14(終).隣を歩きたい

 歩いたり走ったり、そして座ったり立ち上がったり。脚を使う動作を一通り学び終えた頃、初めてから丁度二時間程が経過していた。


「じゃあ最後、片足で立ってみて」


「ほっ。 ……どう? 結構良い感じじゃない?」


 左足を上げてバランスを取る。完全に制止する事はまだできないが、倒れずにキープするだけならこのまま何秒でもできそうだ。


「ふむ。これならもう十分陸でも動けるわね。トレーニングはこれでおしまいにしましょうか」


「よっし! ありがとう、アフテプ」


「お二人とも、お疲れさまでした。ではこれより、ノカ様に取り組んでいただく試練の内容をお伝えいたします」


 結局、フリットとの用事については話していない。彼からティナへ話を通しておくという話であったからお言葉に甘えたという部分もあるが、切羽詰まってもいないのに試練の内容に口を出すのは嫌だったからという理由もある。


「……少々特殊な内容になってしまうのですが、よろしいでしょうか?」


「え? はい」


 しかしながら、発せられた言葉は予想から外れていた。

 何やら事情を抱えているかのように深刻な表情を浮かべたマヨは申し訳なさそうにしながら僕達二人と目を合わせた。


「旅路をゆく中でミプル様を見つけた際には、ここまで連れて帰ってきてほしいのです」


 アフテプへ試練を伝えた時のように図鑑を取り出す事も無く、ただただ彼女は真剣な声で告げた。


「……ミプルって、"あの"ミプルさんの事ですよね」


「はい。手段は問いません」


 冷静でありながらも力強く発せられたその言葉がズシリと響く。

 アフテプの方へ視線を向けると彼女も真剣な顔で話を聞いていた。


「彼は今人間として陸で生きている。彼の行いは…… 恐らく当時のあの地の法では罪に問われる事は無かったのだと思います」


「……はい」


 セスファリナではどうだったのかは分からないが、ドルテの記憶を見る限りでは彼が上陸した地域だとあり得る話だ。


「しかしながら、海底王国の法で見るとあの行為は立派な同族殺しです。決して許されてはいけない。我々の法で裁く必要があります」


「はい」


「ですので、どうか…… 連れ帰る事は叶わなくても、居所の手掛かりだけでも掴めた際には伝えてほしいのです」


「分かりました」


 僕としても、お咎め無しであの出来事を終わらせるのは気分が悪い。

 

「……期限は?」


「無期限です」


「む、無期限っ?」


 思いがけない言葉に驚きの声を上げるとマヨは説明を続けた。


「言い方を変えると、ノカ様への試練を免除する代わりにお二人に依頼をしたい、という事になります」


「……」


「わざわざこの依頼の為に動く必要はありません。ただ、もし旅の途中でミプル様の手掛かりを掴んだ際には必ず伝えて頂きたいのです」


「分かりました。でも『依頼の為に動く必要は無い』って、急がなくてもいいんですか?」


「はい。 ……貴方達の旅の妨げにはなりたくない」


 俯いたマヨが胸の前で手を握る。


「しかしながら、ミプル様の捜索において頼れる者が少ないのも事実…… なので片手間程度でもご助力頂ければと……っ」


「わかった、わかったわよ。泣きそうな顔しちゃってもう」


 一歩前に出たアフテプがマヨの頭を撫でる。


「遠慮なんかせず私達に任せなさい。五発くらいぶん殴って連れてきてやるから。ノカ、いいわよね?」


「もちろん。マヨさんはそれまで準備をしていて下さい。方々に話をつけておいたりとか、色々」


 涙を浮かべたマヨが僕たちの顔を見上げる。


「仮に捕まえるまでに陸の時間で百年掛かったとしても、海底こっちではたったの一年と二か月程度しかありません。忙しくなるだろうけどお願いできますか?」


「──はっ、はい! よろしくお願いします!」


 目元を拭って頷いたマヨに笑顔を返す。そんな僕の顔を意外そうに見たアフテプが元の立ち位置に戻る。

 そして仕切り直すように咳払いをしたマヨが、再び僕らへと確認をした。


「以上がノカ様、ひいてはアフテプ様にもお願いしたい事なのですが…… 何か質問はございますか?」


「私は特に」


「僕もありません、が…… もしかすると後になってから訊きたくなる事もあるかもしれません」


「ふふ。その時は魔法にてやり取りをいたしましょう」


 いつも通りの微笑みを浮かべたマヨは僕達を立体魔法陣で包み込んだ。


「では、これより貴方達を海岸へ飛ばします」


 魔法陣に次々と単語が浮かぶ。まばゆい光の中で僕と目を合わせたアフテプが微笑みを浮かべた。


「陸は自由で、暖かくて、明るい場所です。 ……しかしながら、影では暗く凄惨な出来事が起きている事も事実です。くれぐれもお気をつけて」


「マヨちゃんも元気で過ごすのよ。きっとまた会いに来るから」


 二人揃ってマヨを見据えると、彼女は小さく手を振った。


「ふふふ、ありがとうございます。良い旅を」




──────────


 足首までを海水に浸し、透き通る海の中で細波に揺れる海草を眺める。

 身体を隠すのには心許ない。というのは魚だった頃の感想で、今のこの身体、この目の高さからそれを見つめた感想は今の僕ではまだ上手く語ることが出来ない。


「んーっ、はあっ。ねえノカ、陸の空気とマヨちゃんが作った空気、ちょっと違うと思わない?」


「え?」


 隣に立ったアフテプが水平線を眺めて両腕を広げて胸を反らす。


「こう、ほら…… 大きく息を吸ってフウッと吐くと気持ちいいのよ」


「曖昧だね」


 水面越しの貝とヒトデ。そして浅瀬を泳ぐ小魚たち。

 僕にとって彼らは仲間だが、彼らにとって今の僕は"仲間"とは別の生き物に見えているのだろう。


「でも、悪くないというか…… うん。分かるよ」


「ね、草の香りがして暖かい。海の底には無い感覚よね」


「うん」


 アフテプが僕の隣で水平線を眺める。


「……あのさ」


「なあに?」


「思い残した事は無い?」


 そんな彼女に質問を投げかける。

 陸へ出る事は彼女自身が望んでいた。その事を象徴するかのように今に至るまでの彼女の振る舞い全てに躊躇が無かったように見えた。

 しかしながら彼女には家族がいる。本人の希望と周囲の諦めもあって今は離れて暮らしているが。

 それでも彼女の後ろ髪を引き得る者、あるいは物が多少なりとも存在している可能性はある。


「これと言って思い浮かばないわね。冒険への期待しか無いわ」


「家族に陸へ出る事を伝えていないじゃないか。それはいいの?」


「いいのいいの。お父様には『放任主義でよろしく』ってずっと前から言っているもの」


「放任主義って言っても黙って出て行くのはちょっとまずくない……? いいのかなあ」


「いいのよ、これで」


 踵を返してバシャバシャと砂浜まで歩いたアフテプが魔法で靴を乾燥させながら僕の方を向いた。


「言い方は悪くなるけど、海底王国を運営するにあたって私が居るかどうかなんて最早重要じゃないのよ」


「そういう事じゃなくて……」


 僕も砂浜へ上がり、アフテプの正面に立った。


「寂しさとか悲しさとか、そういった感情は無いの?」


「寂しさ、悲しさ…… もしかしてノカはそういった物を感じているの?」


「感じて"いた"」


 頷きを返すとアフテプは眉をひそめて考えるように顎に手を当てた。


「海底の時間の流れは極端に遅い。家族や知り合いが"彼らの時間"で数週間を過ごす間に僕達だけが大人になってしまう」


「……んー」


「単純に故郷を離れる不安もあったけど、僕達だけが変わってしまう事に関して色々と考えていたんだ」


 正直、決意を固めた今でも『恐れはない』と言い切る事は難しい。『アフテプと共に歩きたい』という気持ちを以てそれらを受け入れる事は出来たが、変化が起こる事は紛れもない事実だ。


「……確かに、私達はこれから海底の皆とは全く異なる時間の中で生きる事になるのね。不安になる気持ちも分かるわ」


 僕の言葉を深く受け止めるように頷いたアフテプが微笑みを浮かべながら僕の手を取った。


「ノカ、今は平気?」


「うん、僕は大丈夫。 ……余計な事言っちゃったね。不安にさせたらごめん」


「全然大丈夫よ」


 そのまま魔法陣を浮かべたアフテプは僕の目を心の奥まで見通すように真っ直ぐに見据えた。


「あのね、ノカ。私の気持ちとしては、貴方が私と同じ時間を過ごしてくれるならそれで十分。他に気がかりな事なんて何も無いの」


「えっ……?」


「ノカが一緒に行くって心に決めてくれたその瞬間に、私の心残りは全て消えたのよ」


 笑顔と共に語られた言葉の真意を尋ねる事も出来ないまま、アフテプが魔法陣に単語を詰めてゆく。


「『恐れないで』とは言わない。でも、私の心配はしなくても大丈夫だからね」


 魔法が発動する。視界が光で塗り潰される間際、ふとアフテプの微笑みに重なって"何となく記憶に染み付いている笑顔"が見えた。

 それは面影などという曖昧なビジョンではなく、確かに"私"の記憶にある光景だった。


はどんなことがあっても、いつまでも貴方と一緒に居るつもりだから』


 消毒液の香り、白い天井、スリッパを履いた足音。

 アフテプの言葉に声が重なる。この言葉も、他の記憶と共に確かに存在している。

 "私"の絵を描いた夕暮れ時、そして力の入らなくなった"私"の手を握ったあの瞬間。

 短期間に二度もかけられた言葉だ。


『……うん』


 たった一言の相槌に込めた感情の全てを、きっと彼は見抜いてくれていたのだろう。

 だから、それ以上彼は何も言わなかった。ずっと言いたかった、そして"私"にも言ってほしかったであろう言葉をも心の奥に閉じ込めて。


「──だから改めて訊くけど、私と一緒に来てくれるわね?」


 記憶に無い言葉が発せられたその瞬間、幻のような声と顔が消えて周囲の風景が賑やかな街並みに変わった。


「付いて行くよ、どこまでも。僕の行きたい所にも付き合ってよね」


 あの日、言いたくても言う事が叶わなかった言葉を力強い頷きと共に伝えるとアフテプは微笑みを浮かべながら僕の手を引いて歩き出した。


「もちろん。楽しい旅にしましょ」


 透き通るような青の空から吹く風に髪の毛が揺れた。その毛先から、アフテプに引かれている僕の手へと視線を移す。


「アフテプ」


「ん?」


 『隣を歩きたい』

 その想いを以て大股でアフテプに追いつき、隣を歩き始めた。


「これからもよろしく」


「何よ、改まっちゃって」


「いや、その…… 僕にとっては人生の転機みたいな日だから……」


「ふふ、そっか。そういう事なら──」


 立ち止まったアフテプが改まって僕に向き直る。


「これからもよろしくね、ノカ」


 繋いだ手を持ち上げた彼女は照れくさそうに笑った。

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人魚姫と前世を見たサバ タブ崎 @humming_march

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