第12話 死闘

 飛び込んできた狐をけん制するように、とっさに光乃は鏑矢を放った。

 とんっ、と命中するがとくに傷を負わせることもない。神力も込めてないし、当然である。

 もともと、宙に向けて合図するためにつがえていた鏑矢だ。


 ”ちっ、まずい”

 鏑矢はもう一本ある。だがこの局面で、合図をする余裕があるかどうか、それは運次第である。


 狐のやつも、飛び出してきた先にまた武者がいるとは思わなかったのだろう、警戒するように頭を低く下げ、様子をうかがっている。


 先ほどまで奴と戦っていた十一郎は?


 狐を追って飛び出してくる様子がない。ならばそれが答えだろう、光乃は思った。

 十一郎に哀悼をささげている余裕はない。


 心の臓が早鐘をうつ。全身にいきよいよく血が流れているのを感じる。

 一方で、光乃の頭は、奇妙なほどに冷めていた。


 ”狐のやつ、次はどう動く? 踵を返して逃げようとする? とびかかってくる? それとも火の玉か?”


 妖狐の毛並みの動き、その裏で隆起する筋肉の初期微動にさえ注意をくばる。


 ”もし逃げようとしたらどうする?とびかかってきたら?”


 光乃の悪い癖がでている。

 だが本人は全く気付いていない。


「考えている暇があったら動け!矢を放て!」


 モレイがいたらそうどやしつけただろう。


 騎馬武者とは、読んで字のごとく、馬にまたがる武者であり、弓を主たる武具として戦う。

 その戦い方とは、当然ながら本質的に機動戦である。


 そこにおいて、相手があやかしであれ、同じ騎馬武者同士であれ、最も重要なことは変わらない。

 すなわち、相手から攻撃されにくく、自分は攻撃しやすい位置に向けて、常に馬を動かし続けることである。


 例えば相手の裏を取る。あるいは高いところを抑える。

 騎馬武者相手であれば、相手の馬手側後方の死角をとる。


 当然、よほど低位で間抜けなあやかし相手でもない限り、相手も同じことを考えるわけだから、力量、知能が全く同じならば、先に意思決定して動いた方が、原理的には勝利をつかむことになる。


 だから、

「つねに動け! 先手を取れ! 場を支配しろ!」

 モレイはいつも、口酸っぱく光乃にはそう言っている。


 今、狐の前で半ば棒立ちになっている光乃をみたら、げんこつまちがいなしである。


 ただ、今回に限っては幸運なことに、狐のほうも動かない。

 光乃の実力を測りかねているようだ。

 にじり、にじりと足を動かしながら、光乃のほうを警戒している。


 見れば、狐の耳は、おそらくは十一郎によるものなのであろう、半ばからちぎり取られているし、額あたりからの流血で、右目が隠れそうになっている。

 昼間にモレイがちぎり飛ばした尾は、血こそ止まったものの、回復までは遠いようだ。


 ”退くべきか、それとも進むべきか”


 狐は狐で、自分のうけた損害と、光乃の力量をはかりにかけて、どうするべきか迷っているのであろう。



 次の瞬間、音ひとつたてることもなく、狐が飛び込んできた。

 進むことに決めたとみえる。

 家ほどの大きさの巨体が、無音で走りこんでくる。


 ”きたか!”

 光乃は背を向けるや、山のふもとに向けて、葦の野原に向けて馬を疾駆させる。


 先に動いた分、狐のやつのほうが早い。

 野原に向けてひた走るを光乃を追い、狐は瞬くまに距離を詰めていく。


 背を向けた光乃に向けて、一瞬早く、とびかかってくる。


 光乃の背後、吐息すら聞こえるほどの近く。

 とびかかる狐が、顎を開け、噛みつこうとする音さえ聞こえるほどの近く。


 くるり。

 光乃は馬上で振り返り、まさに迫りくる狐の右目、額からの流血で視界がふさがれているその眼をめがけて、押しもじり(バックショット)で一撃食らわせた。


 おそらく、光乃がモレイのような武者であればそこで勝負はついたろう。

 とびかかった瞬間、しかも逆襲されるとは思っていないその瞬間に、もっとも守りの薄い目に一撃をくらわせたのだから。


 だが、光乃の矢は、狐に突き立つことのできぬまま、はじかれて地面に落ちた。

 またしても神力はこめることあたわず、光乃の矢は狐をひるませるだけにとどまったのであった。


 狐はすぐさま距離を取る。

 火の玉をはなつ。


 爆発。

 避けた光乃の後ろから火の玉の爆発で吹き飛ばされた木の破片が吹き飛んでくる。


 瞬間、光乃は矢を放つ。


 ”もしかして……!”

 光乃が放った矢を、よけようともしない狐の姿を見て気づく。


 ”くそ、弓がまともに使えないことがばれたか……!”


 交差するように飛来してきた火の玉の直撃を食らう。

 鎧に神力を通す間もなく、大袖で受けることもできず、左半身が閃光とともにごっそりとちぎれ飛ぶ。


 一瞬の轟音。

 そのあとの無音の世界。


 ”ああ、また死ぬのか。”

 真夜中の川底よりもなお暗い、深い深いところへと、意識が沈んでいく。

 その最後の瞬間に、狐がくるりと身をひるがえして、森の奥めがけて駆け出すのが見えた。




 ◇


 水の底から浮き上がる泡のように、意識が形をむすんでいく。


 ”また戻ってきたのか?”


 眼を開ける。


 屋根の裏が見えた。


 ”ここはどこだ?”


 てっきりこれまで同じ、狐を取り逃がした後の午後の河原に戻ってくると思っていた光乃は混乱する。


 唸るような、吟じるような声が聞こえる。

 もくもくと燃えるような煙い香りもする。


「どうしたの、騒がしいわね……えっ、えっ? どういうことなの?」

 目をこすりながらやってきた乃理香が絶句。


 唸るような吟じるような声がだんだんと形を得ていく。源建法師の真言であった。


 ちょうど源建法師の法術で信乃を取り押さえたところに戻ってきたようだった。

 

 ”直近で意識を手放したところに戻ってくる、ということだろうか。”

 さっき信乃を取り押さえた後に、疲れからか一瞬意識を失っていたので、きっとここに戻ってきたのだろう、光乃はそう思った。


「おい、どうした! 大丈夫……か……? えっ……?」

 腹巻姿で駆けつけてきたモレイが、絶句して太刀を取り落としている。


 また死んだ。

 でも、前には進んでいる。

 最初から狐の居場所がわかっている、というのは狐との戦を進めるうえで大きく有利だ。

 十一郎を犠牲にせずに、誰一人として死なずに狐を倒せるかもしれない、そう思った光乃の心は、さっき死んだばかりとは思えぬほど晴れ晴れとしていた。


 ◇


「……というわけで、源建法師にお願いして、法術で信乃を抑え込んでもらっているの」


「なるほど、そういうことか。それにしても、夢の中でのお告げか……」

 モレイは納得したようにつぶやく。


 前回同様、時を戻っている、という説明は場を混乱させるだけだと思った光乃は「夢のお告げ」ということにした。


「でね、思っていたよりもあやかしが強力みたい。それで、抑えきれないからずっと真言を唱えているんだとおもうの」


「それは……まずいんじゃないのか?」


「うん、ただもう少しで都から呼んでいる陰陽師が来るのと――」


 ――さま! ――を連れてまいりましたぞー!

 その時ちょうど、十一郎が陰陽師を連れて帰ってきたようだった。


「あと、荘内の僧侶を総動員すれば、朝方まではもつんじゃないか、と思ってる。とりあえず、櫓門を開けて十一郎を迎えるから、手伝って!」



 ◇


 十一郎に馬から下りる暇もあたえず、光乃は切り出す。


「十一郎、かえって来て早々わるいんだけど、近隣の下人たちを館に大至急集めてもらえないかしら。深夜にみんな寝ているだろうけど、織路の家が存亡の危機に立たされているの」


「はは! え、いまからですか? あ、いや、姫様のご用命とあらば!」

 十一郎はそのまま馬を降りることなく、くるりと馬身をひるがえして駆け出して行った。


弓削氏ゆげのうじの葵さんね。待ってたわ。十一郎から話は聞いていると思うけど、あなたを呼んだ織路氏おりじのうじは一女、光乃と申します」


「はい、そうですぅ。でもなんで私の名前を……?」


 その問いには特に答えず、光乃は話し続ける。

「十一郎からは、狐退治だ、と聞いていたと思うんだけど、少し状況が変わっているの」


 手早く、信乃がなにものかに取りつかれていること、おそらく狐の呪いか神懸かりであろうと推測されることを説明する。


「確かにそれなら納得です。三尾もの尾をもつ狐ならば、そうした呪いをかけることができてもおかしくないですから」

 葵は得心してつぶやく。


「それで、葵殿には信乃の封印を手伝ってほしいの。とりいそぎ、源建法師殿がずっと真言を唱えていて疲れ切っているから、ちょっと変わってもらえない? 母上、葵殿を母屋の信乃のところに、お願いします」


 モレイのほうにくるりと向き直り、この後の段取りをてきぱきと話す。


「夢のお告げでは、狐の呪いなのか、神懸かりなのかまでは分からなかった。でも、そのどちらかだとは想定できるから、朝が来るまでにどうにかして狐を倒す。朝までは、荘内中の僧侶を呼びよせて、どうにか信乃を抑え込む。そして狐を倒してもダメだったら、神がかりだとして鎮める。こういう作戦で行くべきだとおもう」


「お、おう。その作戦で違和感はない。しかしいきなり人が変わったように、どうしたんだ。急に頼もしくなって」

 困惑したようにモレイは目をぱちくりさせる。


 その時、にわかに館の回りが騒がしくなってきた。


「あ、下人たちが来たみたい。かがり火をたいて明るくしましょう」



 ◇


 こうこうとかがり火をたいた庭に、眠たい目をこすった下人一同がそろっている。


 光乃は庭に降り立つと大声を張り上げる。

「こんな夜更けにごめんなさい! でも、いま織路の家が存亡の危機に瀕しているの! 陰陽師殿、並びに源建法師殿の見立てでは、信乃が、なにがしかの呪いを受けているの!」


 下人たちがざわめく。


「だから、今すぐ、荘内中の僧侶を呼んできてほしいの! 僧侶がいれば、朝までは呪いを食い止められるって! その間に、モレイ、私、十一郎で狐を退治する!」


 さあ、いますぐ!と光乃が劇を飛ばすと、下人たちが大慌てで走り出していく。


「姫様、狐退治はいいんですが、どうやって狐を見つけるんです?」


「うむ、我々だけだと見つけられないぞ。下人を狐探しにあたらせたほうがいいんじゃないか?」


「いや、実は狐の居場所は夢のお告げで大体わかっているの。とりいそぎ、二人とも戦の支度をしてほしい。準備ができたら案内するわ」



 ◇


 だが、その夜、どんなに探しても狐は見つからなかった。


 そのままむなしく夜は明けた。

 館に戻った光乃とモレイを待っていたのは、無残に食い殺された源建法師ら僧侶と葵と乃理香の遺骸。

 最後の手段として神懸かりの儀式を行ったが、失敗したのだろう。


 信乃の姿はどこにも見えない。

 作戦は完膚なきまでに失敗した。


 光乃は腰から下げた太刀を抜くと、己の喉元に、ぐいっと差し込んだ。

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血よりも濃い絆のために~捨て子の姫武者は権能”死に戻り”で家族を救いたい。そのためなら一万回でも死んでやる さえずるかつお @alcest

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