2.平和になった、その先

「本当かっ!?」


 うずうずそわそわと前のめりになっているザッカリーに、アネットは思わず頬を緩めそうになるのをぐっと堪えて頷いた。


「はい。魔物も香辛料だけでは食せないと思ったのか、幸い、山椒の木は被害も最小限に留まりました。小麦の方はかなりやられてしまいましたが……」


 現地で見聞きしてきた風景や村人の話を思い返しながら伝えると、ザッカリーは少ししゅんとしたように、指を口元に当てて思案顔になる。


「そうか、小麦か。主食となる作物がやられて困るのは、人も同じだろう」

「村長さんは、『山椒は五年かかるが、稲は半年で収穫できる。備蓄もあるからかすり傷よ!』と仰っていましたが……それでもやはり、今年の収穫は激減しますよね」

「うむ。難儀であろうな」


 しばらく静かに目を細めていた彼は、おもむろに腕組みを解くと、大きく頷いた。


「よし、俺が直々にハジカミ村を訪ねよう。その『甘辛く焼いた麺』にも興味がある!」

「で、殿下御自らですか!?」

「他の者に向かわせては、俺が食せないだろう」


 冷たくなったものを持ち帰らせろとでもいうのかと、何故か怒られてしまった。

 貴方はこの国の王太子なんですよと問いただしたくなるのを、アネットはまたもぐっと堪える。


「それにこれは、道楽や物見遊山で言っているわけでもないのだ」


 ザッカリーは流麗な所作で椅子に座り直すと、傍らの台に書類を置き、空いた手を組んだ。

 そうして覗かせた瞳は先ほどまでと打って変わって、まさに『銀竜公』の光を帯びている。


「俺は今回の報告書で初めて、ハジカミの山椒が名産であることを知った――いや、正確には知識として持ち合わせてはいたが、このように美味な代物であることは知らなかった」

「無理もございません。王族の召し上がるものと、庶民が食すものとでは毛色が違いますから」

「俺が無知なだけならば構わぬ」


 ふっと自嘲気味に笑ってみせたザッカリーは、太陽の動きとともに差し込み方の変わった光を目で追いながら、だが、と温かい声を漏らす。


「国を作るものは民だ。なればこそ国が陣頭に立って、その土地々々の文化を広めねばならぬと考えている」

「土地々々の、文化……」

「そうだ。そしてこの国には、そういった俗世の情報がまるで足りない」


 そこでアネットは、銀竜公が見ているのは光ではなく、その向こう側、同じ空の下にいる民たちなのだと気が付いた。


「史書や交易の記録を読み解けば知識として蓄えられるが、それでは、山椒味噌の握り飯の味も、甘辛く焼いた麺の味もわからない。兵士の間で遠征先の絶景などが話題に上るが、結局その感動は、現地に赴けた者しか知り得ないものとなってしまう」

「それも、無理もないことかと存じます。今は魔物の影響もありますから、戦闘の心得がある者でなければ遠出もままなりませんし」

「その通りだ。お前の言う通り『今は』な」

「……?」


 彼の意図を量りあぐねて、アネットはきょとんと小首を傾げる。

 ザッカリーはすっくと立ちあがると、祈るように、あるいは誓うように拳を握りしめた。


「俺が見ているのは、世が平和になった、その先だ。せっかく道が開けても、そこに標がなければ何も変わらないだろう。魔物の討伐は父王に任せ、俺はこの大陸全土に標を立てたいと考えている」

「標を……ですか」

「そうだ。美しい景色、美味い食べ物、根付いた伝統や祭。そうした情報を編纂して、国の観光誌を発行する」


 その第一歩がハジカミ村の山椒だと、ザッカリーは微笑んだ。


「だからアネット、お前を呼んだのだ。この報告書はまるで実際に食したかのような、素晴らしい出来栄えだったからな。どうか俺の目的のために、力を貸してはくれないか」

「ザッカリー殿下……」


 アネットは呆気にとられていた。

 常日頃から『お団子聖女』と笑われていた趣味が、認めてもらえた。

 私が幸せだと感じることが、いつかの未来、誰かの幸せを作れるかもしれないと教えてもらった。


 それは、じわりと殿下の御姿が滲んでしまうくらいに、嬉しいことだったから。


「私で良ければ、喜んで」


 胸を張って頷くことができた。


「そうか、ならばすぐにでも出立するぞ。案内あないしてくれ!」

「えっ、今すぐですか!?」

「ああすまない、気が逸っていた。出立の準備をしてからまた俺を訪ねてくれ。昼食を馳走した後、ハジカミ村へ向かおう」

「えっ、ええっ!?」


 やるとは言ったものの、まさか今日から動くことになるとは想像だにしていなかったアネットは、そういえば相手は銀竜公だったっけと、その強引さに理由を付けて自分を納得させた。


「楽しみであるな、山椒料理!」

「これお仕事ですよね!?」


 道楽や物見遊山ではないと言ったのはどの口か。はて本当に相手は銀竜公だったっけと困惑しながら、慌ただしく教会に戻るのだった。






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『お団子聖女』ですが、なぜか『銀竜公』こと王太子殿下と世界一周グルメ旅へ行くことになりました。~周囲から婚前旅行とか言われているのですが、これってお仕事ですよね!?~ 雨愁軒経 @h_hihumi

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