4 解答編2014

 月下さんが事件に遭遇したのは、十年前の2004年である。


 この条件が加わるなら、これまでの推理を考え直す必要が出てくる。


「五十円玉に関しては、1967年の2月から、ずっと同じデザインのものが使われ続けている。まぁ、図案が違うだけで、古い五十円玉も菊の花をモチーフにしているみたいだが」


 そのため、「『あなたを愛しています』という花言葉で、月下さんに告白しようとした」という説については破綻しない。


「一方、現行の紙幣をE号券、その内の千円札を特にE千円券というんだが、これが使われるようになったのは2004年の11月からだ。月下さんがバイトをしていた春から夏にかけては、まだ一つ前のD千円券を使っていたことになる」


 そのため、E千円券を前提にした、「桜の花言葉の『優美な女性』で告白しようとした」という説は成立しなくなってしまう。


 また同じ理由で、「告白というには弱いのではないか」「五千円札のカキツバタの『思慕』の方がふさわしいのではないか」という反論も成立しないことになる。


「前の千円札は誰でしたっけ? 宮沢賢治?」


「夏目漱石だな」


 ぽかんとした顔をする日々野に、僕はさらに「高校の授業で、『こころ』をやっただろう?」と続ける。


 しかし、日々野も忘れていたわけではなかったらしい。むしろ、覚えていたからこそ、納得がいかなかったようだ。


「やりましたけど……あれって三角関係のもつれの話でしたよね?」


「というか、漱石の作品はそんなのが多いぞ。『それから』とか『彼岸過迄』とか」


「そうなんですか?」


「近代的自我とか言うんだが、当時は西洋的な、個人の自由や権利を認める考え方が入ってき始めた時代だったからな。自由がもたらす弊害について、漱石は問題意識を持っていたようだ。

 それで、結婚が家ではなく当人たちのものに変われば、今度は失恋や略奪愛といった苦しみも生まれるようになる……ということを書いたみたいだな」


 漱石はデビュー作の『吾輩は猫である』の時点ですでに、「個人の自由を尊重すると、それぞれの自由がぶつかり合って、不自由が生まれるようになる」というようなことを述べている。自由の拡大とその弊害が、彼の文学者としての一大テーマだったのだろう。


「じゃあ、裏は?」


「鶴、正確にはタンチョウだな」


「……何か恋愛にまつわるエピソードは?」


「あるぞ」


「えっ」


 尋ねてきたくせに、期待していなかったらしい。「鳥と恋愛に何の関係があるんだろうか」とばかりに日々野は目を丸くする。


「見てみろ」


 僕は検索で出てきた画像を示す。


 D千円券の裏には、首を伸ばし翼を広げながら、の鳥が向かい合っている様子が描画されていた。


「この絵は、タンチョウが求愛する姿を描いたものなんだそうだ」


 また、タンチョウは一夫一妻でつがう上、一度つがったら生涯相手を変えることがないという話も聞いたことがある。


「なら、やっぱり両替はストーカーの告白だったってことですか?」


「断定はできないが、その可能性はあるんじゃないか」


 とはいえ、五十円玉よろしく、この推理にも穴がないとは言い切れない。僕はこれまで話し合ったことを、改めて整理し直すことにする。


「犯人の中年男は、街中で見かけた月下さんに一目惚れをした。しかし、相手は自分よりずっと若いし、特に接点もないから、表立って告白するような真似ははばかられた。

 そこで菊の花が描かれた五十円玉二十枚を、タンチョウが描かれた当時の千円札に両替するという形で、密かに気持ちを伝えることにしたのだった……」


 これを聞いた瞬間、日々野は「おおー」と感嘆の声を漏らす。僕としても内心それなりに自信があったものの、そこまで大げさなリアクションをされると照れくさくなってしまう。


 僕は「あくまで可能性の話だぞ」と釘を刺すが、日々野はまるで聞き入れてくれる様子がない。それどころか、もっと大げさなことさえ言い始める始末だった。


「てことは、元の『五十円玉二十枚の謎』も、作者さんのストーカーの仕業だったんですかね?」


 この質問に対して、僕は――


「それはありえない」


 すぐに首を振るのだった。


「さすがにこんなこと考えつく人が何人もいたりしませんよね」


 まず花言葉や貨幣に関する知識が必要になるし、それを使って告白しようという発想力も必要になる。さらに実行に移す行動力まである人間となると、ますます少なくなることだろう。


 そんな相槌を打ったあとで、日々野ははっとした顔をする。


「まさか同一犯の仕業だったとか?」


「それもない」


「いくらなんでも惚れっぽ過ぎますか?」


「いや、そういうことじゃないんだ」


 ストーカー説を元の事件にも当てはめようとすると、もっと根本的な問題が発生してしまうのである。


「言っただろう。若竹七海が事件に遭ったのは、今から十年前じゃなくて、だって。『五十円玉二十枚の謎』が出版されたのは昨日今日の話じゃない。1993年のことなんだよ。

 本の中で十年ほど前のことだと言っているが、実際若竹七海の誕生年は1963年だそうだから、大学入学したての頃は1982年ということになるはずだ」


「それがどうかしたんですか?」


「タンチョウがデザインされたD千円券が使われるようになったのは、二年後の1984年からなんだよ」


 僕が知らないだけで、若竹七海が浪人していたという可能性もなくはない。しかし、D千円券の発行は1984年の11月からなので、大学一年の夏の終わりにバイトを辞めたという話と整合性を取ろうとすると、彼女が三浪以上したことになってしまう。ありえないとまでは言えないが、かなり珍しいケースではあるだろう。


 だが、僕の説明を聞いても、日々野はまだ諦めきれなかったようだ。


「その前は何だったんですか?」


「C千円券は伊藤博文だな」


「何かエピソードは?」


ほうきというあだ名があるんだが、これは『掃いて捨てるほど女がいる』という意味だそうだ」


 時の天皇から、女遊びを控えるようにたしなめられたことさえあったほどだという。どう考えても、告白に使うのにふさわしいような人物ではない。


「裏はどうですか?」


「そっちも違うだろうな。日本銀行本店で色気も何もないから」


「そんな……」


 若竹七海の事件も解決できたと思い込んでいたのだろう。日々野は弱々しげなトーンでそう呟くだけだった。


「結局、真相は分からないままってことだな」


 そう結論づける僕の声には、日々野とは対照的に明るさがこもっていた。


 自身の推理が成立しなかったことに対して、僕は悔しさ以上に嬉しさを覚えていたのだ。自分でも気づかなかったが、どうやらこのまま謎が解かれずにいる方が面白いと思っていたらしい。


 高校の時、現代文の授業で、『ミロのヴィーナス』についての評論を読んだ。作者の清岡きよおか卓行たかゆきによれば、『ミロのヴィーナス』は両腕が失われてしまっているが、それゆえにあれほど魅惑的になりえたのだという。二本の美しい腕を見られなくなったおかげで、鑑賞者は無数の美しい腕を、つまり可能性の夢を見られるようになったのだ、と。


『五十円玉二十枚の謎』も同じことではないだろうか。『五十円玉二十枚の謎』には、事件だけがあって真相がない。しかし、だからこそ通常のミステリ小説とは違って、さまざまな真相を思い描く余地が残されている。そのことによって、読者には事件がより魅力的なものとして感じられるのではないか。


 だから、清岡が「たとえ客観的に正しいものだとしても、僕は『ミロのヴィーナス』の復元を望まない」と言ったように、僕も心の奥底では『五十円玉二十枚の謎』が解明されることを望んでいなかったのだろう。


 けれど、日々野の意見は僕とは違うらしかった。あくまでも真相を突き止めたいようだ。


「やっぱり、最初に先輩が推理した通り、作り話だったんじゃないですか。ミステリ業界を盛り上げるための工作だったんですよ」


「そんなことありえるか?」


「いえ、そうに決まってます」


 日々野はきっぱりと断言した。


「きっと十年後も、誰かが『五十円玉二十枚の謎』をネタに小説を書いてますよ」






(了)

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五十円玉二十枚の謎2014 蟹場たらば @kanibataraba

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