こども部屋

 カタリーナは、以前ルスランとその助手が訪れたときから、いつかこうなるだろうと思っていた。

 だからルスランたちが現れたと知ったときも、驚きはしなかった。

 

「まずは、あなた方が探していらっしゃるものをお見せしましょう」


 カタリーナは、ルスランとペトラを連れ応接室を出た。古参のメイドも一人ついてくる。四人はカーテンの閉め切られた暗い廊下を進んだ。




 カタリーナが来訪者二人を案内したのは、今はもう使用していない子ども部屋だった。

 未だ古いベビーベッドや、子ども用の装飾がそのままにしてある。常に綺麗に掃除させ、いつでも新しい子を迎えられるようになっていた。しかし、それはもう永劫叶うことはないだろう。


 カタリーナは部屋の奥に進んで、壁際に置いてある、しつらえの良い大きな箱の前で跪いた。彼女がその箱を開けると、中に入っているのは子ども用の玩具。それから、本来ここにあってはいけない物の数々だった。


「検めさせて頂きます」


 ルスランとペトラが、明らかに子ども用の物ではない手帳や時計を手に取り、記載されている名を確認していく。その隣で、カタリーナは静かに、箱の中に入っていた小さな木馬を拾い上げた。


(懐かしいわね)


 感傷にひたる気はない。そんな権利がないことは自覚している。だが思い出というものは、彼女の意思とは裏腹に、滔々と溢れてきた。


「あの子に伯爵という立場は、重すぎたのでしょうね」


 カタリーナは誰に言うでもなく、言葉をこぼした。


 彼女の長男が伯爵位を継いだのは、急な事だった。本来継ぐはずだった次男が急死し、すでにドミトル姓を名乗っていた長男を呼び戻した。


 それが間違いだった。


 幼少期に貴族の身分を捨てさせられた者が、いきなり爵位を継いだとてうまく振る舞えるはずがない。呼び戻された長男は日に日にやつれ、溜まった鬱憤のはけ口をメイドたちに求めた。


 しかし、メイドへの仕打ちは、ある頃から落ち着きを見せはじめる。

 カタリーナは正直ほっとした。長男もやっと、伯爵という立場に慣れてきたのだろうと思ったのだ。


 しかし、実状は違った。


 最初に異変に気付いたのは、古参のメイドだった。ゾルゲル伯爵が子ども部屋に何か隠しているようだ、と言うのである。


 カタリーナはすぐに子ども部屋に向かい、箱の中を確認した。すると知らない名の書かれた物がいくつも詰め込まれていた。最初は、学生たちから贈られたものなのだろうと思った。思いたかった。だが時を同じくして、ある噂がカタリーナの耳に入る。大学に出没した占い師が学生たちをたぶらかし、盗みをさせているという噂だ。


(でもまだ、あのときは確信がなかった)


 だからカタリーナは、そのまま見てみぬふりをした。本人にも何も聞かなかった。あのときはそれが一番いいと思ったのだ。せっかく長男の心が穏やかになってきたのだがら、余計なことを言って機嫌を損ねたくなかった。

 しかしこの判断が、事態を悪化させることとなった。

 占い師の件は、大学で大きな問題となり、警吏が動き出す事態になっていた。その直後、屋敷では、また長男がメイドたちへひどい仕打ちするようになった。

 カタリーナはここまできてやっと、自分の愚かさに気づいた。


◆ ◆ ◆

 

 ルスランとペトラは、学生や講師たちの名が書かれている物品を一通り回収し終え、立ち上がった。

 すぐ隣には、木馬を持ったまま立ちすくんでいるカタリーナがいる。何を考えているのか、彼女の虚ろな瞳は、ここではないどこかを見つめているように見えた。


 カタリーナが盗品のありかを知っていたということは、彼女もドミトル教授の行いにも気づいていたのだろう。だとすると。


「以前カタリーナ様が私をこの屋敷に呼ばれたのは、本当は、こうして彼の罪を暴かせるためだったのではないですか?」


 ルスランは、なぜカタリーナがわざわざ自分を屋敷へ呼んだのか、ずっと引っかかっていた。単に医者を呼びたいだけなら、自分でなくとも良かったはずだ。公認医師は他にもいる。それでも自分を選んだのは、自分がドミトル教授の近くで働いている者だったからではないか。自分なら、きっと占い師がドミトル教授であることに気づいてくれると。


「……どうでしょう。私は、試していたのかもしれません。あなた方にも気づかれないままなら、逃げ切れるのではないかと。心のどこかでそう思っていた気も致します」


 カタリーナは木馬を見つめたまま呟くように言った。そんな彼女にルスランが言葉をかけようとしたとき、初老のメイドが、カタリーナを庇うように立ちはだかった。


「どうかこのことは、あなた様の胸の内に閉まっておいて頂けないでしょうか。確かに坊ちゃまのなされてことはいけないことかもしれません。しかし、坊ちゃまもお可哀そうな方なのです。たくさん辛い思いをされてきて、今も伯爵という慣れない立場に、少し混乱されているだけなのです。それで少しばかり行き過ぎたことをしてしまっただけで……。何ならわたくしが代わりに罪を被ります。ですから坊ちゃまと奥様のことは、どうか……」


 初老のメイドは涙ながらに、ルスランに訴えた。

 

 ドミトル教授の幼少期が不遇だったのは想像に難くない。伯爵として戻ってきてからも、庶民として生活していた彼が、貴族社会でどのように迎えられたかは容易に想像できる。


(きっと眠剤をもらいにきたのも)


 何もホフマン教授の歌だけが原因ではなかったのだろう。あの頃はちょうど、大学の警備が厳しくなって、サルヴィエが姿を消していた時期だった。


 つまりサルヴィエは自由に活動することができなかった。ドミトル教授はサルヴィエになることで、自分の傷ついた自尊心を回復させていたのだ。ならば突然それが出来なくなった彼は、大いに戸惑ったことだろう。おそらくメイドへの態度も悪化したに違いない。それでも眠れず、眠剤を求めて自分のところへ来た。


 ルスランも彼に同情する部分はある。「与えられた身分」と「望む生き方」との乖離。これがもたらすものを、ルスランは知っていた。

 でも、だからといって。 


「彼の罪を見逃すことはできません。どんな理由があったとしても、メイドの皆さんや学生を虐げていいわけではない」


 初老のメイドは涙を拭った。カタリーナが、彼女の背をそっとさすってやる。


「覚悟はできています。あの子と一緒に、わたくしも連れて行ってくださいませ。知っていて何もしなかった、わたくしにも責がございますから」



◆ ◆ ◆


 

 ココの目の前には、罵詈雑言を放つドミトル教授の姿があった。

 もうココが何も言わずとも、ドミトル教授はもはや壊れた玩具のように、のべつ幕無く、ココへの罵倒を続けていた。


 一体どれくらいこうしているのか分からなくなってきた頃、ようやく食堂の扉が開いた。

 そこにはルスランと、カタリーナの姿。

 ルスランは持っていた袋の中から、手帳のようなものを取り出す。

 それを見たドミトル教授は、こぼれ落ちんばかりに瞠目した。


「貴様、まさか……」

 

 ルスランが口を開くより早く、カタリーナが窓辺に近寄りカーテンを開け放った。

 瞬間、ドミトル教授が部屋の隅へと逃げていく。

 カーテンを開け放った窓からは、夕陽が部屋の奥まで差し込んでいた。


「サルヴィエが盗んだ品は、全て回収しました」


 ルスランのその言葉に、ココは体から力が抜けるのが分かった。

 そしてルスランの後ろから、ペトラが部屋に入って来る。


「今屋敷の電話を借りて監査局に報告してきました。最寄りの詰め所から警吏を派遣してくれるそうです」


 それを聞いたドミトル教授は、部屋の隅でうずくまったまま、首だけをココの方に向けた。


「謀ったな小娘。これでお前は勝ったつもりかもしれないが、こんなこ――」


 と教授の言葉は途中で遮られる。ココの両耳を誰かが塞いだのだ。

 見上げると透き通るような紺碧の瞳が、ココを見降ろしていた。


 「もういい。もう、聞かなくていい」


 彼の唇は、そう告げていた。




 警吏はすぐに屋敷へ駆けつけてくれ、押収品とともに教授を連行していった。カタリーナもそれに付き添っていく。


「さあ、俺たちも帰ろうか」


 ココは頷いて椅子から立ち上がろうとした。のだが。


「どうした?」

「あ、えっと……」


 緊張が解けた途端、足が震えて力が入らなかった。

 あれだけ威勢のいいことを言ってこの役回りにしてもらったのに、この様とは。

 ココは悟られまいと顔に歪んだ笑顔をはりつけた。


「私は少し休憩してから行きますので。どうぞ構わず。皆さんお先に」


 するとルスランが小さく嘆息する。そして肩と足に手が伸びて来たかと思うと、ひょいと体を持ち上げられた。


 ノアから借りた小説の挿絵で、こんな担がれ方を見たことはある。見る分には楽しそうだったけれど、実際にされてみると甚だ居心地の悪いものであった。

 ペトラは顔を少女のように輝かせてこっちを見てくるし、周りのメイドたちは見てはいけないものを見るような目でチラチラ視線を向けてくる。

 なんだかもう、ほふく前進でもした方がましだと思える。


「おろし……」


 途中まで言いかけて、しかし、ココは口をつぐんだ。

 気分的には快適とは言えないが、体の方はというと、とても楽だ。気合で誤魔化してはいるが、正直もうへとへとだった。

 今くらい、甘えさせてもらってもいいのかもしれない。


「じゃ大学までお願いできますか? あ、料金は後払いで」

「君、俺を馬車とでも思っているのか」

「あれ、違いましたか」

「どっちが助手どころか……まさか馬だったとは。驚きだよ」


 皮肉たっぷりに目を細めるルスランの頭に手をのばし、ココはその白銀に光る髪を梳いた。


「まさに王子様ですね」

「なんだそれ。うまくない。全然うまくないからな。だから、その顔はやめなさい」


 となんだかんだ言いながらもルスランは、駅までこの馬車ごっこを続けてくれたのだった。

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