第9話 さすがは十一郎

 ◇


「どうしたの、騒がしいわね……えっ、えっ? どういうことなの?」

 目をこすりながらやってきた乃理香が絶句している。

 そりゃそうだ。


 信乃は死んだように力なく横たわっているし、そのすぐよこでは、光乃が荒い息をはきながら大の字になっている。

 汗だくで黒髪が額に張り付いていて、衣服も乱れに乱れていて、草木も眠る夜更けすぎには、およそふさわしからざる見た目ではないか。

 見事な文様の刺繍された白絹の几帳は、まるでコソ泥が入ったようにぐちゃぐちゃになって、ところどころちぎれてさえいる。


 おまけに、なぜか襖障子をあけはなった先では、もくもく、こうこうと護摩とお香を焚いていて、まるで昼間のように明るい。煙に半ば包まれるようにして、源建法師が数珠を片手に真言を唱えている。


「おい、どうした! 大丈夫……か……? えっ……?」

 胴丸姿(徒歩用の鎧)で駆けつけてきたモレイが、絶句して太刀を取り落としている。

 そういえば、今夜の不寝番はモレイだった、と光乃は思い出す。


「実は……。ええっと、ね」

 と話し始めたところで、光乃は、どう説明したものか、考えていなかったことに気づき、しどろもどろになるのであった。



 ◇


「……というわけで、源建法師にお願いして、法術で信乃を抑え込んでもらっているの」


「なるほど、そういうことか。それにしても、夢の中でのお告げか……」

 モレイは納得したようにつぶやく。


 結局、時を戻っている、という説明は場を混乱させるだけだと思った光乃は「夢のお告げ」ということにした。


「事前に相談してくれればよかったのに! ずいぶん驚いちゃったわ」


「いえ、奥様。夢のお告げの内容はなるべく人にはしゃべらないほうがいいと言います。結果的にですが、光乃は正しかったということになりましょう」


「あら、そういえば確かにそう聞いたことがあるわ。さすがモレイ、博識ね」


「はは。夷人は無教養と見下してくる人間が多かったものですから、見返すために勉強しただけですよ」



 光乃が二人に説明している間も、源建はひたすらに真言を唱え続けている。



「……ねえ、真言ってあんなに長いものなのかな、モレイ姉」


 この真言は、阿尾奢あびしゃ法か……?とモレイ姉は小さくつぶやく。そして続けた。

「いや、これは同じ真言を繰り返しているな……。こんなことは普通ではないと思う。あやかしの妖力にたいして、源建殿の法力が追い付いていないのかもしれない」


「そういえば源建法師、法術は苦手だと言っていた……けど、大丈夫かな……?」


 雲行きが怪しいな……、とモレイはつぶやく。



 意を決して光乃は口を開いた。

「源建法師殿、これから何点か質問させてください。真言を唱えていてしゃべることができないかと思いますので、首を振ってこたえてください」


 源建法師は、真言を唱えながら頷く。


「あやかし憑きか、神がかりか、もともと想定していたよりもずっと強力ですか?」


 頷く。肯定だ。


「もしかして、ずっと唱え続けていないと抑えきれないですか……?」


 頷く。


「もしかして、もしかして、一刻持たせるのは難しいですか……?」


 激しく、なんども頷く。

 源建は汗だくである。まるで体から湯気が立っているようにさえ見える。


「一刻……というのはどういうことだ、光乃?」


「もともと、源建法師様が、一刻程度であればおそらく抑えきれる、その間に陰陽師がよべるはずだ、という作戦だったの」


 乃理香が崩れ落ちるのが視界の端で見える。

 モレイも頭を抱える。


「いや、仕方のないことだ。ここまでとは想定できなかったのだろう」

 しかし、どうするか、とつぶやいて考えこむ。




 ――さま! ――を連れてまいりましたぞー!


 そのとき遠くから声が聞こえた。

 落ち込んでいた光乃が顔を上げた。


「姫さまー! 陰陽師をつれてまいりましたぞー!」

 空耳じゃない! はっきり聞こえた!


「さすがは夜討ちの十一郎といちろう!! 間に合った!!」

 本当に子の刻に間に合うなんて!

 光乃は思わず駆け出す。


「モレイ姉、櫓門やぐらもんを開けるから手伝って!」


 ◇


「姫様、何とか間に合いましたかな。」

 うまやに馬をつけながら、誇らしげに十一郎が言う。


「さすがよ! 本当にいいところに間に合ったわ! それで、陰陽師の方は……」


「ああ、いや、今厩の外におります。葵どのー!」


 厩の外から姿を現したのは、くたびれた髪を顎近くで切りそろえた、小柄な女の子であった。どこか足がふらふらしていているように見える。

 小柄な体に、灰色の水干、だろうか。あるいは色の落ちただけの水干やもしれぬ。

 汚れはなく、丁寧に着ているのは分かるものの、とても富裕のものには見えない。

 全体的に大きさがあっておらず、腕や脚をひもで縛ってだぶつかないように調節しているようだ。


「葵どの、ご紹介いたします。当家の姫、光乃様と、家中一の武者モレイ殿です。姫様、こちらにいらっしゃるのが、陰陽師として名高き弓削氏ゆげのうじの俊英、葵殿です」


 ちょいちょい、とモレイは端のほうに十一郎を手招きすると小声で話し始める。


「あのさ、十一郎。こんなこというのもなんだけど、もっと手練れの陰陽師はいなかったのか。都のやしきにも何人か専属の陰陽師がいただろう。ほら、たしか阿部氏の縁者の何某とかいう爺さんとか……」


「いや、モレイ殿。それが都では、大妖がでたとかでないとかで大わらわになっておりまして。家中の陰陽師も、全員大妖退治に出ておったのでございます。それをほうぼうのつてを頼りまして、なんとか引っ張ってきたのが葵どのなのでございます」


「あれ、でも弓削氏ゆげのうじって、けっこう落ち目のところじゃなかったっけ……?」


「いやいや、姫様、落ち目だからこそ連れてくることができたのですぞ! 名門どころや有名どころは、根こそぎ大妖退治に駆り出されていましょうし、なにより伝手がありませぬ!」


「しーっ! 声が大きいよ十一郎! 聞こえちゃうよ」

 思わず光乃は葵をみやる。葵は不安そうにこちらを見ている。聞こえていたのか聞こえていなかったのかはわからない。


「それに、なんでも齢十五にして、中妖格の鬼と渡り合ったこともあるという凄腕とのことです。 狐退治には不足ない腕前だと本人からも聞いておりますぞ。そうでしょう、葵どの!」

 十一郎は自信たっぷりに答える。


「はぃい~、なんでしょう十一郎殿?」

 突如大声で話しかけられた葵が、びくっと体を震わせた。


「狐くらいであれば、お茶の子さいさい、ということでしたな!」

 にこにこしながら十一郎が声を張り上げる。


「えええ、そこまでは言ってないですぅ! うまく術式がはまれば、たおせない相手ではない、って言っただけですよぉ!」


「ほら、葵どのもああ言っておりますし、ご安心なされませ」


「うーむ、さすが十一郎だな……。いや、いま言っても詮無き事。都に今から行くわけにもいくまい」


 あっ、と何事かをおもいだしたようなそぶりで、光乃はきりだした。

「あの、十一郎……。実は言ってなかったんだけど……」



 ◇


「ええええええ、狐退治じゃないんですか!?」

 葵の絶叫が夜の館に響く。


「し、しかもこれはどういう状況なんですかぁ!?」

 もくもくとたきあがる護摩とお香に、縄を巻き付けた太刀、真言を唱え続ける源建、死んだように横たわる信乃をみて、葵が大混乱におちいっているのが光乃にもわかった。


「いや、実は狐かどうかもよくわからなくて、というか神がかりなのかあやかし憑きかもわからないから、まずはそれを見分けなきゃってことで呼んできた……んだけど……」

 葵の顔がみるみる青ざめていくのを見て、光乃の言葉もしりすぼみに消えていく。


「あの、無理です、それ」


「え、無理って、どういうこと?」


「あの、だから無理なんですぅ、見破るのは」


 ついにモレイが激高する。

「てめーっ!! 無理もへちまもやってみなけりゃわからねえだろうが!!!」

 もとより自信なさげなふるまいを好まない彼女が、ここまで我慢できたのは奇跡かもしれない。


 うつむいて泣き出してしまうかと思われたのもつかの間、葵はキッと顔を上げて気丈にモレイをにらみつけた。

「無理なものは無理なんですぅ! 術式が全然ちがうんです!」


「まあまあ、モレイも葵さんも落ち着いてくださいな」

 やわらかい声で乃理香が二人を落ち着かせる。


「それで、葵さん、どうして無理なのか教えてくださらない? 私たち、どうしても武門の人間だから、陰陽道には明るくないんです。失礼があったらあやまりますから、ね?」


 葵はふぅー、ふぅーと自らを落ち着かせるように深呼吸すると、おずおずと口を開いた。

「何者かにとりつかれたとき、その正体を見やぶるのはそう簡単なことではないんです。けっこう準備とか、専門の人とか道具が必要なんです」


「……先ほどは声を荒げてすまなかった。いまからこの荘内にあるもので準備できないものだろうか」

 落ち着きを取り戻したモレイがあやまりながらきく。


「いえいえ、こちらこそ説明もせずに、無理とか言ってしまって……。まず、どうやって憑き物をみやぶるのか簡単に説明しますね」


 葵の話したところによると、憑き物を見破る、というのはそう単純ではないらしい。光乃は「印を結びながら呪文でも唱えて看破するのだろう」くらいに思っていたが、全然違うようだった。


 まず、ヨリマシ、というあやかし、ないし神を取り憑かせる専門の人が必要なのだという。今回の場合でいうと、信乃から一時的にそのヨリマシに憑き物を移す必要がある。

 次いで、ヨリマシに移した憑き物に対して、霊符をもちいた呪術を行使することにより、正体を看破する。

 そしてあやかし憑きの場合はヨリマシから追い出し調伏する。

 神懸かりの場合は、神からの御言葉を賜るのだという。


 想像していた以上の手順に、乃理香もモレイも無言になる。


 あやかしや神が人につく、ということはそんなに頻繁にあることではない。おまけに、武者というのは実体としてあるあやかしを調伏することが専門であるから、なおさら、この手の話の勘所がわからない。


 おずおずとモレイが尋ねる。

「その、ヨリマシとか、霊符ってのは今から準備できないものなのか?」


「うーん、それも、すみません……、やっぱり無理だと思います。まずヨリマシも、それを専門にする人が宮中にいるくらいで、なかなか代用が効かないんです。取りつかせやすく、かつ引きはがしやすい、という魂の性質を持っている人じゃないとうまくいかないんです」


 しかもそれだけではないという。

 この霊符というものが――そもそも陰陽師とは基本的には霊符でもってあやかしを調伏する人々だが――その場で臨機応変に作れるようなものではないのだという。

 霊符を作成する専用の紙や筆、墨、硯が必要なことに加えて、霊符自体の文様も、さらさらりと書き下せるような性質のものではない。


「実際、今回は妖狐退治だと聞いたから、攻撃力の高い霊符はもってきたんですが……。憑き物を見破るとなると、まったく別の霊符が必要になるんです」


 光乃は目の前が真っ暗になったかのように、くらくらとするのを感じた。

「葵どの、わかりました。こちらこそ、ちゃんと経緯を伝えずに呼んでしまって申し訳なかったです。ちょっとどうすればいいか、一緒に考えてもらえませんか」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る