新選組三番隊組長・斎藤一~天満屋事件帖
斑鳩陽菜
第1話 新選組三番隊組長、斎藤一
「
間もなく、日没というときであった。
この頃の沖田は
諸士調役兼監察は主に、隊の内部を監視、査察、外では不逞浪士などの探索を受け持つが、斎藤は沖田と同じ副長助勤である。
助勤の任務は副長の補佐、一隊の組長であり、沖田は一番隊、斎藤は三番隊を束ねているが、歳は沖田のほうが二歳上である。
からかわれているのか、それとも本気なのか、沖田のその表情に潜む真意は、その諸士調役兼監察だろうと探れないだろう。
いつもは子どものように笑っている沖田だが、いざ斬り合いとなれば見事に相手を仕留める。その変わりように、斎藤は何度息をのんだことか。
敵であれば、斎藤であれその剣技に対抗できるか否か。
斎藤の腕は一刀流――、新選組屈指の剣豪として知られる。
三番隊組長であるとともに
彼の剣の腕は、おそらくもう見られないだろう。
そんな沖田が斎藤に、諸士調役兼監察の素質があるかも知れないと言ったのは、新選組参謀・伊東甲子太郎と、その一派の離脱の件だろう。
それは、今年三月はじめに遡る。
◇
慶応三年――三月。
新選組の屯所は、西本願寺にあった。
禁門の変をきっかけに、新選組の名は京都に轟いたが、京都の治安が良くなったかといえばそうでもなく、隙あらば幕府を倒そうとしている者がいるという。
斎藤を含む十人の副長助勤は、交代で京都に巡察に出る。
新選組の指揮命令等は基本、副長から出る。
斎藤はその副長・土方に部屋まで呼ばれた。
この日の三番隊は非番で、斎藤は庭で素振りの最中だった。
報せて来たのは、巡察を終えた十番隊組長の原田左之助である。
「斎藤、お前ぇ、なにやらかした?」
顔を合わせるなり原田にそう言われ、斎藤は唖然とした。
沖田が先陣を務める一番隊組長なら、原田は
明るい性格の男だが、少し騒々しいところがある。なにかをやらしそうなのは斎藤より、頭一つ高いこの原田のような気がするのだが。
「なにゆえ、そんなことを聞く?」
「土方さんが
原田はそういって、渋面になった。
新選組副長・土方歳三――、誰が先に言い始めたのか、鬼の副長と。
局長の近藤勇の性格は
もともと美形なため島原などの女たちには人気があるらしいが、沖田などは、たまに笑顔でも浮かべて隊士たちに接すればいいものを、と言ったことがある。
すると原田が
「よせよ……、余計、怖ぇよ」
と、本気で怖がった。
確かに普段ニコリともしない相手が突然笑顔で接してくれば、何か起きたと思うだろう。
その土方がいる副長室は、屯所の最も奥にある。
斎藤にとって副長室にいくことは、巡察の報告などで行くこともあるため不安になることはないが、一般隊士にとっては刑場に向かうようなものらしい。
しかしこの日の斎藤は、土方が怖い顔で呼んでいると聞かされて、珍しく不安になった。
斎藤に、土方を怒らせるような心当たりはなかったが、
刻限は七ツ半――、廊下から望む西の空がうっすらと茜になり始めている。
「――伊東の野郎が、
斎藤が座すとすぐに、土方が眉を寄せた。
新選組参謀・伊東甲子太郎――、参謀という最高幹部に名を連ねているが、土方はこの伊東を以前から警戒していた。
理由は伊東が、勤王一色だかららしい。
帝を尊ぶことは悪いことではないが、新選組は勤王佐幕なのである。
伊東を慕う隊士は増え、土方は言った。
いつか奴は、新選組を勤王の隊に変えちまう――と。
「以前、伊東参謀が出ていくと清々すると、言われていませんでしたか?」
斎藤の言葉を、土方は否定しなかった。
もちろん彼がそういった相手は、斎藤と沖田、近藤の三人だけだが。
斎藤がその場にいたのはたまたまだったが、局長と副長が顔を揃えているその場に、参謀である伊東がいないことから、彼を警戒していることは間違いないだろう。
「奴の
剣呑な土方の視線とぶつかり、斎藤の背筋を冷たいものが流れ落ちた。
昨年の末――孝明天皇が崩御し、帝が葬られた御陵を守る隊を新たに設立することを、伊東たちは画策していたらしい。
勤王の伊東らしい策だが、新選組を出ていく分にはいいのではと、斎藤は思った。
だが土方から返ってきた言葉は、斎藤が予想する
「お前――、奴の所へいけ」
「は……?」
追い出される理由がわからず、斎藤は唖然となった。
「奴は、お前を気に入っているそうじゃねぇか」
「誰です? そんなことを言ったのは――」
伊東が、斎藤に接触してきたのは事実だ。
三番隊組長という地位にはあるが、斎藤は沖田や原田のように良く話すわけでもなく、群れることもしない。
原田に言わせると、真面目過ぎて堅物だそうだ。
そんな斎藤のどこが気に入ったのか、伊東はやけに褒めてくる。
「君のような男こそ、この国のために役に立つのだ。斎藤くん」
おそらく他の隊士にも似たようなことを言って誘っているのだろうが、斎藤は軽く礼を言ってそのときは聞き流していた。
「伊東参謀は、なにか勘違いをされているのです」
「俺は、お前が奴のところに行かせられる、最も適任者だと思うぜ? 斎藤」
なにが適任なのかさっぱりだが、副長命令に「否」とは言えず、斎藤は伊東に会った。
伊東は斎藤の新選組離脱を喜んだが、藤堂平助が嘆息した。
「一が、新選組を出るなんて意外だな……」
「俺は追い出されたのだ」
伊東にも言ったことを、藤堂にも告げた。
「へぇ。何をやらかしたのさ?」
このときの斎藤は、理由まで考えていなかった。
伊東は説明するまでもなく勝手に誤解し、同情までしたが、藤堂とは長い付き合いだけに返答に窮した。
「お前はどうなんだ」
「こうみえて、俺も悩んだんだぜ?」
藤堂は、伊東たちに従った一人だ。
歳は斎藤と変わらず、池田屋事件のときは真っ先に飛び込んで行ったという。
そんな活躍をした彼が、新選組を離れた。
斎藤としても、意外だった。
局長近藤をはじめ、副長の土方、一番隊組長の沖田、十番隊組長の原田、二番隊組長の永倉新八、六番隊組長の井上源三郎、そして八番隊組長の藤堂は、江戸は天然理心流道場・試衛館にいた面々である。
原田・永倉・藤堂は流派は違ったが、食客として寝泊まりしていた。
斎藤は、そんな試衛館に出入りしていた。
寝泊まりしていなかった斎藤より、近藤たちと馴染みが深い藤堂の離脱は、当然彼らも止めた。
「――伊東さんとの縁を選んだ……か」
藤堂は試衛館に来る前は、北辰一刀流・玄武館の門弟だっという。
その後、深川中川町にあった北辰一刀流・伊東の道場にも出入りし、伊東の縁はそこかららしい。
その伊東を新選組に連れてきたのは、藤堂だった。
「でもさ、みんなと分かれることにはなったけど、伊東さんについてきたことは後悔はしていないぜ」
藤堂は、そういって笑った。
御陵衛士として立ってしばらくたった頃、伊東は同志たちの前で言った。
「――近藤を斬るのだ」
倒幕派と会う機会も多くなった彼は、参謀だったころから、新選組を勤王の隊にしようとしてしたらしい。
藤堂は複雑そうな顔をしていたが、否ということはなかった。
――土方さんの勘が当たったな。
斎藤は隅の方で、伊東の言葉を聞いていた。
それからすぐだ。
斎藤は御陵衛士の本拠地・月真院を、密かに脱した。
◆◆◆
秋――、京の都が紅葉に染まった。
真っ赤に彩られたその色が、血を想像させるのはなぜか。
噂では薩摩と長州が、倒幕に動いているという。
そうなれば、この都に再び血の雨が降る。
斎藤一は、新選組三番隊組長に復帰していた。
新選組を脱し、舞い戻ってきた斎藤に、仲間たちはなにも聞いてくることはなかった。
そんなことよりも、緊迫し始めた世情で頭がいっぱいなのだろう。
ただ斎藤は、戻ってから真っ先に土方のもとに向かった。
「ご苦労だったな」
文机に向いていた土方が、ゆっくりと振り向いた。
「まだなにも申し上げておりませんが」
「伊東の肚、やっぱり黒かったんだろう? 斎藤」
斎藤は伊東が、局長・近藤を殺害しようとしていると告げた。
「副長、なぜわたしだったのですか?」
「なにが?」
「潜入させるなら、山崎どのでも構わなかったかと」
諸士調役兼監察の山崎烝は、最も土方の信頼が厚い。
多種多様に化けるため、隊内ですれ違っても任務中の彼に気づく人間はいないという。
土方は斎藤が伊東の所へ行く前に、こう言った。
「俺は、お前が奴のところに行かせられる、最も適任だと思うぜ? 斎藤」
あれはどういう意味だったのか。
土方は答えた。
「お前は無口で、愛想がねぇ」
貴方に言われたくない――と斎藤は思ったが、黙っていた。
「だがそれは、口が硬てぇってことだ。しかも思っていることを顔にも出さねぇ。伊東がなぜ、お前を信頼したと思う? お前なら秘密を守り、忠実に動くと思ったからだろうよ」
やはり伊東は、勘違いをしていると斎藤は思った。
彼は、斎藤をわかっていない。
確かに斎藤は、口数は多い方ではない。
非番のときは独りでいることが多く、わかりづらい性格だと言われたこともある。
伊東がもし斎藤の性格が野望のために役に立つと思ったのなら、それは間違いだ。
現に斎藤は、新選組に帰ってきた。
彼は御陵衛士にあっても、新選組三番隊組長・斎藤一だった。
「わたしは、副長の役にたったのでしょうか?」
秘密を守り忠実に――。
「ああ」
このあと――、伊東甲子太郎は新選組に油小路にて襲撃され、死に至るのだ。
ただ、藤堂平助まで散ったことが悔やまれる。
「一くんは、諸士調役兼監察の素質があるかも知れないねぇ」
沖田の言葉は、そんな経緯からだろう。
似たようなことをしたのは確かだが、斎藤は沖田に断言した。
「俺は副長助勤だ。それ以外ではない」
副長助勤は副長の補佐、その命令を忠実に遂行すること。
だが――、世情は斎藤が復帰する間に急変し、幕府は朝廷に政権を返上していた。
しかし、この京である事件が起きていた。
新選組にその事件が知らされるのは、かなり経ってからのことだった。
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