第10話 真夜中の山狩り

 ◇


 場の気分を切り替えるように、モレイは”どんっ”と太刀で床を鳴らす。

「とにもかくにも、源建法師にもう少し頑張って抑え込んでもらわないと困る。なにか手立てはないものか」


「あ、抑え込むだけであれば私の今の手持ちの霊符でもできますよぅ」


 それにくわえて、と光乃は話し続ける。

「荘内の僧を集めれば、もう少し長く持たせられたりしないかな……」


「ふむ、それはいい手かもしれない」

 モレイは少し考えこむと声を張り上げた。


「十一郎!! 十一郎!!」


「はーい、なんですかモレイ殿」

 厩のほうから十一郎の声が聞こえる。


「ありったけの下人、近隣の村人をたたき起こして館に呼び集めろ!!!!」


「えええ、真夜中ですよモレイ殿。起こされるほうはたまったもんじゃないですわい」


「うるせえ!! 真夜中なんだから起こさなきゃ呼べないだろうが!! いいからいますぐやれ!!!」


 ヒヒン、馬のいななきとともに十一郎が駆け出していくのが聞こえる。


「何をするにしても人出は必要だからね。ありったけ集めれば総勢50人にはなるだろう」


「少し源建法師様のご意見もきいてみたい。僧侶を呼ぶだけ読んで、なにもできませんでした、だと意味ないかなとも思って。申し訳ないんだけど、葵さん、ちょっと信乃の封じ込めを変わってもらえないかな」


「はぁい、大丈夫ですぅ」

 いうが早いが、葵はひもでくくった袖の隙間から霊符を取り出した。


 みれば見たこともないような複雑な文字に加えて繊細な絵柄も施されている。

 おそらくは神力も込められているのではないか。

 そう考えると、なるほど確かに簡単には用意できない代物であるらしい。


 葵が小声で呪文を唱えると、葵を中心として、神力がきらめき、踊りだす。

 やがて神力は人型のような形をとると、足先から霊符の中に吸い込まれていった。


「ふん!」

 葵は可愛らしく気合を入れながら霊符を信乃に投げつける。

 霊符から解放された神力が、ちょうど網のようにきらめき、信乃の上にふわりと覆いかぶさったように見えた。


「光乃様、これで少しの間は持つはずです。」


「ありがとう、葵さん。ちなみにこれって、どれくらいもつとかって……?」


「うーん、じっさいのところ憑き物の力次第なんですけど、まずくなったらわかるので、そのときは封じ込めし直しますね」


「源建法師様、そういうわけで一時的に葵さんに封じ込めてもらいました」


 光乃が言うが早いが、源建は倒れこむ。まるで全力で走った時のように、胸が上下に大きく動いている。


「お疲れ様です……」


「いえいえ、ふう、だい、じょうぶですよ。ふう」

 およそ大丈夫そうには見えない。が、源建の頭のほうにはもうひと働きしてもらわなくてはいけない。


「源建法師殿、実際のところどの程度抑えられそうですか」

 モレイが尋ねる。


 ふうう、と大きく一息ついて、源建は身を起こす。


「いや、正直あと半刻程度ではないでしょうか。真言を唱え続けていないといけない、となるとかなり手ごわいです」


 光乃は手拭いを差し出しながら聞いた。


「荘内の僧を集められるだけ集めて、もう少し長い間抑えられないかな、ということを考えたんですけど、どうでしょう? 多分15人程度はいるかと思うのですが」


 源建は手拭いで額の汗をぬぐう。


「ふうぅ、いやはや、手拭い有難うございます。そうですね、僧の皆様の力量次第ではあります。ただ、さすがに阿尾奢あびしゃ法が全く使えない僧がいるとは考えにくいですから、交代で真言を唱え続ければどうにかなるかとは思います」


「具体的にどれくらい、とかはわからないですかね?」


「私と葵殿、僧侶たちが交代交代で、3刻程度(6時間)はどうにか持つかと思います。逆に言うと明日の昼前まで持たせるのは無理でしょうね」


「ということはやはり、いまから都に再度戻って、霊符やヨリマシを、というのは……」


 もう答えは分かり切っている、けれども、光乃は聞かずにはいられなかった。


「まあ難しいでしょうね……」


「あのう。すみません」


 おどおどと葵がはなしかけてくる。


「ああ、すみません。自己紹介も遅れておりましたね。拙僧は源建と申しまして、都の北嶺寺から赤名荘の寺院建立のためにやって参ったものです」


「あ、はい。私は弓削氏ゆげのうじ天神流てんじんりゅうの三女、葵、と申します。狐退治ということで先ほど呼ばれてまいりました」


 あ、で、そうじゃなくて、と少しあたふたした後に、意外にもしっかりとした表情で葵はつづけた。


「多分、信乃さんは狐憑きではないと思います。というのも、狐のあやかしって結構頭がいいので、狐に憑かれた場合も、お話にあったように、獣のようになる、なんてことはないはずなんです」


「そうすると、神懸かりか、あるいは別のあやかしが憑いている、ということになるのかな」


「ええと、神懸かりはあると思います。でも別のあやかしというのは少し可能性は低いかな、と思います。人に憑くあやかしってそう頻繁に出るものではないんです。それよりは、敵対する陰陽師か、あやかしの呪い、と考えたほうがしっくりきます」


 ふむ、とモレイは考え込む。


「このへんには葵さんのほかには陰陽師はいないから、陰陽師の呪いではないだろうね。とすると、あやかしの呪いの可能性もあるのか」


「はい。狐のあやかしは中妖格とのことでしたから、呪いも使える可能性はあります」

 

呪いというのは、人が使うにせよあやかしが使うにせよ、それなりに高度なので、中妖以上でなければ行使できないのだ、という。


 ふむ、とモレイはつぶやくと、葵に聞く。


「ということは狐の呪いか、神懸かりか、どちらかになるのかな?」


 はい、と葵がうなずくやいなや、モレイは素早く決断した。


「わかった、じゃあこうしよう。朝までに狐を討ち果たす。それでだめだったら、神懸かりの前提で、源建法師が鎮める。それでいいな?」


 ぐるりとみまわし、反対意見がないことを確認した。


 にわかに館の回りが騒がしくなってきた。

 下人たちの声が聞こえてくる。


「よし! 下人たちが来たようだ!庭にかがり火をたいて明るくしろ!そこに集めるぞ!」



 ◇


 こうこうとかがり火をたいた庭に、50人強だろうか、眠たい目をこすった下人一同がそろっている。


 庭に降りたモレイが大声を張り上げる。


「今、織路の家は危機に瀕している! 陰陽師殿、並びに源建法師殿の見立てでは、信乃姫様が、なにがしかの呪いを受けている可能性がある、とのことだ! おそらくは昨晩襲ってきた狐のあやかしだと想定される!」


 いきなり呼ばれてこんなことになるなんて思っていなかった下人がどよめく。


「そこでだ、信乃様への呪いを和らげるために、下人衆は、荘内中の僧たちを大至急呼んでこい! 僧侶たちがいれば、朝までは呪いを食い止められる、とのことだ!」

 

さあ、今すぐ走れ!とモレイが号令をかけると、下人衆が大慌てで走り出す。


「僧たちが法力で呪いを食い止めている間に、我らは狐を討ち滅ぼさねばならぬ! 昼間に打ち損じたあたりからはそう離れてはいまい! 松明を手に、山狩りぞ!」


 おう!おう!とのこった下人たちは返事をする。

 各々、腹巻(徒歩用の鎧)や薙刀といった武装をそろえるためにあわただしく動き始める。


 光乃も、武具一式を身に着けるために、屋敷の中の塗籠ぬりごめ(宝物を置く物置)へとむかった。


 ◇


 下人はみなあわただしくしているから、光乃は、乃理香に手伝ってもらいながら鎧を身に着けている。


 大鎧、というのは非常に重たい。だから、それを身にまとう武者にも、それを乗せて走る馬にも大きな負担がかかる。通常は、籠手と脛あてのみつけ、武具一式は下人に背負わせて行軍する。そして、戦場が近づいてきたころに下人の助けを借りながら武装に身を包むのである。


 ところが今回の場合は、索敵戦であるから、どこが戦場になるかわからない。加えて朝までには狐を倒さなければいけない、という期限付きだから、もとより鎧を着こみ弓をもち、馬上の人となって出発する必要があった。


 普段、姉妹のこととなると過剰なまでに心配性な乃理香も、努めて明るくふるまっている。


「ありがとうねえ、光乃。本当に立派になったわ。いったいどうなることやらと思ったけれども、どうにかなるような気がしてきたわ」


 うっ、と脇楯のひもをきつく縛られて、光乃は息を漏らす。


「いやいや、母上、モレイ姉のおかげですよ。モレイ姉が赤名荘に残ってくれていて本当に良かった」


 うーん、重いわね、とふんばりながら乃理香が鎧を持ち上げる。

 非力な乃理香が鎧を持ちあげてよろめくのを見て、慌てて光乃は支える。


「お母さま!大丈夫ですか。そんなに持ち上げなくても、私のほうがしゃがみますから」

 そういうと、もぐりこむようにして大鎧に身を突っ込む。


 ふう、と立ち上がると、光乃の肩にずしりと重さがのしかかる。

 その辺を駆け回っている女子くらいの重さはあるのだ。


 すこし引いたところから全体を見回して、乃理香がよし、とうなづく。


「それにしても見事な黒糸威くろいとおどしね。あなたの濡羽ぬれば色の黒髪に、碧玉のような瞳と相まって、とっても神秘的だわ」

 光乃の鎧は、篝火のゆらめく光に合わせて、時には黒曜石のように、時には瑠璃のように輝く。


 鎧というのは、一枚の大きな板で作るのではなく、小さな板と板を糸で繋ぎ合わせて作るものである。

 その、板と板を繋ぐことを"威し"とよぶ。

 もともとは必要最低限の紐で板と板をつないだものだったのが、次第に装飾に工夫を凝らすようになった。

 高価な染色をほどこした様々な色の糸を組み合わせて、あたかも模様のような、織物のような見映えにしたり、あるいは、とびきりの染料で、一色に染め上げたり、その凝りようは、人それぞれ(と、財力次第)である。


 それは、他の武者たちへの財力や美的な感性の誇示であると同時に、多分に神秘的な意味合いも持っていた。


 というのも、武者たちにとって、大鎧とは、最終的には死装束である。

 どんな戦場であれ、それがあやかしとの戦いである限りにおいては、そこが死場所になる可能性をひめている。

 だから、武者たちにとって、色鮮やかな威しで装飾の施された鎧は、財力自慢だとか、武者としての誇りだとかだけではなく、己という供犠を神に捧げるための飾りつけ、死装束なのであった。


「さ、これでどこからどう見ても立派な姫武者ですよ。たのみましたよ」


 明るくふるまっている乃理香だが、その眼に憂いを帯びている。


 光乃にもそれはわかっていた。それでも、軽々しく「大丈夫ですよ」とは言えない。

 夜のあやかしというのはそれほど強大なのであって、光乃自身もひどく緊張していたからなのであった。

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