2 推理編2014

「『五十円玉二十枚の謎』と同様の事件に遭遇した」と主張する人間が現れた。


 日々野からそう連絡を受けた時には、もう夜遅い時間帯だった。そこで詳しいことを話し合うため、僕たち二人は翌日大学の構内で落ち合うことにしたのだった。


「確認するけど、その人は……」


月下つきしたさんです。俺のバイト先の先輩の友達の親戚です」


 それは普通、赤の他人と言うのではないか。社交的な性格だとは思っていたが、顔が広いにもほどがあるだろう。


「で、その月下さんは、若竹七海とまったく同じ体験をしたんだな?」


「はい」


「大学入りたての頃に、本屋でバイトを始めたら、毎週土曜日の夕方に五十円玉二十枚を千円札に両替するよう頼む客が現れるようになった?」


「はい、そうです」


 客は本屋に縁のなさそうな中年の男。両替を頼む以外のことは一切しない。夏の終わりにバイトをやめたので真相は分からない…… 改めて話を聞いてみたが、やはり細かい部分までほとんど同じのようだった。


「どうですか? 分かりますか?」


「若竹七海のケースが分からないんだから、月下さんのケースも分からないに決まってるだろ」


 与えられた条件が同じなのだ。当然、答えだって同じになる。


 いや、それどころか、月下さんはミステリ業界とは無関係なのである。「実は業界を盛り上げるための作り話だった」という陰謀論すら成立しないことになってしまう。


「ちなみに、これが大学時代の月下さんの写真です」


「ふーん?」


 スマホの画面を見せてくる日々野に対して、僕は適当な相槌を打った。


 事件と関係なさそうだから……というわけではない。興味があると思われたくなかったからである。


「美人ですよね」


「まぁ、そうかもな」


 あくまでも一般論というていで僕は頷いた。


 大学のミスコンで優勝したと言われても納得しただろう。モデルや女優だと言われても、あっさり信じたことだろう。月下さんはそれくらいの美貌の持ち主だった。


「犯人もそう思ったんじゃないでしょうか」


「どういうことだ?」


「月下さんの顔を見たくてやったんです。一種のストーカーだったってことですよ」


 街ですれ違ったら、大抵の男が彼女の方を振り返るに違いなかった。中には声を掛けようと、あとを追いかけるやつもいるだろう。それどころか、バイト先に通い詰める人間まで現れても不思議ではない。


 しかし、このストーカー説に、僕が頷くことはなかった。


「それは『五十円玉二十枚の謎』の方ですでに反論されてるんだよ。好きならどうして両替だけしてすぐに帰るんだろうか、って。店員の顔を見たいなら、本を探すふりとか立ち読みのふりとかして、長居すればいいんだからな」


「なるべくそばで見たかったんじゃないですか?」


「なら、両替じゃなくても本を買えばいいだろう」


「ええと……月下さんと話したかったとか?」


「毎回五十円玉二十枚である必然性がない」


「それは……」


 日々野はとうとう黙り込んでしまった。


 僕を含め、たくさんの人間が失敗してきたのに、そんな簡単に解決できるわけがない、とムキになってしまっていたかもしれない。反論するのはともかくとして、今のは言い方がきつかったのではないか。


「まぁ、ストーカー説もなくはないかもしれないが……」


「どういうことですか?」


「道行く月下さんに一目惚れした男は、あとをつけて本屋でバイトしていることを突き止めた。でも、自分はもう中年で大学生の月下さんとは年の差があるし、接点もまったくないから、気持ちが報われることはないというのも理解していた。

 そこで男は、せめて月下さんの記憶に自分のことを留めておいてほしいと考えた。しかし、単に本屋に通うだけじゃあ、せいぜい常連客止まりで、その内忘れられてしまいそうだ。だから、五十円玉二十枚を千円札に両替するという奇妙な行動で、自分のことを印象づけようとしたのだった……というのはどうだろう?」


「なるほど!」


 日々野は僕に感心するような、自説の復活を喜ぶような風に目を輝かせる。


 僕が慰めで言っただけだと気づいていないようだ。


「ただ毎週末、本屋で両替を頼む客って時点で相当変だからな。さらに毎回五十円玉を千円札に替えるなんて変な行動を重ねる必要はないだろう」


「それだけ印象づけたかったのかもしれないですよ」


「単に印象に残る行動をするだけなら、もっと手軽なのでいいだろう。本を音読するとか、さかさまに持って読むとかな」


「それ実体験ですか?」


 本屋やその客に妙な偏見を持たれても困るので、僕は質問に答えなかった。


 代わりに、今の話で浮き彫りになった問題点について考え始める。


「五十円玉か……」


 なぜ両替に出すのが毎回五十円玉なのか。タイトルに冠されるだけあって、やはりこの点が『五十円玉二十枚の謎』の核心だと言えるだろう。


 五十円玉の材料は確か、白銅だったはずである。白銅はニッケルと銅でできた合金である。


 しかし、「何らかの理由でニッケルと銅を大量に手に入れたので、五十円玉を偽造して両替に出した」ということは考えにくい。同様の材料でできている上に、額面が高くて価値のある百円玉が存在するからだ。


 また、五十円玉は中心に穴が開いているが、こういうデザインの硬貨は世界的に見ると珍しいという。一応、デンマークの1クローネ硬貨やパプアニューギニアの1キナ硬貨など、まったくないわけではないようだが、それでもかなりの少数派なのだそうだ。


 しかし、「何らかの理由で五十円玉の穴を利用したあと、その五十円玉を両替に出した」というのも少々考えにくい。同様の形状をしている上に、額面が安くて集めやすい五円玉が存在するからだ。


 同じくデザインという観点で見れば、五十円玉の片面には「50」の文字と製造年が書かれている。額面が大きく書いてあるので勘違いされやすいが、正式にはこちら側は裏面なのだそうである。


 これに対して、表面おもてめんには「日本国」と「五十円」の文字。そして――


「五十円玉というと菊か」


「それがどうしたんですか?」


「墓に供える花だと思って」


「まさか殺害予告だったってことですか?」


「もしくは、無理心中の予告とかな。お前を殺して俺も死ぬ、みたいな」


 自力で思いついたせいか、未だにストーカー説に固執していたらしい。僕の推理を聞いて、日々野の表情がパッと明るくなる。


「でも、実行する気なら、わざわざ伝える意味がないからなぁ」


 両替に込められたメッセージに気づかれたら、月下さんが警戒心を抱くようになって、無理心中の成功率が下がってしまうだけだろう。


 また、それ以外にも、犯人がどうして無理心中を実行しなかったのか、という問題も残ってしまう。


「他に、菊に何かありませんか?」


「天皇や皇室の象徴でもあるな」


「犯人がそっち関係の人だったってことですか?」


「それなら、さすがに誰かが気づくと思うが……」


 皇室を敬っている人は少なくないし、そうでない人もニュースなどで顔くらいは見たことがあるだろう。というか、皇室関係者をストーカー扱いするって、どんだけ怖いもの知らずなんだこいつは。


 誰かに怒られる前に、僕は話を変えることにする。


「花言葉は……何だったかな」


 以前本で読んだ気がしたが、もう忘れてしまった。


 僕が思い出すのを待ちきれなかったのか、自分で調べることにしたらしい。日々野はポケットからスマホを取り出す。


 そして、検索結果が出た瞬間、目と口を大きく開いた。


「『あなたを愛しています』ですって!」

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