3 混迷編2014

 五十円玉にあしらわれた菊の花言葉は、『あなたを愛しています』。


 この検索結果を見て、事件の真相が分かったと思ったのだろう。スマホを片手に、日々野は色めき立っていた。


「犯人は遠回しに月下さんに告白してたんじゃないですか?」


「あまりにも遠過ぎないか」


 花言葉は何も一つの花に一つだけというわけではない。『慕う』ならまだ告白として通用するだろうが、『高貴』『高潔』あたりになると怪しいだろう。『真実』に至っては、「真実を告発する」という脅しとも取れる。もし月下さんがそう解釈してしまったら、犯人はどうするつもりだったのか。


 それに、そもそも五十円玉にメッセージを込めていることに、月下さんが気づかないという展開だってありえる。


「本屋でバイトするのは普通本好きでしょう? だから、こういう暗号みたいなのも好きだと思ったんですよ」


「本が好きだからといって、ミステリが好きとは限らないだろう」


 ジャンルにこだわらずに何にでも手を出すタイプの読書家もいれば、特定のジャンルを深く掘り下げていくタイプの読書家もいる。実際月下さんも、日々野から聞くまで、『五十円玉二十枚の謎』の存在を知らなかったという話だった。


「本人がそうじゃなくても、周りにいる可能性は高いんじゃないですか?」


「なるほど……」


 本屋の同僚、文学部の同級生、文学系サークルのメンバー、趣味アカの相互フォロー…… そういう繋がりで知り合ったミステリ好きに、月下さんが相談をするというのは確かに考えられることだろう。


「でも、なんで二十枚なんだ?」


「え?」


「両替するだけなら、二枚や十枚でもできるじゃないか」


「それは……愛を伝えるには、数が多い方がいいと思ったとか」


「それなら、二百枚用意するのが筋だろう」


「数えるのが大変で、断られると思ったんですよ」


「試しに一度確認するくらいのことはしてもいいはずだ」


 いや、仮説では、犯人の目的はあくまでも花言葉を伝えることにあるのだ。たとえ断られても、「何故か本屋で五十円玉を両替しようとする客」と印象づけられれば、それで十分なはずなのである。


「じゃあ、千円札にも意味があったんですよ」


 日々野は財布から実物を取り出すと、五十円玉と同様にデザインに目を向ける。


「野口英世に恋愛エピソードとかないですか?」


「ないな」


 ただし、これは「存在しない」という意味の「ない」ではなかった。


「野口英世は女性関係がひどいことで有名なんだよ。学費を女遊びで浪費したり、留学費用を捻出するために結婚詐欺まがいのことをしたり」


「えぇ、そうだったんですか」


 左手に障害を抱えながらも、医師として多大な業績を残した、という偉人としての側面しか知らなかったのだろう。日々野はショックを受けた様子だった。黄熱病の原因の特定を始め、いくつかの研究成果は現在では否定されてしまっているという話をすると、ますます驚いていた。


 しかし、偉人の醜聞よりも、今は事件の方が気になるらしい。日々野は取り出した千円札をひっくり返そうとする。


「裏は……」


「富士山と桜だな」


「桜!」


 五十円玉の菊と同じように、犯人が花言葉を利用したと考えたようだ。日々野は再びスマホで検索をかける。


「桜の花言葉は『優美な女性』だそうです」


「まぁ、告白といえば告白か」


「『精神の美』、『純潔』、『優れた教育』……」


「菊に比べると微妙だな」


 褒め言葉には違いない。しかし、菊の『あなたを愛しています』のストレートさに比べると、どうにも回りくどく感じられてしまう。


「富士山の方はどうですか?」


「富士山と恋愛というと、『竹取物語』か」


「『かぐや姫』にそんな話ありました?」


「中学の時にやらなかったか? 月に帰るかぐや姫から、帝は不老不死になれる薬をもらった。しかし、かぐや姫と一緒にいられないなら長生きしても意味がないと、月に近い山の頂上で薬を燃やしてしまった。それ以来、その山は不死の山、富士山と呼ばれるようになったんだ」


「失恋の話じゃないですか」


 告白に使えそうになかったのが不満なのか、それともバッドエンドだったのが不満なのか。日々野は眉根を寄せていた。


「あとはコノハナサクヤヒメも一応そうかな」


「コノハナ……?」


「富士信仰で祀られている女神だよ。神話では、ニニギノミコトとの結婚にまつわる話があるんだ」


「おおっ」


「父親がコノハナサクヤヒメと姉のイワナガヒメの二人を嫁がせようとしたら、イワナガヒメの方は不美人だからって理由で断られてしまうっていう」


「クソ男じゃないですか」


 一応この話から、コノハナサクヤヒメは縁結びや恋愛成就の女神とされることもある。だが、男側からすれば、「自分は面食いだ」と主張するようなもので、告白には使いづらいのではないだろうか。


 桜や富士山にまつわる恋愛話が他にもないか、僕は今まで読んだ本の内容を思い返してみる。けれど、それらしいものはまったく出てこなかった。


 日々野はネットで調べてみたようだが、こちらも空振りに終わったらしい。


「やっぱり、花言葉の『優美な女性』がメッセージだったんですよ」


「まぁ、その推理でも成立していると言えば成立しているが……」


 だからといって、これが真相だと言い切れるほどの説得力があるとは思えなかった。やはり『あなたを愛しています』に比べると、告白というには弱いだろう。


 しかし、日々野は僕ほどその点にこだわっていないようだった。


「一応、伝えてみます」


 早々に思案するのを切り上げて、月下さん宛てにメールを打ち始めてしまう。


 日々野の入力を待つ間、僕もスマホを使うことにした。ただし、誰かにメールを送ろうというわけではなかった。


 一つ気になることがあって、検索をかけたかったのだ。


「……花言葉をメッセージにするなら、五千円札に両替する方が自然だったんじゃないか」


「どうしてですか?」


「カキツバタの花言葉は『思慕』だそうだ」


 犯人の目的が告白なら、より伝わりやすいこちらを選ぶはずだろう。


 知り合いが多いだけあって、メールを打つのにも慣れているらしい。「えぇ、もう送っちゃったんですけど」と、日々野は眉尻を下げる。


 また、異性に人気があるせいか、その点は月下さんも同じのようだった。今送ったばかりだというのに、早くも返信してきたのだ。


「『体調不良ですぐバイトを辞めることになったけど、日々野君たちの話が本当ならそれでよかったのかも。あの頃は、女子大生がストーカーに殺されちゃった事件があったから』……ですって」


「事件?」


 僕がそう呟いた瞬間にも、日々野はすぐに確認を取ってくれた。


 今回も返信はすぐに来た。


「桶川事件?とかいうらしいです」


「ああ」


 僕はようやく納得がいった。けれど、知らない単語が出てきたせいで、日々野はむしろきょとんとしていた。だから、簡単に説明してやることにする。


 埼玉県の桶川駅付近で、女子大学生が刺殺されるという事件が発生。実行犯に殺人を命じたのは、被害者と以前交際していた男だった。その動機は、裏社会の人間だと勘づかれて、別れ話を切り出されたことを逆恨みしたという身勝手なものだった。


 また、被害者やその家族は事件の前から、中傷の手紙を送られたり個人情報を晒されたりするなどの嫌がらせを受けていた。しかし、警察署に相談に行ったものの、「男女関係のいざこざは民事だから」と、署員はまともに取り合ってくれなかった。それでこの一件を教訓として、つきまとい等の行為に刑事事件として対応できるように、いわゆるストーカー規制法が制定されることになったのである……


 そんな話をする内に、僕はふととある事実に気がつく。


 僕たちの考えたストーカー説を聞いて、月下さんは「当時有名だった桶川事件を連想した」とメールしてきた。だが、桶川事件が起きたのは、今から十五年も前の1999年のことである。


「そういえば、月下さんが犯人に出くわしたのは十年前のことだったな」


「ええ、そうですけど」


「今から十年前は2004年だ」


「何を当たり前のことを言ってるんですか」


 日々野は呆れたような視線を向けてくる。


 しかし、日々野こそ当たり前のことを見落としてしまっている。


「分からないのか? 貨幣のデザインは変わるものじゃないか」


「あっ」

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