第8話 阿尾奢法
あやかし憑きか神懸かりかをみわけることはできませぬが、と源建は続ける。
「ただ、拙僧も僧の端くれ。荒ぶるなにものかを一時的に鎮め、拘束することはおそらくできます」
「であれば、法師様に信乃を拘束していただき、その間に都の一条にある織路邸から陰陽師を呼んで、判定してもらうのがいいかもしれません。どれくらいの時間拘束できましょうか?」
「荒ぶるものの力にもよりますが、私一人でしたら、半刻(1時間)程度でしょう。
ふむ、と光乃が考えこむ。もしかすると、どうにかできるのではないだろうか。
「ううむ、急ぎ使者を使わして夜通し走らせれば、都まで往復して半日ほど。ですから、今から急ぎ陰陽師を呼べば、丑の刻(深夜2時)には陰陽師を呼べるやもしれませぬ」
「お伺いしますが、信乃様が、お荒ぶりになられたのはいつごろでしたか?」
「一回目、厠で殺されたのが、満月がちょうど天辺に上ったころだったかと思いますから、
「子の刻(深夜0時)。もし陰陽師が丑の刻(深夜2時)前後にくるのであれば、その間は一刻程度。それまでは私一人でもかろうじて抑えられるやもしれませぬ」
「では、今すぐ使者を大急ぎで都に使わして陰陽師を呼びましょう。そのうえで私と法師様で、陰陽師がくるまで信乃のあやかしだか神を鎮める、ということでどうでしょうか」
「はい、問題ないかと。あ、ただ一点。信乃様がかように荒ぶるですとか、光乃様が時をお戻りになられたとか、そういった話は大っぴらにはされないほうがよろしいかと」
光乃は、困惑した。母やモレイ、信乃に説明して協力してもらう気満々だったのだ。
「どういうことでしょうか。つまり、事情を説明したほうが家中の皆の協力も取り付けやすいですし、信乃を説得できれば格段に進めやすくなるかと思っているのですが」
おっしゃる通りですが、と源建は頷きつつも反論する。
「今のところ、我々の強みは光乃様の予知でございます。すなわち、光乃様が前回、前々回と過ごした状況に近づければ近づけるほど、状況の再現性が高まるのです。逆に、前回と変えるほど、例えば大々的に家中に周知するですとか、そういった形で変えますと、あやかし、もしくは神々の振る舞いが変わってしまう可能性があるのです」
うーむ、光乃はもっともだと唸る。
「法師殿のご指摘、ごもっともです。では郎党をひそかに使いにやるのみとしましょう。」
◇
源建とわかれ、急ぎ光乃は館に戻る。
馬を走らせていると、館の近くで見慣れた顔の郎党が馬の世話をしていた。
満道についていかずに留守居を任された一人、十一郎である。長年織路の家に仕えていた郎党で、光乃も幼少期からかわいがってもらっていた。
「あ、
光乃は馬上から声を張る。探していた、というのは本当のことではないが、折よく見つけたのは確かである。嘘でもない。
「おお、姫様。どうなされましたか。」
今でこそ家中の者は皆、光乃のことを『姫様』と呼ぶ。
だが、小さい頃は不気味がって遠巻きにしていて、『姫様』と呼んで親し気にするのはこの十一郎くらいだった。
「急ぎで都のお屋敷に陰陽師を呼びにいってほしいのです。家中に『夜討ちといえば
「ほほー、昨夜の狐のからみですかな。急ぎ、ということは今からでて夜通し駆けて陰陽師を連れてくると、こういうことでしょうか。」
「はい、まさにそのとおり。子の刻すぎ(深夜0時すぎ)には陰陽師をつれてきてほしいのです。十一郎殿のほかにはできないかと思いまして。」
「おおお、さすが姫様。ご慧眼ですな。国内屈指の武門、織路の家にあっても、夜通し馬を走らせてわずか半日の間に陰陽師をつれてくるという所業、この十一郎のほかにできるものはいませんぞ!」
あたりまえだが夜道は暗い。いかに満月の夜で、街道があるとはいえ、夜通し都まで馬を走らせて戻ってくる、というのは尋常ではない。
それをここまで自信たっぷりに言うのだから、確かにこの男、腕は確かなのであろう。
ところが
「さすがは十一郎殿! 頼りにしてます!」
と、光乃がいうのを、聞いたか聞かないかのうちに、もう十一郎は馬にまたがり走り出している。
実はこの男、夜討ちで名を知られるのと同じくらい、うっかりものでも名を知られていた。
「とびきりの陰陽師をたのみますよー!!」
去り行く背中にそう叫ぶことしか光乃はできなかった。
源建法師も、今頃必死で
今できることはやったはずだ。あとは、神頼みである。
◇
館が寝静まってから、だいぶ時間がたった。
光乃は信乃の寝所の几帳の裏に隠れ潜んでいる。襖障子の向こう側には源建が隠れているはずだ。
今がいったい何の刻か、もはやわからない。
段取りは源建法師と何度も確認した。あとは待つのみである。
過去二回の経験から、信乃にもうじき何かが起きる、ということは確信している。
だが、信乃がまさにとりつかれる瞬間をみたわけではないのだ。
果たして自分がうまいこと取り押さえられるのか。また、やや法術の面では頼りない源建法師がうまいこと鎮められるのか。
光乃は数刻前の源建法師の説明を思い返す。
◇
荘園中をまわってあつめたありがたい法具を前に、源建法師は重々しい表情で光乃に説明する。
「
「大日如来といいますと、天照大神の権現(仮の姿)というあの大日如来ですか」
「はい。厳密に言うと、仏法上は天照大神が大日如来の権現(仮の姿)ということになっておりますが……」
浅はかな知識で間違った返答をしたことに気づいた光乃は、恥で頬が紅潮するのを感じた。
「ともあれ、お借りしたこの太刀に縄を巻き付けたものを、不動明王が象徴、
そういう源建法師が手に携えているのは、汚れた縄でぐるぐる巻きにされた太刀と、薄汚れた仏像である。
倶利伽羅龍、というと、光乃も都で一度だけ目にしたことがある。
その時に見たのは輝かんばかりの絹布に描かれた、宝剣と炎のようにとぐろを巻く龍の姿であったはずで、いま源建法師が手に持っているものとはずいぶん様子が違った記憶がある。
また、木彫りの仏像のほうも、長年の信仰のたまものだろうか、彫られた部分がわからなくなっていて、河原に並んでいれば流木と見間違えようかという代物である。
「むろん、都で手にするような立派な法具があればそれに越したことはないのですが、なんらか”見立て”にできるものがあるだけでずいぶんと違ってくるものですから」
不安げな光乃の目に気づいたのか、源建法師は取り繕うように言う。
いや、と光乃はかぶりをふる。
そもそも、源建法師は自身が言っていたように、荘園の開拓だとか、新寺の建立に才を発揮する能治の僧であって、まったく畑違いのことをお願いしているのは光乃のほうなのである。それを、いやな顔一つすることなく奔走してくれる、その徳の高さをこそ頼みにするべきではないか、そう思ったのである。
「さて、私は襖障子の裏で観想(精神集中)しております。時がきて、光乃様が信乃様を取り押さえられましたら、何事か叫んでください。そうしましたら、襖障子をあけ放ち、法術をかけます」
◇
――ぐごぉぉぉ、ぐぎゅるるぉお
まだ、信乃のいびきが聞こえる。
もうじき子の刻になるのではないだろうか。
几帳の裏に潜んでいると、外の様子がわからないから、いま月がどのあたりにいるのかもわかりにくい。
――ぐごっ
信乃のいびきが止まるたびに、心の鼓動が止まるような心地がする。
――ぐごぉぉぉ、ぐぎゅるるぉお
再びいびきが聞こえだす。光乃の心の臓がふたたび動き始める。
――ぐごっ
また止まる。
”いや、今度は長い。いびきが止まってからもう二呼吸は立っている。”
――しゃなり
衣ずれの音が聞こえる。
光乃は、そおっと几帳の狭間から信乃を覗く。
”起き上がっている!”
心の臓が早鐘を打つ。
”いや、厠にいくだけかもしれない……。”
まだ、光乃は様子を伺い続ける。
とそのとき、まるで何かに操られているかのように、信乃はゆらりと立ち上がった。
その顔色は青白く、目は虚ろだ。体の動きもどこかぎこちない。
”あやかしだ!!”
ふっと、信乃の視線が几帳からそれた瞬間、神力を体に回しながら、光乃は几帳から飛び出した。
地を這うイモリになったかのように信乃の足にとびかかる。
足をつかんで引き倒すや否や、信乃の体の芯を抑えるように馬乗りになる。
必死で抵抗する信乃を押さえつけながら光乃は叫ぶ。
「源建法師!!いまです!」
がらり、と襖障子が開け放たれ、
「ノウマク・サンマンダ・バザラダン・カン!」
おそらくは真言かなにかなのであろう。源建法師が唱えた瞬間に、ぼうっと護摩に火がともる。
信乃も何事かをさっしたのか、ひときわ激しい抵抗をみせた。
手も足も、およそ人のものとは思えない角度にぐにゃりとまがり、光乃を弾き飛ばそうとする。
あふれでた神力で、信乃の目が赤く輝き、まるで狼が噛みつこうとするかのように口はいびつに捻じ曲がる。
「大日如来、聖なる本尊、
信乃のからだは、ますます暴れ、けいれんし、つられて床板すらも振動を始める。
源建法師はひときわ大声で叫ぶ。
「ノウマク・サンマンダ・バザラダン・センダ マカロシャダ・ソワタヤ・ウンタラタ・カンマン!」
何度も何度も、真言を唱えるたび、信乃の抵抗が弱まっていくのを光乃は感じた。
何刻もたったように感じた。朝にならないのが不思議なくらいなほど長く感じた。
やがて、信乃は一切動かなくなった。まるで死んだように横たわっていた。
よくよくみると、その胸がかすかに上下していて、
”いきてる”
と光乃は安堵した。
ふう、と一息つくと、光乃は体の力を抜いて、そのまま倒れこんだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます