貸切風呂の来訪者

理科 実

貸切風呂の来訪者

「つまり俺はこう思うわけ、創作においてバディ物こそが至高なんだよ。例えば探偵と助手のコンビがいるとしよう。助手は読者と似た目線で謎と対面し、時には探偵にヒントを与えながら物語の観測者となる。探偵は謎に迫り、解明し、読者の中のモヤモヤを晴らす装置となる。助手だけで事件は解決できないし、探偵だけなら読者の共感も得られず、物語に深みが生まれない。助手と探偵、どちらが欠けても名作は生まれない。他にも刑事モノだったら本庁の刑事と所轄のバディ、少年漫画だったら人間と異能を持った怪物、執事とお嬢様だったりと属性の組み合わせは無数に存在する。そしてバディ物の良いところはエピソードが豊富に書けるところだ。コンビ結成に至るまでを描くエピソードゼロ。あとコンビといえば不仲になる展開が必ずあるよな?この場合、仲直りしてさらに絆が強固になる。そして出会いがあれば別れもある。最終話で結成のきっかけになる演出のオマージュとかやればファンはもう満足だ。……まぁ、ざっとこんな感じでバディ物っていうのはそれだけで創作の立派なジャンルの一つだ。作家は困ったらバディ物を書けばいいと思うんだよ俺は」


「……そう……で、あのさぁ」


 水面を反射する陽の光を眩しく思いつつ、僕はそちらに目を向ける。


「……ん?どうした?」


 声の主は応える。先ほどの話の影響か妙にテンションが高い。彼の言いたいことは理解できなくもないけれど、うまく話が頭に入ってこなかった。この不可思議な状況に僕はまだ理解が及んでなかった。だから問わねばなるまい。


「君は誰?」


 僕らの貸切風呂に現れた来訪者に。



 ♨︎



 僕は生まれて初めてできた彼女とともに、交際半年を記念して旅行に出かけることとなった。レンタカーで3時間ほど運転した。路面状況が悪く、道中いろいろありつつもF県にある旅館になんとか到着できた。

 女将さんに客間へと案内され僕らは室内へと入る。道中のスーパーで買い込んだ飲み物や軽食を小型の冷蔵庫にしまい、室内を見渡した。

 部屋はごく普通の和室だった。ホームページによると12畳ほどの広さらしい。特筆すべきは窓の外にあった。備え付けの家族風呂、源泉掛け流しだ。檜に囲われたその空間には並々とお湯が注がれている。景観も見事なものである。正面には青々と茂った樹木の海が見え、下方に視線をずらせば渓流が見られた。

 さっそく僕らは景観に癒されつつ、旅の疲れをお湯で流した。風呂から上がった後は地酒を飲んで夕飯に舌鼓を打ち、床に着いた。

 ……ここまでは良かった。特に夕飯に出た和牛のステーキを土鍋で炊いた米でかきこんだのは最高だった。

 話を戻す。僕は彼女を起こさないよう静かに布団を出てトイレへと向かった。どうやら地酒で摂取したアルコールを水で希釈しすぎたのが良くなかったらしい。小用を足し、まだ温もりが残る布団へと戻ろうとする。しかし


「……んー」


 大丈夫と思ってはいたものの、やっぱり目が覚めてしまっていた。彼女を起こさないよう意識して気をつけていたからかもしれない。いくら目を瞑っても一向に眠れそうもなく、瞼の重さは変わらなかった。当然明日も運転しなければならないので睡眠時間は確保すべきである。だがこのまま粘っても眠れそうにないのは長年の経験から証明されていた。


「仕方ない」


 再び布団から這い出た僕はシンクから水を汲んでぐびぐび飲む。さて、ここからどうするかと思いつつ、ふと視線を窓の外に向けた。


「……ん?」


 月の光が人影を照らしている。


 正確に言えば人影らしきものがこちらに背をむけ、檜風呂でくつろいでいるように見えた。あれ?貸切風呂ってなんだっけ?と僕は思いたくなる。目を擦ってみたがどうやら見間違えでもないらしい。眼鏡をかけ、さらなる情報を得られないか試みたが、結局確認できたのは人間の後頭部があるなあということだけだった。

 さて、ここで選択肢が3つほど生まれる。


 ①宿に通報する。

 ②これは夢だと思って寝る。

 ③正体を確かめる


 冷静に考えれば①が妥当だろう。もし不審者が侵入しているとすれば、立派な通報案件である。懸念点を挙げるとすれば果たしてあれが本当に人影なのか?ということである。もし人影ではなく、僕の単なる見間違えなら宿の人にも迷惑をかけるかもしれない。騒ぎが起これば布団の中でぐっすり眠る彼女も起こしてしまうだろう。

 かといって②も正直気がすすまない。僕は見知らぬ人間と一晩を過ごせるほど太い神経を持ち合わせていないし、そもそも眠れないからこうしているのだ。


「……仕方……ない」


 そこで折衷案を採用した。すなわち悟られない程度まで対象に接近し、はっきり不審者と確認したら宿に通報する。よし!これなら完璧だ。意を決した僕はさっそく窓際へと歩を進めた。窓は閉められているため、よほど物音を発しなければ気づかれることもないだろう……と僕は考えていた。ここまでの思考は間違っていなかったのだが、2つほど見落としがあった。

 一つは目の前を見ることに夢中足元がお留守だったこと。そしてもう一つは


「……あぁっ!?」


 慣れない浴衣で歩いたこと。

 気づけば僕は前にバランスを崩し、窓にぶつかってしまっていた。



 ♨︎



「にしてもアンタもそそっかしいよね。なんていうかこう……自分はボロ出さないよう頑張っているつもりで結局周囲にはバレバレな感じ」


「……うるさいですよ。初対面のあなたに何がわかるんですか」


「冷たいなぁ。少なくともこうして裸の付き合いしてる時点で、赤の他人ってことはないでしょ?」


「……で、あなた名前は?どうやってこの部屋に入ってきたんです?いったい何が目的なんですか?」


「質問が多いなあ……そうだね……とりあえず俺のことは佐々木って呼んで。下の名前は……まだ秘密かな〜」


「ふざけないでくださいよ」


「俺は至って大真面目だよ。えーっと……あとはなんだっけ?」


「侵入方法とここにきた目的」


「……あ、そうそうそうだった。んー……侵入っても気づけばここにいた感じだしなあ……。目的は……まぁ眠れないから誰かとちょっと夜更かししようかな〜って」


「通報します」


「いやちょっと待てなんでこういう時だけそう思い切りがいいのよ!?」


「だって明らかに怪しいじゃないですか」


「気持ちはわかるけどさぁ……でもアンタも俺と同じで眠れない感じなんでしょ?それにちょっと変わってる。じゃなきゃこうして知らないやつと一緒に風呂浸かるなんてしないもんね」


「……」


 一理ある……どころかぐうの音も出なかった。

 自分はどうして言われるがまま見知らぬ人間とこうして肩を並べて湯船に浸かっているのだろう……?疑問に思ったが答えは出なかった。正直、今でも状況が飲み込めていない。自分はここまで無警戒な人間であっただろうか?見ず知らずの相手に抵抗なく裸を晒すことができた人間だっただろうか?


「向こうに寝てるのは彼女?いい女だね。アンタには勿体無い」


 佐々木と名乗ったそいつはニヤニヤしながらそう呟く。


「あんまり見ないでくださいよ」


 佐々木の視界を遮るように僕は湯船の中を移動した。必然的に佐々木と向かい合う形になる。


「いいじゃん別に減るもんじゃないし。……当てようか?出会いはアプリだろ?」


 どこかで見たことがあるような垂れ目から覗く瞳が僕を見据える。佐々木の言っていたことが図星だったので、僕はつい目を逸らしてしまった。


「そうですけど……なんでわかったんですか?」


「見てればわかるよ。これまで全くモテたことがない……もしくは他人の好意を見て見ぬふりをしてきたな。アンタ、童顔だけど年齢は20後半ってところだろう?彼女持ちにしては身なりに隙が多いんだ。具体的に言えば毛の処理が甘いぞ。特に眉毛はもっと整えた方がいいな。あと肌は気をつけろ。特に顔が荒れているやつは仕事の評価にも差し障るらしいからな。接客業ならなおさらだ」


 開いた口が塞がらないとはこの時のようなことを言うのだろう。僕の交際歴から現在就いているおおよその職種まで見事に図星だった。こいつはずっと僕の人生を覗いてきたのだろうか?


「さしずめ今日は初めてのお泊まりデートってところだな。……明日はどこに行くんだ?」


 僕は数日前に作った今回の旅の工程表を思い出す。


「基本は自宅に向けて走ります。途中で湖に寄ったり……SNSで見た豚カツ屋に寄ったりしますが」


「湖はやめておいた方がいいぞ」


「え?なぜです?」


「……アンタ、若い女が湖なんて行っても楽しめるわけないだろう?F県の明日の気温は30度を超えるらしいし、そのくせ天候は曇りの予定だ。だったら直接市街地で豚カツでも食ってそのまま家の方面に向かった方がいい」


 上からの物言いに僕は一瞬抵抗を覚えたが、落ち着いて考えてみれば確かにその通りかもなあと感じてしまった。


「ここから市街地への道中でガラス細工を取り扱っている大きな店があったはずだ。お土産もそこで買うといい」


 佐々木はまた有益なアドバイスをくれた。奇しくもガラス細工は彼女が好きなものの一つである。


「後で天気を調べてみますよ」


「そうだな。たまには彼女にいいもん買ってやりなよ」


「余計なお世話ですよ」


 それからしばらくは他愛のない話が続いた。自分の仕事の話、子供の頃好きだったアニメの話、最近ハマっているドラマの話、時事ネタ、出身地のどうでもいいローカルネタまで。

 先ほどから感じるのは既視感だった。この男と僕はどこかで会ったことがある。でも、それが全く思い出せない。けれど、嫌な感じはしなかった。むしろ心地よく、不思議と話題が尽きる事はない。しかし残念ながらどんなことにも終わりは訪れるのだ。

 僕はお湯から出て檜の縁に腰をかける。僕は長風呂が苦手だった。お湯に浸かるのはここらが限界だろう。


「……あの、僕はそろそろ上がりますね」


「なんだ、もう終わりか?だらしないな」


「佐々木さんはいつまでいるつもりなんです?……一応ここ、僕らの部屋なんですけど」


「心配しなくてもそろそろ上がるさ。もう用は済んだし」


 僕は完全に湯船から出た。溢れたお湯が床に流れていく。お湯で熱った身体を夜風が冷まそうとする。この時期でも濡れた身体を撫でる夜風は少し肌寒い。あまりぐずぐずしている時間は無さそうだ。


「短い間だったが話せて良かったよ。窓にしっかり鍵かけたら暖かくしてさっさと寝るんだな。明日は間違っても寝不足で事故ったりするんじゃねーぞ」


「言われなくてもそうしますよ。佐々木さんも早く帰ってくださいね」


 僕は窓の方に歩き出す。戸を開けようとしたその時


「おい!」


 背後から佐々木の声がした。視線をそちらに向ける。


「じゃあな!いい夢見ろよ」


 頷いて僕はそのまま室内に入る。僕は言われた通り窓に鍵をかけ、身体を拭いて布団の中に入った。先ほどまでが嘘のように強烈な眠気に襲われる。


 意識が闇に落ちる前、初めて彼女に会ったときのことを僕は思い出していた。



 ♨︎



「ただいまぁ」


「やっと着いたぁ」


 旅行が終わり、二人でテレビを見ながら後始末をする。僕は旅行鞄から自分の下着を取り出し、洗濯機に放り込んだ。


「なんか他にも洗濯するものある?」


 リビングに戻り、彼女に声をかける。


「……」


 返事がない。彼女の視線はテレビの画面に釘付けになっていた。


「ねえ、これ」


「ん?……え」


 今日の昼ごろにF県のトンネル内で崩落事故が起きたらしい。2台の車が巻き込まれ、7人の死亡者が確認されている。そのまま画面を注視していると、奇しくもそこは昨日まで僕らが通ろうとしていたルートだということがわかった。


「湖行かなくて良かったね。日頃の行いかな?」


「う、うん……そうだね」


 僕はテレビの方に向きなおる。しかし、それ以上内容が頭に入ってこない。



 何故だかあの来訪者と僕らはもう会えない気がした。

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貸切風呂の来訪者 理科 実 @minoru-kotoshina

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