第11話 死闘の始まり
◇
八つの頭に八つの尾を持つ龍、
この国の人々は、千年もの間、あやかしを殺し、あやかしに殺され続ける中で、あやかしを退治するための、いわば定石を編み出してきた。
まず第一に、戦の舞台を日中に据えることである。
あやかしは日が落ちると強くなり、日が昇ると弱くなる。都で遊ぶガキでも知っていることだ。
戦うもの――武者、陰陽師、僧侶――の間では、日中の大妖格と夜の中妖格が同じくらいの力である、といわれている。
だからこそ、夜の襲撃は守りに徹してしのぎ切り、日が昇り弱っているところに逆襲をかける、というのがあやかし退治の定石になっているのである。
第二に、武者、陰陽師、僧侶の混成部隊で立ち向かうこと。
分厚い大鎧に身を包み、自由自在に馬を操り、針の孔さえも弓で射貫く武者。
一子相伝の霊符を携え、水・金・土・火・木の五属性を自在に操る陰陽師。
そして第三に、情報収集を徹底すること。
対象のあやかしは、どの程度の大きさで、どのような弱点があるのか? あるいは妖術や幻術を使うようなあやかしなのか?
夜の防衛時に、能力の片鱗がわかることも多い。過去に出現したことのあるあやかしであれば始祖代々受け継ぐ書物に残っていることもある。ながく続く武門がそれだけで強力なのは、これまでにあやかしと戦った記録を子孫に残しているからこそでもある。
これらをふまえた典型的な戦い方はこうだ。
例えば、日中、ひらけた草原で狼の中妖を討伐する場合。
狼のあやかしは比較的よく出るものだから、大体の武門には討伐記録が残っているだろうし、実際に相手取ったものも多いだろう。
例えば織路の家には狼のあやかしは、こう伝えられている。
”狼妖、動きは素早いけれども、妖術の類を用いない。単独ではさほど強敵ではないが、しばしば群れを成す。しかも賢い。一匹見かけたらもう何匹か隠れてることがおおい。”
まず、妖術や幻術の類を使わない、遠くの敵を倒すすべを持たない、ということが重要である。それらを使うあやかしの場合は、僧侶や陰陽師を多めに編成する必要があるからである。
また、動きが素早く、群れを成す、とあるから、機動力に劣る陰陽師よりは、機動力に富んだ武者を編成したほうがいいかもしれない。
そうすると、中妖格を討伐する際の標準的な編成である、騎馬武者が二人、陰陽師が一人、僧侶一人から、陰陽師を武者に置き換え、武者三人、僧侶一人とすれば最適なのではないか、という判断が成立する。
そして実際に戦いは以下のように進行する。
まずは物見のために放った鷹やら犬やらが、狼の居場所を突き止めるだろう。
そして、襲撃できる距離――この時、においで気取られぬよう風下に立つことが重要だ――まで近づいたら、完全武装の騎馬武者が一気に近づき、矢を射かける。
同時に僧侶が法術をもって狼の動きを制限する。徳が高く、仏の教えに通じた僧侶であれば、真言だけで小妖格は調伏できる可能性もある。
三人の武者は散開して、常に狼と十間(約20m)――すなわち、敵の一撃は届かず、こちらの矢はほぼ外れない、タコ殴りが可能な距離――を保ちながら矢を射かける。
妖を中心として、左回りに、まるでコマのように、しかし緩急をつけながら回ることが重要だ。
こうすると、狼から見たときに、横方向に動いていることになるため、攻撃が当てにくい。
一方で、こちらからは、威力の出る弓手側への射撃を行うことができるためである。
そして万が一にも矢を討ち尽くしてなお討伐できない場合は、太刀を抜き放って接近戦を仕掛けることになるが、非常に危険であり、勝率も下がる。むしろ退却できるならすべきとされる。
ところが、今回の場合、三つの定石をすべて破っている。
まず、日が出るまで待っていられない。
なにせ、源建法師の法術に、荘園中の僧侶の頑張りをあつめても、朝方までしかもたないのである。
混成部隊も編成できない。
陰陽師の葵も僧侶の源建も信乃を呪いから守るために全精力をつぎ込んでいる。
おまけに、武者の数も全然足りていないものだから、本来戦闘員ではない下人までかりだしてたたかおうとしている。
そして、情報もない。
なんせ尾を複数持つ狐のあやかしが出たのは、数十年前の玉藻御前が最初で最後である。
狐のあやかしであれば、それなりに出てくるが、尾が複数ある狐は別格とされている。
歴史ある陰陽師の家門、弓削氏の葵が「信乃は狐憑きではない。おそらくは呪いではないか」と推測できただけでも、もう充分である。
だから、光乃は夜の山の中で、一人緊張していた。
光乃は、日中に狐を討ち漏らした半人前の武者である。
武者としても最も重要な弓術にもはなはだ自信がない。たというまく神力を込められたとしても、分厚くかたいあやかしの妖力を撃ち抜けるかどうか。
「まだ、満月で助かったな。」
小声だと恐怖が増すような気がするから、光乃はつとめて大きい声を出している。
「もしこれが新月だったら厄介だったろうな。妖も強かっただろうし、道も見えにくかったろうし…。」
特に話す相手がいるわけではない。たんに、一人で夜の山を歩む恐怖を和らげたいだけだ。
と、その時、
――ぴいぃっ
という音とともに神力のはなつ光が夜空に一本の線を引いた。
「合図の鏑矢だ!」
光乃は、すぐさま馬に鞭を入れて走り出す。
と同時に、モレイの作戦を思い出していた。
◇
赤名荘は四方を山に囲まれた盆地である。
その盆地の中央あたり、くねくねと蛇のように流れる赤名川のわきに、昼間に狐を取り逃した葦の原っぱがある。そしてそこにくっつくように森と小高い山がある。
もしも空を行く渡り鳥が赤名荘をみおろしたら、四方を山の縁で囲まれた中に、ぽつんと、小山が突起状に出ているようにみえるはずだ。
隠れ潜んでいるとしたらその山のなかだろう、というのがモレイの見立てであった。
「やつは結構な手傷を追っている。妖狐というのは尾の数だけ命を持つという。それが一本吹き飛ばされるというのは、相当な傷のはずだから、むやみに動かず、回復を待っているとみるべきだ。そうすると、狐が休めそうな場所はあの小山しかない。」
こうこうとかがり火をたいた庭で、下人を前にしてモレイが語り掛ける。
「山といっても小山だ。ばらければ、狐を見つけることはたやすいはずだ。そして、狐を見つけたやつは鏑矢を放て。そうしたら、葦の野原に狐のやつを誘導するんだ。なんせ、山はこっちに分が悪い。やはり弓馬の術を生かすなら、野原に誘い出さなけりゃならん。なに、すぐに武者が駆けつける。だから戦おうなんてしなくていい」
モレイはぐるりと下人たちを見渡す。
「鏑矢を聞いた奴らやつらは、音のあるほうにむかえ。そして、どうじに野原に向かって降りていけ。そこには先に出くわした下人が狐のやつを誘導しているはずだ」
そして、いいか、挟み撃ちだ。モレイはそう言いながら
たとえ相手が敵対する武者の軍団だろうが、あやかしだろうが、挟み撃ちは常に最も有力な戦術である、とよくモレイは言っている。
なんとなれば、後ろには目が付いていない。これは人もあやかしも同じである。
そして、多くの場合、前と後ろからの攻撃、両方に対処することは難しいから、どちらか片方は一定の損害を相手に与えることができる。
そしてその挟み撃ちが、相手にとって不意打ちであればあるほど、それは致命的な一撃となる。
「だから、野原に誘い込んで挟み撃ちにしたい。なに、お前らが戦う必要はない。長物を構えて弓弦を鳴らして、狐のやつを威嚇してくれればそれでいい。主に狐と戦うのは、私と十一郎、そして、この光乃だ」
バンバンとモレイは光乃の背中をたたきながら言う。
「狐を見つけたもの、狐を野原に誘導したもの、その他、手柄を立てたものには子々孫々にいたるまで報酬、おもうがままぞ。家中第二の武者、このモレイが約束しよう」
◇
鏑矢の音の聞こえた方に向かって光乃は馬を走らせる。
時に満月に照らされ、時に雲や木の陰に隠れて真っ暗な、道なき道。
きりたったような山肌と山肌の間、地を這う巨大な根と根の間、朽ちて倒れこんだ大木とくぼみの間。
あたかも平原を行くかのようにたやすく、光乃はそれらの間と駆け抜けていく。
鏑矢の音のなったあたりに近づくにつれてあやかしと武者――十一郎だろうか――が生死を尽くして戦う音がする。
弓弦が鳴る音。
琴の音に似ている。
光乃にとっては、貴人の娘の奏でる、蒔絵づくりに螺鈿細工の琴の音よりも美しく聞こえる。
矢が空気を引き裂く音。
熟練の武者の放つ矢は、まるで舶来ものの上質な絹地を引き裂いたような音がする。
大木のちぎれ折れるような音。妖狐の反撃だろうか。
折れた大木が地面に倒れこむ音。音だけでも地面の揺れが伝わってきた。臓腑にずしりと来る、鈍い音だ。
そして、のんきに梢で寝ていた鳥の群れが、大慌てでさえずり、羽ばたき、満月の夜空に逃げる音。
”昼間よりも、一回りも二回りも強大になっている!”
葦の野原で討ちもらした時の妖狐には、およそ大木をやすやすとちぎるような妖力はないように見えた。
――どごぉんっ
向かう方角が突如明るくなる。落雷のような爆発音。
膨れ上がった炎が火の粉を空に散らす、パチパチとはじける音。
”火の玉……か?”
昼間に光乃がくらった火の玉とは全くけた違いの代物である。
もし直撃したら? 今しがたちぎれ飛んで宙を舞った何かのかけらと同じ運命が待ち受けている。
馬をひたすらに走らせる。木々がまたたくまに後ろに流れていく。もう、音はすぐそこだ。
事ここに至って、光乃は覚悟を固めた。
もし、自分が死んだとしても……。
”もし自分が死んだとしても、何としてでも葦の野原のほうに引っ張っていって、そのときに少しでも狐のやつに痛手をくらわせて。”
その結果、モレイが、見事に妖狐を討ち果たして。そして信乃が救われたならば。
”きっとそれは拾ってくれた恩を十分にかえしたことになるだろう。15年前に捨てられていた私の生にも意味があったということになろう。”
ふいに音がなくなった。
木が倒れこむ音も、弓弦が鳴る音も、鳥たちが騒々しく逃げる音も、火の粉がはじける音も、何もかもがなくなった。
ただ、光乃の馬が疾駆する、荒い鼻息と、馬蹄の音だけが、寒寒しい夜空に溶けて消えていく。
一瞬の無音。
次の瞬間、家ほどの大きさの三尾の狐が、真っ暗闇の中から飛び出てきた。
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