五十円玉二十枚の謎2014

蟹場たらば

1 問題編2014

 今からちょうど十年前の、2014年7月――


 私が、いやが、まだ大学生だった頃の話である。


 選択科目の経済学の講義が始まるのを、教室で待っていた時のことだった。


「先輩、おはようございます」


 そう挨拶しながら、隣の席に日々野ひびのが座ってきた。


 日々野は高校時代のバスケ部の後輩だった。弱小校とはいえ、一年目の夏の時点でスタメンを勝ち取るくらい運動神経がいい上に、追い抜かれたはずの先輩たちからも好かれるくらい明るく社交的な性格をしている。


 それに比べると、僕なんかはバスケも人間関係もまるでパッとしなかった。三年の夏に顧問のお情けでようやくベンチ入りしただけだったし、先輩後輩どころか一部の同輩との間にさえ壁があったくらいである。身長に至っては、日々野より20センチ近くも低い。


 しかし、そんな僕のことを、「先輩」「先輩」と日々野はどういうわけか慕ってくれていた。単に部活の先輩だから顔を立ててくれているのかと思っていたが、引退後いや高校卒業後もそれは変わらなかった。まったくもって不可解なことである。


 この日も、相手は冴えない先輩だというのに、日々野は何故か嬉しそうに話しかけてくるのだった。


「何読んでるんですか?」


「『五十円玉二十枚の謎』」


 僕は単行本の表紙を見せながら答える。久しぶりに再読したくなって、本棚の奥から引っ張り出してきたのだ。


 対して、日々野は初読すらまだのようだった。


「何ですかそれ?」


若竹わかたけ七海ななみという作家が、この本が出る十年くらい前に実際に体験した出来事でな。当時大学に入ったばかりの彼女は、池袋の書店でバイトを始めたんだ。

 すると、ある時、『五十円玉二十枚を千円に替えてほしい』と言い出す客が現れた。そういう要望にも応じるように指示されていたから、彼女は両替を引き受けた」


「それの何が謎なんですか?」


「問題はここからだ。それから毎週土曜日の夕方になると、例の客が両替を頼んでくるようになった。それも毎回決まって、出すのは五十円玉二十枚だったんだ。

 両替なら銀行に頼むのが筋なのに、毎回本屋で頼むのは少し変だろう。それに、五十円玉が毎週二十枚も溜まるのはかなり変だ」


 日々野の顔を見るかぎり、何が変なのか分かっていないようだった。「五十円玉は一回の買い物でせいぜい一枚しか手に入らないだろ。たとえば、おつりが三百五十円でも、渡されるのは五十円玉七枚じゃなくて、百円玉三枚と五十円玉一枚なんだから」と僕は補足説明をした。


 これは男が買う側ではなく、売る側だった場合でも同じことが言える。仮に男が百五十円で品物を売っているとしても、すべての客が必ず百円玉一枚と五十円玉一枚で支払うとは限らない。百円玉二枚や五百円玉一枚などで払おうとすることもあるはずである。その際には、おつりとして五十円玉が必要になるから、わざわざ両替をする意味はほとんどないのだ。


「で、真相は何だったんですか?」


「いや、分からないままなんだよ。客商売だから直接聞くわけにもいかないしな」


 若竹七海は情報を集めようと、フロア主任に相談したのだが、「お客様のことを詮索するべきではない」と却下されてしまった。その上、体調不良が原因で、夏の終わりにバイトをやめたことで、自力で調べることもできなくなってしまったという。


「それから約十年後、ミステリ作家になった若竹七海は、作家や編集者たちの集まりで、この謎について披露した。その時も解決はしなかったんだが、みんなこの謎を面白がってな、解答編を書いて比べ合いをしようという話になった。さらにはプロだけじゃなくて、一般公募もしてみようということになった。

 そうして集まった作品の中から、出来がいいものを選び抜いたのが、この『 五十円玉二十枚の謎』というわけだ」


「どんな解答が出たんですか?」


「横着しないで読めよ。貸してやるから」


「えー」


 日々野はどうも本を読むのが苦手らしい。同じようなやりとりはこれまでにも何度かしてきた。けれど、僕が薦めて読んだのは、『寄生獣』とか『シグルイ』とかいった漫画くらいのものだった。


 ただ日々野は本を読みたくないというだけで、本の内容そのものには興味を持っていたようだ。


「じゃあ、先輩の考える真相は?」


「僕はこれ、ただの作り話じゃないかと思ってるんだ」


「……なんでそんなことを?」


「ミステリ業界を盛り上げるためだよ」


 日々野は「はぁ……」とだけ答える。全然ピンと来ていない様子である。


「業界の今後のために新人を発掘したい。でも、普通の新人賞を作ったんじゃあ、今までと同じタイプの人材しか集まらないかもしれない。

 それで編集部は、若竹七海に頼んで一芝居打ってもらった。いや、もしかしたら他のプロ作家たちも共犯だったのかもな。こうして、『プロ作家でも解けなかった、実際の事件の真相について公募する』という一風変わった新人賞が開催されることになったんだ」


『実話』『未解決事件』という点で話題性がある。それに解答編を考えるだけでいいから難易度も下がっている。今まで新人賞への投稿を考えたことのなかった人間でも、この賞には創作意欲を刺激されるのではないだろうか。


「でも、そんなに上手くいくもんですかね?」


「実際、のちにプロデビューした投稿者がいるんだよ。一人は倉知くらちじゅん。もう一人は剣持けんもち鷹士たかしだ」


「え、二人も!?」


「さらに言えば、『五十円玉二十枚の謎』を元ネタにして書かれた作品もある。北村きたむらかおるの『ニッポン硬貨の謎』や愛川あいかわあきらの『一円切手四枚の謎』がそうだ。ついこの春にも、青崎あおさき有吾ゆうごが『風ヶ丘五十円玉祭りの謎』って本を出してたな。

 で、当然『五十円玉二十枚の謎』で興味を持った読者は、それらの作品や作家もチェックするから、ますます業界が盛り上がることになる」


「へー、なるほどー」


 疑心が得心に変わり、最後には感心になったようだ。日々野は「さすが先輩ですね」とまで言い始める。


「もっとも、この説は成立しないけどな」


「えっ」


澤木さわききょうという作家も、『いざ言問はむ都鳥』の中で、『五十円玉二十枚の謎』を元ネタにした短編を発表している。ところが、これが出版されたのは、解答編の公募が始まる一年近く前のことなんだ。

 実は澤木喬は若竹七海の大学の先輩でな、事件が起こった当時すでに彼女から相談を受けていたんだそうだ。だから、『五十円玉二十枚の謎』が作り話だとすると、十年前の大学時代から計画されていたとか、仕込みのために一年前に一作書いてもらったとか、そういうレベルの話になってしまうわけだ」


「それはさすがにありそうにないですね」


「ほとんど陰謀論だよな」


 一応、作り話に信憑性を持たせるために大掛かりな下準備をしていた、という反論もできなくはない。しかし、いくらなんでも時間や手間がかかり過ぎているだろう。絶対に上手くいくという保証があるわけでもないのに、ここまでの労力を割くとはとても思えない。


 そんなことを言い合っている内に、教授がやってきて講義が始まってしまった。そのため、『五十円玉二十枚の謎』の話はそれで終わりになった。


 ――と、この時は思っていた。



          ◇◇◇



 帰宅後、再読を終えた僕は次の本を手に取っていた。今度は同じく若竹七海の『ぼくのミステリな日常』である。


 けれど、読書を邪魔するように、スマホに着信が入ってしまった。


「先輩、大変です!」


 電話が繋がるなり、日々野はそう叫んだ。


「落ち着けよ。一体どうしたんだ?」


「『五十円玉二十枚の謎』ですよ!」


 随分慌てた様子だったから、よほどの大事おおごとなのかと思ったらこれである。安心したような、拍子抜けしたような気持ちになる。


 しかし、ある意味では確かに大事だったらしい。


「十年前に同じ体験をしたって人が見つかったんです!」

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