、空は白色に染められていた。

 敷地にある銀杏はほとんど葉を落とし、見るからに寒々しい。

 新選組三番隊組長・斎藤一は、これまでと変わりなく巡察を終えて、屯所の敷居をまたいだ。

 帰陣と同じくして、時の鐘が鳴り響く。

 新選組隊士が纏う浅葱色の羽織は、以前はかなり目立ったが、現在の町の評価は少し変わっていた。


 ――徳川はんは禁裏さまに政を返しはったというに、ご苦労なことや。


 徳川の世は終わった。なのに未だに徳川のために動いていると言いたいのだろう。

 

 十月十三日――、将軍・徳川慶喜は朝廷に政を返上した。

 だが長らく政から遠ざかっていた朝廷に、政権を担う力も体制もなく、国是決定のための諸侯会議招集までとの条件付きながら、引き続き幕府に政が委任されることになった。

 この頃の新選組は屯所を西本願寺から不動堂村に移し、六月には隊士たちは幕臣に昇格した。

 大政奉還によって幕臣となったのは意味はなさなくなったが、局長・近藤勇の喜びようは斎藤もはっきり覚えている。

「ようやく、武士おとこになったぞ……」

 大の男がそう言っておいおいと泣き、側にいた副長の土方歳三が呆れた。

「泣くんじゃねぇ、近藤さん。みっともねぇ」

 以前聞いた話だが、近藤も土方も武家の生まれでなく、多摩農村の出だという。

 真の武士になる――、それが二人共通の夢だったらしい。

 確かに幕府に認められたことは、歓喜に値しよう。

 だが近藤は、将軍が朝廷に政を返上した報せにも泣いていたが。

 

「珍しいこともあるもんだな」

 不意に声をかけられ、斎藤は振り向いた。

「副長――」

 斎藤の視線の先にいたのは、副長・土方であった。

「お前が笑うところを、初めてみたぜ。斎藤」

 過去を振り返っていた斎藤に笑うつもりはなかったが、咄嗟に口元を引き締めた。

「――すみません……」

「謝ることはねぇよ」

 土方の表情は暗い。

 この男がそんな表情をするのは、沖田総司のことが気がかりなのだろう。

 ここ最近は、沖田の冗談も飛ばなくなった。

 かつて剣才といわれた新選組きっての若き剣豪は、労咳と戦っている。

 なれど労咳はそんな沖田の体力を日毎に奪っていく。

 

「総司はだいぶ悪いのですか?」

 聞くまでもなかった。土方の表情が物語っている。

 つい口を出たが、土方は斎藤の言葉を否定はしなかった。

「あいつは大丈夫だと笑っていたが、良順先生はもう、剣は振るえないと断言した。それを総司あいつにいえると思うか? 言えるわけがねぇ」

 土方と沖田の縁が深いことは、間違いないだろう。

 


 斎藤一が新選組に入ったのは、偶然だった。

 父・右助は播磨国明石藩はりまのくにあかしはんの足軽であったが、江戸へ下り、旗本・鈴木家に仕えたという。

 居合道・無外流むがいりゅうを学んでいた斎藤だが、あるときなぜか彼の足は、牛込は甲羅屋敷町に足が向いた。

 竹刀の音に誘われて、そこに立つ町道場を覗いたとき、

「やぁ。入門希望かい?」

 斎藤を入門者と勘違いしたこの相手が、沖田総司だった。

 その道場の名は試衛館、江戸では無名の天然理心流を流派としていた。

 このとき斎藤は、この町道場に集う面々とともに戦うことになるとは思っておらず、妙にそこに居心地良さを感じて出入りするようになった。

 斎藤は確信する。

 あの瞬間から、己の運命は定まったのだと。

 その後の斎藤は理由わけあって一人の旗本を斬り、京へ逃れた。

 その京で斎藤は、浪士組として参加していた試衛館の面々と、再会することになるのだ。

 

 

「剣の道を生きてきた者にとって、もう剣が振るえないということは武士として終わりを意味します。それを誰かの口から告げられるのは、辛いでしょう。それが――、あなたの口からならなおのこと」

 沖田の現状に唇を噛む土方に、斎藤は言った。

 斎藤も、剣の道に生きていたからわかる。

 武士が実戦で、刀を使えないということがどんなに悔しいことか。

 おそらく沖田は誰から言われるまでもなく、己の身体のことはよくわかっていよう。

ただ斎藤はこのとき、気になることがあった。

 屯所から出てくる、会津藩の人間を見かけたからだ。

 

 新選組は京守護職、会津中将・松平容保の指揮下にある。

 ゆえに、会津藩士が屯所に来ていても妙ではないが、大政奉還後の都はこれと言って事件はなく、薩長倒幕派も動きを止めていた。

 よほどのことが起きない限り、会津は新選組に報せては来ない。

「副長――、先ほど会津の公用方を見かけましたが?」

「坂本龍馬を斬ったのは、新選組かと聞きに来たのさ」

 斎藤の疑問に、土方がそう言って舌打ちをした。

 新選組がいかにも人を斬る集団と思われていることに、土方は不快らしい。

 確かに新選組は、人斬りではない。

 帝が座す京の治安を守り、幕府に異を唱えて過激な行為をする人間を取り締まっているのだ。刀を抜かなければこちらが斬られる。敵に背を向けることは、それこそ士道不覚悟。

 

「坂本龍馬というと――」

 斎藤には、その名に心当たりがあった。

「以前、新選組うちでも捕縛対象となった男だ」


 坂本龍馬――。

 土佐藩郷士だというその男は、薩摩・長州倒幕派とよく接触していたらしい。

 その坂本龍馬が十五日頃、河原町の醤油屋・近江屋で襲撃され落命したという。

 近江屋がある四条河原町は、新選組の見回り担当区域である。

 新選組の巡察は、日中と夜に行われる。

 当時の当番は、原田左之助の十番隊だった。

 

「ですが、確証を掴むまでは手を出すなと命じられた筈……」

 坂本が怪しいという話となった時、土方は確かに隊士たちにそう命じていた。

 原田左之助はかっとなりやすい男だが、土方の命令無しで動く男ではない。

 聞けば原田は「濡れ衣だ」と激昂していたという。

 

「ああ。だから言ってやったよ。坂本を斬ったのは、新選組おれたちじゃねぇって、な」

 やってきた会津藩公用方に対し、土方はそういったという。

 だが――、この近江屋事件が思わぬ形で、新選組に再び降ってくるのである。


                  ◆◆◆


 十一月下旬――、薩摩藩主・島津忠義しまづただよしが藩兵を率いて上洛してきた。

 その物々しさに、いよいよ薩摩が倒幕の決起をするかと新選組は警戒を強めたが、何も起きることはなかった。

 やがて、師走に入った。

 不動堂村屯所に、会津藩公用方が局長・近藤を訪ねてきた。

「坂本を斬った嫌疑は、晴れたんじゃねぇのか? 近藤さん」

 いつものように巡察の結果を報告していた斎藤も、土方につられて視線を局長・近藤に運んだ。

 副長室までやってきた近藤は、嘆息して答えた。

「いや、今度は別件らしい」

「で、今度はなんて言ってきたんだ?」

「人を一人、護衛してほしいそうだ」

「用心棒をするほど、新選組は暇じゃねぇんだがな」

 土方はいかにも、面倒だといわんばりだ。

「それが相手は紀州藩士だそうだ。トシ」

 この藩命に、斎藤は思わず声が出た。

「紀州――……」

 土方がふんっと、鼻を鳴らす。

「なるほどな……。会津が動くわけだ」

 

 紀州藩五十五万石――、紀伊国一国と伊勢国の南部を領する親藩にして、徳川御三家。

 同じ親藩であり、紀州徳川家となると会津が動くはずである。

 近藤いわく、その会津に紀州藩から「命を狙われている藩士がいる」と、助けを求めてきたらしい。

 といって、会津藩士が護衛するわけにもいかなかったようだ。

 斎藤は、土方と目が合った。

 にっと笑う彼に、斎藤はこの場にいたことを後悔した。

「――まさか、わたしですか?」

新選組うちで腕が立つ人間といえば、総司と永倉とお前だ。総司はあの状態だ。となると、この場にいたお前ということになる。そうだよな? 近藤さん」

「そうだな」

 土方に同意を求められた近藤が頷き、斎藤は長嘆した。 

廊下に出ると、小雪が舞っていた。

 あと何日もすれば、都は雪に包まれるだろう。


 これから、新選組はどこへ向かうのか――。

 幕府が存続していられるのは、幕府に変わる朝廷主導の政権ができる間まで。

 白く染められていく都とは逆に、斎藤一の心は不安というもやが覆っていた。

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