【完結】終わりなき長いトンネルの中を 口笛を吹きながら進め(作品230601)

菊池昭仁

終わりなき長いトンネルの中を 口笛を吹きながら進め

第1話

 俺は高校を卒業して1年近く、自室に引き籠っていた。

 俺の夢は外科医になることだった。

 地元の有名進学校に通い、受験勉強に#勤__いそ__#しんでいる時、突然、父親が家を出て行った。

 父親は会社経営に失敗し、この家を親戚の名義に変えると、100万円の現金を母に渡して消えてしまった。

 俺は医者になることを諦めた。


 医学部進学の判定予想は、私立の医学部であればB判定だった。

 俺はショックのあまり、働くことも出来ず、家に引き籠って、ネットサーフィンばかりをしていた。



 「お兄ちゃんもバイトくらいしたら? お母さんと私だけで大変なんだから」


 妹の葵も俺と同じ高校の1年生だったが、自分で学費を稼ぐため、マックでバイトをしていた。

 俺は葵の問いかけに答えず、YouTubeを閲覧していた。


 たまたまクリックを間違えてしまい、前嶋秀樹という、17歳の投稿動画が期せずして再生されてしまった。


 白い病室のベッドを起こしてゆっくりと話す彼は、まるで骸骨のようだった。

 クスリの副作用なのか、ニットの帽子を被っている。



 「おはようございます。前嶋秀樹でーす。

 今日のみなさんのところのお天気はどうですか?

 こちらは曇りなので少し憂鬱です。

 でも、午後には晴れるとお天気お姉さんが言っていました。

 今日は井上ひさしの『吉里吉里人』の続きを読むつもりです。

 ではみなさん、今日も元気に行ってらっしゃい。

 チャンネル登録、よろしくお願いしまーす」


 短い動画だった。

 病状はかなり厳しい様子で息も上がり、点滴が3つもぶら下がっていた。

 彼の隣でナースが微笑んでいた。

 俺は前嶋というこの青年に興味を持った。

 父親の身勝手な行動で、俺の夢は台無しにされた。



 (子供の夢を応援するのが親だろう? 俺の人生を返せ! 医者になる夢を返せ!)



 俺はそんな父親を憎んでいた。


 いつの間にか、前嶋の動画を毎朝見るのが俺の日課になった。



 


第2話

 今朝も秀樹の動画が更新されていた。



 「みなさん、おはようございます。

 元気な病人、前嶋秀樹のYouTubeチャンネルです。

 みなさん、ご機嫌、いかがですか?

 ボクは井上ひさしの『吉里吉里人』を20ページほど読みました。

 今日もそれぐらいは読みたいと思っています。

 ではみなさん、今日もハッピーな一日でありますように。

 いってらっしゃーい。

 チャンネル登録、お願いしまーす」



 力なく手を振る前嶋。

 今日は母親らしき女性と一緒だった。

 彼女も笑顔で小さく手を振っていた。




 毎日届く、沙織からのLINE。

 内容はいつも同じだった。



     今日 ランチしない?

     バイト代入ったから 

     なんでもご馳走してあげる

     焼肉行こう!



 俺は既読だけして放置した。

 沙織とは高校2年から付き合い始めた。

 同じクラスで小中学も同じ。俺と沙織は幼馴染みだった。


 俺たちは中学からずっとブラスバンドをやっていた。

 俺がトランペットで沙織はフルートを吹いていた。



 「どこの医大を受けるか決めたの?」

 「私立は帝京、国立は新潟大。沙織は?」

 「シュンの夢だもんね? お医者さんになるのって。

 私は福大。中学の英語の先生になりたいの」

 「沙織なら楽勝だよ」

 「ありがとう。私たち、遠距離になっても平気だよね?」

 「沙織さえ大丈夫ならな?」

 「大丈夫に決まっているじゃないの」


 そして俺が大丈夫ではなくなった。

 俺はもう、沙織に会わせる顔が無かった。

 

 


第3話

 「みなさーん、おはようございまーす。

 今日から個室になりましたので、少し長く話してもご迷惑にならなくなりました。

 でも、誰もいない、人の咳払いも聞こえないのはちょっと寂しい気もします。

 長く入院していますと、いろんなことを考えてしまいます。

 両親に、入院や手術でお金を負担させてしまったり、忙しい先生やナースのみなさん、薬剤師さんなど、様々な医療スタッフのみなさんには大変なご迷惑をかけてしまっています。

 たまーに、たまにですよ、「早く死んでラクになりたい、みんなをラクにしてあげたい」とも考えることもあります。

 ボクは弱虫だから。

 でもその反面。「生きたい、死にたくない」とも思ったりもします。

 この動画を見て下さっている人の中で、「生きるのを諦めようかなあ」という方もおいでになるかもしれません。

 ボクはその気持ち、想いを尊重したいと思います。

 なぜなら、死ぬより辛いことなんて、この世にはたくさんあるからです。

 ですから止めません。

 どうせいつかは死んじゃいますから。

 死は皆さんに平等なんです。一人の例外もなく。

 3歳ではかわいそうですか? では100歳ならいいんですか?

 でも、もしも、もしもその命、捨てちゃうなら、ボクに下さい。

 その命、その健康な時間を、自由を。

 お金は使わなければ残りますが、時間は使わなくても消えて行きます。砂時計のようにサラサラと。

 どんなお金持ちでも王様でも、アメリカ大統領ですら止められません。

 この病室の窓からは桜の木が見えます。

 どんな花が咲くのか、今からワクワクしています。

 今日、関東では夕方から広く、雨が降るようです。

 傘をお忘れなく。いってらっしゃーい。

 チャンネル登録、よろしくお願いしまーす」




 日を追うごとに衰弱していく秀樹に、出来ることなら「この命、あげてもいいよ」と、つい考えてしまう。

 生きる気力がない俺と、生きたいと願う秀樹。


 つくづく人生とは、「出口のないトンネル」を行くようなものだと思う。

 太陽の光が届かぬ闇。


 自分が光らなければ足元が見えない。

 自分が照らさなければ、一緒に歩く人たちを照らすことも出来ない。



        自分から光を出さなければならない

        自分が輝かないとダメなんだ



 そんなことわかっている。

 でも、動けない。

 光を出せない。俺だって本当は光りたい、輝きたいんだ。

 ここから抜け出したい。


 光の届かない深海の魚のように、俺も光りたい。

 みんな親父のせいだ。親父さえしっかりしていれば俺は光っていれるのに! クソッ!


 俺は再び、ネットゲームの世界に逃げ込んだ。


 


第4話

 母は昼間はクリーニング工場で働き、深夜零時から朝の5時まではファミレスのセントラルキッチンを掛け持ちしていた。

 母は寝る間も惜しんで働いていた。


 妹の葵が学校へ出掛け、母がクリーニング工場へ出勤した頃、俺は部屋から出てシャワーを浴びる。

 洗濯籠に母の下着が入れられていた。

 それはとてもくたびれた物だった。


 母は新しい下着すら買えずに働いている。

 誰のために?


 俺と葵のために。

 生きることは戦いだ。その戦いを俺は放棄していた。




 玄関に行くと、葵のスニーカーが置いてあった。

 それは踵がすり減り、外側に斜めになっていた。

 見覚えのあるそのスニーカーは、2年前に妹がお年玉で買った物だった。

 俺はその靴を持ち上げて泣いた。


 「俺は何をしているんだ・・・」





 パソコンを開き、秀樹の動画を再生した。


 

 「おはようございます。元気な病人、前嶋でーす。

 今日はこちらは快晴のようです。窓からお日様が見えますから。

 みなさんはしあわせですか?

 突然ですが、あなたは人生の勝ち組ですか? それとも負け組ですか?

 「俺は勝ち続けているよ」というあなた、おめでとうございます。

 そして「私はいつも負けてばかり」というあなた、お気の毒様です。

 ボクは朝の情報番組の占いを見ていて思うのですが、

 「今日のしし座のあなたはラッキーです。ステキな出会いがあるでしょう」と、今日の運勢をアナウンサーのお姉さんが祝福してくれます。

 そして「ごめんなさーい、今日の射手座のあなたは最低です。どら焼きを食べると災難から逃れることができるでしょう!」とか。

 私には占いは関係ありません。

 だっていつもベッドの上ですから。

 新しい出会いも、これ以上の災難もありません。

 人生も同じです。

 人生には「勝ち」も「負け」もないのです。

 「勝ち」とは自分の一瞬の錯覚です。驕りです。あなたがそう思っているだけです。

 ましてや自分の努力や才能でもありません。

 周りの人たちのおかげなんです。

 そして「負け」もありません。なぜなら人生は、常に戦いの連続だからです。

 あなたが戦いを放棄しない限り、負けることはありません。

 たとえばのび太君がジャイアンとケンカして負けるとします。

 次の日、のび太君はまたジャイアンへ立ち向かいます。そしてまた負ける。

 そこに学びが生まれるのです。

 「そうか、俺はジャイアンの大きな体に負けているんだ。空手でも習おうかなあ」とね。

 そしてまたジャイアンに戦いを挑み続けるのです。

 するとジャイアンはどう思うでしょうか?


 「なんだのび太のやつ、いじめてもいじめても俺に勝負を挑んできやがる。

 なんてやつだ、のび太は」


 それでジャイアンがのび太君を恐怖に感じるか、友だちになるかはわかりませんが、のび太君は確実に成長しています。

 私のような若輩がこんなことを言うのも生意気に聞こえるかもしれませんが、私も日々、自分と戦っています。

 私は戦うのみです。死ぬまで負けません。死んだら負けですから。

 負けたとか、勝ったとかはどうでもいいんです。

 こうして生かされていることに意義があると思っています。

 『吉里吉里人』、半分まで読みました。厚い本だから大変です。

 それではみなさん、今日、素晴らしいハッピーな一日でありますように。

 いってらっしゃーい。

 チャンネル登録、よろしくお願いします」



 秀樹、俺は人生の「負け組」だよ。



第5話

 今朝も秀樹の動画を見た。



 「僕は病気になっていろんなことを学びました。

 中でもこの世にある、溢れる当たり前の事が、実は「ミラクル」だということです。

 走れなくなって、走れることのすばらしさも知りました。

 ご飯が美味しく食べられるのは当たり前じゃないんです。

 私にとっての食事は「美味しいとか美味しくない」じゃないんです、生きるための物です。

 目が見えることは当たり前ですか?

 耳が聞こえることは? 話が出来ることや匂いがわかることは?

 そんなの当たり前だと思うでしょう?

 父がいる、母がいる。

 仕事があって恋人もいる。

 家があってクルマもある。

 冷蔵庫もテレビもある。

 電気も点く。


 それって当たり前でしょうか?

 私は今、この通りの寝たきりYouTuberです。

 当たり前なんて何もないんですよ。


 人生って「人が生きる」と書きますよね?

 だから僕は何も出来なくても、僕は人生を生きています」




 何もしなくても人生。

 だから何かをすることが出来たなら、人生は下書きの鉛筆画ではなく、色の付いた美しい油絵となるのだろうか?

 私は母が用意して置いてくれた、冷めたハムエッグに醤油をかけて食べた。

 旨いと感じた。


 俺は何もしないでメシが食えている。


 これが秀樹の言う、「奇跡」なのだろうか?



 


第6話

 それは早朝の出来事だった。


 母の由美子が仕事から帰ってカーポートにクルマを入れている時、そこにあの男が現れた。

 行方不明になっていた父親だった。



 「あなた・・・」

 「由美子、すまなかった」


 その男はスーツのまま、由美子の前に土下座をした。




 リビングに入って来た父と母を見た葵は、一瞬言葉を失った。


 「ただいま、葵」

 「パパ・・・」

 「苦労をかけたね、もう大丈夫だ。俺は復活したんだよ」


 そして葵はハッキリと言った。


 「パパは狡い! 卑怯よ!

 ママと私がどれだけ、どれだけ大変だったか!

 お兄ちゃんはあれから部屋に引き篭もったままだし!

 なんで私たちを頼ってくれなかったの!

 なんのための、なんのための家族なのよ!」


 葵は2階に駆け上がり、私の部屋のドアをノックもせずに開けた。


 「お兄ちゃん! パパが帰ってきたから来て!」


 俺は驚くこともなく、何も言わずに葵の後をリビングへと降りて行った。

 俺はあの男が帰って来たことを既に知っていた。

 カーテンの隙間から見ていたからだ。



 「俊之助、すまなかった。大学受験、させてやれるようになったんだ」


 俺は冷たく言い放った。


 「あんた誰? 俺に親父なんていねえよ!

 あんな奴、もう死んだんだ! ふざけるな! 大学受験だ? どのツラ下げて言ってるんだ!

 それで罪滅ぼしをしたつもりかよ! お前の顔なんか二度と見たかねえ! 出て行け!」

 「お兄ちゃん・・・」


 その時だった。

 いつも温厚な母が俺の頬を打ったのは。


 「あんたにお父さんを責める資格はないわ!

 あなたは私と葵を無視して引き籠っていただけじゃないの!

 お父さんの顔を見なさい! こんなにシワも、白髪も増えて!

 家族に苦労をかけて、平気でいられる父親なんているわけがないでしょう!

 お父さんに謝りなさい! 俊之助!」



 みんなが泣いた。

 声を上げて泣いた。


 その日から、秀樹のYouTubeが更新されなくなった。



最終話

 債権者たちに残金の返済をするために、俺は親父に同行した。



 「お支払いが遅れてすみませんでした。取り敢えず、半分ですが、残りは必ず一生かけても返済します」


 すると、あんなに鬼のような形相で父を罵倒した債権者たちは、


 「社長なら、必ず復活すると信じていましたよ」


 それが世の中というものだと、そのあさましい歪んだ偽りの笑顔を見て、俺はそれを思い知った。

 親父は軽トラックに乗ると言った。


 「俊之助、カネというのは恐ろしい物だよなあ」


 それだけ言うと、親父はクルマのエンジンをかけた。

 親父は新しく、不動産とリフォームの会社を立ち上げた。





 久しぶりに沙織と再会した。


 「よかったね? お父さんが戻って来て」

 「来年、東北大の医学部を受験するつもりなんだ」

 「シュンならきっと大丈夫だよ、絶対に」



 俺は予備校へ入り、猛勉強を始めた。

 母も妹も仕事は辞めなかった。


 「何があるかわからないのが人生だからね」


 ようやく家族に笑顔が戻った。





 そして、2週間が過ぎたころ、秀樹の動画は更新された。

 だが、そこには病室のベッドにいる秀樹の映像ではなく、黒い背景に白く短い文章が綴られていた。




          3月10日 13時52分


          2年間の闘病生活を終え


          息子は天国へ旅立ちました


          ご支援、励ましを下さった皆様


          本当にありがとうございました


                      前嶋




 俺は狂ったように泣き叫んだ。

 桜の花も咲かないうちに、あいつは死んだ。


 どうして、なぜ? せめてサクラの花が咲くまで・・・。

 今、桜は満開なのに。






 10年が過ぎた。

 俺は今、大学病院の医者になった。

 命の最前線で死んでいく命、救われる命。

 俺はその暗い出口のないトンネルの中で、希望の光となる医者になろうと思っている。

 長くて暗いトンネルの中を、明るく口笛を吹きながら。

 その暗いトンネルの中を自分が輝き、闇を照らすために。



               

                    『終わりなき長いトンネルの中を 口笛を吹きながら進め』 完


 



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【完結】終わりなき長いトンネルの中を 口笛を吹きながら進め(作品230601) 菊池昭仁 @landfall0810

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