終話

 占い師サルヴィエの件が露見し、ドミトル教授ことゾルゲル伯爵は、爵位を返上することとなった。


 ルスランから聞いた話では、ドミトル元教授はその後、母であるカタリーナの実家で隠遁生活を送ることになったらしい。どうやら初老のメイドも一人ついていったとのことだった。


 その他のメイドたちについては、監査局次官のペトラが、望んだ者には全員再就職先を確保してくれるという。「エリートに二言無し」と言ったペトラに任せておけば大丈夫だろう。

 

 退学になった学生たちの処遇についても、大学との間で話し合いが進んでいるらしい。すでに復学が決まった者もいるとの話で、アンナももしかすると大学へ帰ってくることがあるかもしれない。

  


 そしてココは、占い師事件の事情聴取を終え、大学食堂の料理人として復帰することが決まった。

 ノアもミランダおばさんも喜んでくれたが、ココは仕事に復帰する前に一週間猶予をもらうことにした。

 一度、実家に帰りたかったのだ。

 手紙のやり取りはしていたから弟妹たちは元気だと思うが、この機会に顔を見ておきたかった。

  



 ココは帝都の果物屋でメロンを買ってから、実家へと向かった。


「ただいま」


 恐る恐る玄関の扉を開けると、ヘーゼルとリリ、ララが飛び出してきた。

 が、しかし急に足を止め、みんな目を見開いたまま動かない。


「どした? お姉ちゃんが返ってきたの嬉しくない?」

「いや、姉さんが帰って来たのは嬉しいよ。だけど……」


 ヘーゼルがココの後ろを指さす。


「何でその人も一緒なの?」

「相変わらず弟君は冷たいなあ」


 言われた本人は、あっけらかんとした声を出している。


「そんなに余所余所しくしなくても。もう、おさまって呼んでくれてもいいんだよ」


 それを聞いたヘーゼルは絶句したまま、石化していた。すでに頭の先から砂になりはじめている。

 ココは慌てて復活の呪文を唱えた。


「もう、ヘーゼル。一々、冗談を真に受けないの。このお医者さんはちょっと頭がおかしいって知ってるでしょ?」

「ちょっと君、今聞き捨てならないことが聞こえた気がするんだけど」

「ほら幻聴まで聞こえてるみたい」

「おい、幻聴じゃないぞ。君たちは聞こえたよね?」


 ルスランは双子の妹に同意を求める。


「おにいさま。だいじょうぶだよ」

「へんな声がきこえても、おにいさまはおにいさまだから」

「え、あれ?……俺がおかしいのか?」


 軽く混乱しはじめたルスランは、診察カバンだけ持ってフラフラと外へ出かけて行った。




 ヘーゼルは、ルスランが出て行ったあと、しばらくして正気を取り戻した。

 そして荷物を整理していたココに尋ねる。


「姉さん。本当のところ、あの人何しに来たの?」

「派遣診察の宿代わりに、うちに泊めて欲しんだって」


 ルスランに帰省の相談をしたところ、彼もちょうどこの町へ診察に行く予定があるので、家に泊めてくれと言いだしたのだ。その代わり、実家に帰る往復の汽車代はココの分も出してくれるというので了承したわけである。

 



 ルスランは夜になっても帰って来なかったので、ココたちは久しぶりに姉弟水入らずで夕食をとった。やはり実家で喰べるご飯は、他では味わえないものがある。


 そして食後は、お待ちかねのメロン入刀に取りかかった。

 大きめの包丁を用意し、まずは真っ二つに割る。直後、中から果汁があふれだし、芳醇な香りが鼻をくすぐった。思わずよだれが落ちそうになるのをこらえ、真ん中の種を取り除いて手早く八等分に切り分ける。


 帝都では、メロンに生ハムを乗せるという豪奢な食べ方もあるようだが、最初はまずそのまま頂くのがメロンへの礼儀だろう。


「んまんまー!」


 リリとララが声をそろえる。

 ココも彼女たちに遅れてスプーンを口に入れる。


(んむまあ!)


 姉弟そろって食べる初めてのメロンは、とても甘くて、ほっぺたが落っこちそうなくらいおいしかった。



 


 弟妹が眠ったあと、ココは一人、家の屋根に登って遠くに見える海を眺めていた。

 頰を撫でていく潮風が心地いい。

 今まで、港町での暮らしなんて辛いことばかりだったと思っていたけれど、こうして久しぶりに帰ってみれば、それでもやはり郷愁というものを感じた。


「今夜は明るいな」


 屋根の下から声が聞こえたと思ったら、ルスランが梯子からひょっこり顔を出した。どうやら診察を終えて帰って来たらしい。診察鞄なんて置いてこればいいのに、鞄もそのまま持って屋根をよじ登ってくる。

 ルスランはココの隣に座って、そっと鞄を脇に置いた。


「一人で、何を考えてたんだ?」

「……ブルーノさん元気かなって」

「本当に?」

「まあ、嘘ですよね」


 ややあって、二人とも吹き出した。

 ひとしきり笑うと、ルスランは診察鞄からなにやら取り出す。

 出てきたのは、蓋つきのミルクポットだった。


「そんな物持ち歩いて診察してるんですか」

「いや、これは今さっき下で入れてきたんだよ」


 ルスランがミルクポットの蓋を開けると、湯気が立ちのぼった。

 その湯気の匂いをかいだココはハッとする。


「まさか、これって」

「ドミトルの燕麦オートミールだ」


 神ですか。神様だったんですか。と心のなかで唱えながら、ココはミルクポットを受け取る。しかも鞄の中からカップも出てくる。

 二人は、屋根の上で、念願のドミトル燕麦オートミールを頂くことにした。


「ああ……」


 一口、燕麦オートミールを食べたココは、思わず後ろに倒れそうになった。ルスランがさっと支えてくれたからよかったが、でなければ祖母の二の舞どころではなかった。

 でもそれくらいおいしい燕麦オートミールだった。

 このほのかな甘みは他の燕麦オートミールとは全然違う。まさに宝石級のおいしさだった。


「そういえばドミトル教授の件、君は本当にあれでよかったのか?」


 ココはドミトル教授の屋敷から大学へ戻ったあと、ルスランから監査局のことやペトラのことを聞いた。

 そして、ドミトル教授の検挙については、ペトラの手柄ということに収まっていた。


 ココが、そうしてくれと頼んだのである。


 料理人がこんなことで手柄を立てても何の肥やしにもならない。ならばペトラに手柄を譲ったほうが彼女も監査局での立場を保てるし、ルスランも監査局に貸しをつくることができるだろう。


「まあまた、ペトラさんにはご飯食べに来てもらいますよ。彼女けっこう稼いでそうだから、期待できると思うんですよね」


 ココはそう言って、うっしっしとほくそ笑む。


「いいカモを捕まえたわけか」

「妹たちが嫁に行くまでは、まだまだ稼がないといけませんからね」  

「……君自身は、嫁に行く気はないのか?」


 言われてココはふむと顎をなでる。


「その発想はなかったですけど、誰かいい人がいたら考えてもいいかもしれないですね」

「そうか。じゃあ考えておくといい」


 とルスランが立ち上がる。ココは座ったまま彼を見上げた。


「でも、しばらくは大学食堂でお世話になるつもりなので、安心してください」


 言いながらココは、すでに大学へ戻ってからのことを考えていた。

 今度は一体どんな不思議な食べ物に出逢えるだろうかと、そのことで頭がいっぱいになっていた。

 だからだろう。

 ルスランが隣で渋い顔をしていたことにも、全く気づかなかったのは。

 

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元虐げられ料理人は、帝都の大学食堂で謎を解く 秋野すいか @akyu_2022

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