ラ、ラ、人生
馬村 ありん
ラ、ラ、人生
孫娘がスフレの一片をスプーンですくい取って、輝明の口元に運んだちょうどその時、輝明の頭の後ろで銃口が火を吹いた。突然『じいじ』が椅子から倒れて地面に崩れ落ちたのを見て、孫娘は大きな瞳をパチクリさせた。パナマ帽を目深に被った襲撃者のこわばったまなざしが孫娘に降り注いだ。
パーティ会場に集まった群衆はパニックになって叫び、互いにぶつかり合いながら逃げ回り、そのせいでテーブルの上のシャンパンが横倒しになってテーブルの上に水たまりを作った。
慌ただしくなった会場の雰囲気におそれを成した孫娘は泣きじゃくった。
襲撃者は拳銃を投げ捨て、革手袋を脱ぐと、孫娘のその柔らかな髪をなでた。今では無数の銃口が自分に向けられているのを背中に感じながら、襲撃者は両手を上げた。
「ご自分が何をなさったのか、分かっていらっしゃいますね?」
輝明の護衛のひとりが言った。その額には汗が吹き出ていて、唇はぶるぶると震えていた。
「分かっているつもりよ」
襲撃者は言った。ロールスロイスの後部座席に座っている時と寸分違わない優雅な声だった。
「なぜこんなことを。奥様」
フランス窓越しに差し込んでくる日光がまぶしい。奥様と呼ばれた女は力をゆるめてほほえみを浮かべた。
輝明と響子が結ばれたのは今から三十年ほど前のことだった。
極道の娘に生まれた響子は、自分がどういう役割を演じるために存在しているのかをその時は自覚していたつもりだった。
自分こそは政略結婚のコマであり、反目しあう組同士をひとつに結びつけるための
輝明は想像していたよりも紳士的な男であった。武闘派で、血も涙もない男だと聞いたが響子には優しかった。結婚生活も悪くないと思った。
もちろん、苦労がなかったわけではない。輝明の浮気癖には手を焼かされたし、優しさの裏に垣間見える冷淡さにゾッとさせられることもあった――忘れがちだが、この男は何人も殺しているのだ。
それでも娘ができ、孫娘ができ、お互いに歳を取るとどこに出しても恥ずかしくないくらい落ち着いた夫婦関係になった。
娘が生まれ、孫娘が生まれてから、輝明は女性に対して優しくなったように見えた。
孫娘についてはいつも心配をして、誰かに狙われるんじゃないかと疑心暗鬼になった。
窓という窓に鉄格子をつけ、外からの侵入を防いだ。また、警備を強化した。常に屈強な男たちが孫娘のそばについた。
「手を出す奴がいたら殺してやる。正義を持ってな」
輝明の口癖だった。
孫娘の将来を思いやり、女性が生きやすい社会を作るべきだと主張した。
他女性団体を支援していたから活動的な女性たちからの信頼を得た。
輝明に追随するように、響子も女性団体と交流を深めた。ヤクザの男社会で道具として生きてきた響子にとって、女性の自立を訴える彼女たちとの交流は新鮮なものだった。
こんな生き方もあるのだと強く感銘を受けた。彼女たちがうらやましくなった。
ある日、懇意にしていた女性のひとりが集まりに来なくなった。心配した響子は女性の宅まで駆けつけると、その女性はひどく傷を負った体で響子に応対した。
何があったのかと問い詰める響子に対して、口を紡いでいた女性だったが、やがて話し始めた。
彼女はレイプされたのだ。
誰に?
輝明だった。二人きりになった時に、獣性をむき出しにし、襲いかかってきたのだという。
彼女は懸命だったから、襲われた時に精子と輝明の残した毛髪を取っておいていた。
だが、警察は相手にしなかった。なにせ相手はあの泣く子も黙る前田組組長なのだ。
輝明をおとしめようという誰かの陰謀なのではという思いが一瞬過ったが、それなら誰の陰謀なのか?
その後、話を聞くにつれて被害者がただ一人ではないことを響子は知った。その数はあまりに多かった。
知らぬ存ぜぬを貫くことも響子にはできた。
家族にあれだけ愛情深い男が、家族以外を犬畜生として扱う。そこに矛盾はないのかも知れない。その男にとって家族が全てなのだとしたら。
だが、被害者のなかに未成年や身体障害者がいると知った時、響子は自分が動かねばならないと思った。
孫娘の将来を思いやり、女性が生きやすい社会を作るべきだ。
ええ、その通り。
手を出す奴がいたら殺してやる。正義を持ってな。
ええ、その通り。
そうして孫娘のパーティの日を迎えた。
死ぬ前、輝明は機嫌よく鼻歌を口ずさんでいた。
ラ、ラ、人生。
生きることを謳歌する前向きな歌詞だった。
確かにこの人は楽しく生きたのかも知れない。
だが、ちょっと楽しみすぎた。
人は、自分の言葉で自分を律さなくてはいけない。だが、暴力で守られているがゆえに、この人はその意識が欠落している。
それでは生きている資格がないと響子は思う。
輝明が一番無防備なときに、引き金は引かれた。
おしまい
ラ、ラ、人生 馬村 ありん @arinning
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