6月の曇天に嗤う。

川中島ケイ

6月の曇天に嗤う。

 我が家の庭には、6月になると大量の果実を付ける樹がある。


 

 ジューンベリー。その名の示す通り、この季節に小さな実が大量に成る事からそう名付けられたのだという。


 なんて安直で人間の自分勝手な呼称なんだろう、と初めて聴いた時はそう思った。まるで、と名付けるような、本人の性格とか個性を一切無視した、分かりやすい特徴だけを抽出した呼び名だ。


 でも、自分の都合以外に考える事を無視した生き方の人間には、とても分かりやすくて良いのかもしれない。



 例えばこの、目の前にいる私の母の様な。


 

「全く、こんなに摘むのが大変だったら少しぐらい鳥に食べさせてやればよかったわね」


 上を向いて熟れた実だけを選定して採り続ける作業に疲れたのか、そう零す母に曖昧に笑う。


『せっかく育ててやってのに鳥なんかに殆ど食べられるなんて、堪ったものじゃないわ』

 

 アンタが去年の今頃、鳥が実を啄んでいくのを見てそう文句を言ったから、わざわざ網を張ったんだろうが。と、よほど言ってやりたかったがそこは無言を貫く。


 

 この人はいつだってそうだ。思い通りにならなければ『ああすれば良かった』『こうすれば良かった』そして最後に決まって言うのは『こんな事の為にわけじゃない』



 私はこの女の言う通りに『品行方正に、常に正しく』と言われて育てられてきた。


 小学校の頃はテストで満点を取るのは当たり前だったし、中学校でも常に学年300人中20位以内には入れるように努力してきたつもりだ。


『わかる? 良い大学に行って良い会社に入って、高いお給料を安定して稼ぎ続ける事こそが人生で一番大事なの。頼むからで踏み外したりしないでね。そんな事の為にアンタをわざわざ塾に行かせて良い高校に訳じゃ無いんだからね』


 

 高校に入って世の中の色々な事に関心を覚え、今まで行ってみたことの無かった場所まで行ってみたい、アルバイトだってしてみたい、とせがんだ私に言い放ったのがこの言葉だ。その時にやんわりと、私はこの人の作った鳥籠の中から出る事を許されてはいないのだなと気付いた。


 客観的な第三者が聞いたら異常で過保護なんじゃないかと思われるこの発言を傍で聞きながらも、曖昧な表情で母に同意するように力なく頷く父もまた、この女に人生を絡めとられた被害者なのだと知った。

 

 

 その時の私が、それに抗ってまで好奇心の赴く方へと踏み出せる力を手にしていたのなら、物事は大きく変わっていたのかもしれない。けれどもそれは所詮、たらればの話。


 

 仕方なしにバイトも部活も何かの趣味を持つことも諦め、7年間をただの消去法と惰性で勉強に費やした甲斐あって、東京のそこそこ名の知れた大学に合格。そこそこ悪くはない成績で卒業して入った会社で待っていたのは、足を棒にして都内を駆け回るも苦情を言われるだけで全く報われることも無い地獄がループするだけの日々だった。


『全く、アンタのトコの製品を買って大損したんだよ、こっちは』

『謝罪しに来たんだったらを見せてくれんかね、を』

『返品して新しい物を寄越すか、買った分の金額なんかで迷惑被った分が足りると思ってんのか』


 そんな事を『入社一年目の頭を下げるしか能の無い新人』の私に言われた所で、その製品を売り込んだのが私でも無ければ、それを作ったのも私ではないのだ。目の前のコイツ等はも分からないのか?と思う気持ちが募るほど、段々と自分も目の前の生物も等しく、血の通った人間ではない様な気がしていた。


 相手の事情も顧みずに、他者の所為にして攻撃するしか能の無い壊れた機械と、テンプレートの謝罪文を読み上げるしか能の無い機械。後者である私が、そうなるのは仕方ない。だって、そのに育てられたのだから。


 そうして自分を機械だと言い聞かせながらも、その一方で自分の心だけがひたすらに擦り減るのに限界を感じて、地元に戻ってきた私にこの女が投げつけた言葉がまさに先程の決まり文句。


 

『まったく、こんな事になるのが分かってたらアンタは地元の会社にでも就職よかったわ』


 晩御飯のコロッケに箸を突き刺しながらどうでも良い様にそんな台詞を吐くこの女には、言われた相手がどう思うかなど、まるで気にはならないのだ。その箸で串刺しにしているのはコロッケだけではなく、我が子の気持ちでもある事など、気にも留めないのだろう。


 

「それじゃあ残りの収穫、任せたわよ。そろそろ美容院の予約の時間だから」


 自分勝手に都合だけを告げて去っていく母を無言の背中で見送ると、気を紛らわせるように収穫作業に没頭する。まだ熟れ切っていない実は残して、鳥に突かれて傷が付いたり、熟れ過ぎて腐りかけた実は廃棄。ひたすらその作業を繰り返し、作業開始からすでに1時間以上が経過していた。


 樹はあちらこちらへ好き勝手に枝葉を伸ばし、高さも範囲も関係なく分散して無数の実をつける。その姿が母に重なり、せっかく抑えていた苛立ちが戻って来る。思わず手に力が入って握り潰してしまったのは収穫から弾いて捨てようとしていた、鳥に突かれた部分から腐りかけた赤黒い一粒の実。今の私は、この腐り果てて潰れてしまった赤い実と同じなのだ。



「……雨?」



 握り潰した赤がと透明に混ざり合って滲むのと、拡げた掌に感じた冷たさで雨の訪れに気付き、急いで家の中に戻って2階のベランダに干した洗濯物を取り込む。干してまだ1時間も経ってないのに、本当にツイてない。6月は嫌いなんだ。これでもかと憂鬱を押し付けてくる季節だから。


 ベランダの洗濯物を仕舞い終えてジューンベリーの木の下に戻ると、甲高い鳴き声が響いていた。アラートのようなその音と共に樹が揺れ、網の中で何かが素早く動き回る。


 よくよく目を凝らしてみるとそこに居たのは一羽のヒヨドリ。どうやら私が出入りしていたネットの隙間から入り込んでしまったものの、出られなくなって困っているらしい。


 しかしそんな苦情を向けられたところで、羽や嘴でこちらも傷付けられるのはまっぴらだ。近付けずに雨を避けて遠巻きに見ている事しか出来ないが、いくら待っていてもヒヨドリはネットの隙間を見つけられずに藻掻いていた。その姿が去年の今頃、この世界から姿会社の同期、桜井君の事を思い出す。


 

「まあこうして必死で頑張っていればさ、きっと報われるし意味があったと思える時だって来るよ」


 毎日浴びせられる心無い言葉に心が折れそうになっていた時にそう言ってくれた彼。それなのに自分は、自宅アパートで首を吊って死んでいた。


 それを私が見つけた時、部屋には彼が良くアカペラで歌っていた、彼の父親が大ファンだというバンドの曲がリピートで鳴り響いていた。


 

 カンナみたいに命を削って、閉ざされたドアの向こうに新しい何かが待ってる、って馬鹿みたいに信じて次のドアをノックし続けて……を信じて突き動かされていった先に辿り着いたのが、なの?


 それから私はすぐに会社を退職し、世の中に溢れるあらゆる応援歌から耳を閉ざした。人を殺すのに銃やナイフは要らない、もう充分過ぎるくらい頑張っている人に頑張れって言葉を無責任に投げかけるだけで良い。そしてそんな言葉に『マジ感動した』『これで頑張れるわー』なんて言っていかにも『そう思わない側の方が』って同調圧力をかける人間が居れば完璧だ。


 そういう人達こそがとされる世界の中から、弾かれたのだ。私も、桜井君も。



 目の前では降りしきる雨の中、相も変わらず網の中を抜け出せないままの鳥が、悲鳴のような鳴き声を上げながら飛び回っている。それに手を出すことも出来ずにただ困惑して立ち尽くしている自分と、桜井君がきっと誰にも見えない所で悔し涙を流していた事に全く気付けなかった間抜けな自分。そのどちらにも急激に腹が立ってきた。


 

 こうやってまた、足掻く姿を見殺しにして後悔したを続けるつもり?


 

 そんな脳内の声を振り払うように、手にしたのは傍らに母が立てかけたままにしていた高枝切り鋏。


 

 槍を振るう足軽のように、おぼつかない手つきながらもジューンベリーに掛けられた網の上側を狙って振り上げる。鋏の穂先に絡まった網は一定の抵抗を見せるが、尚も力を掛けるとブツブツと千切れ、そこに小さな風穴を開ける。何度か繰り返しているとの天井はぽっかりと穴が開き、閉じ込められたヒヨドリはこれを好機と飛び立った。その嘴にちゃっかり、赤い実の付いた枝を咥えながら。



 彼はきっと何処かで仲間と合流し、また次の餌場を求めて進んでいくのだろう。咥えて持ち運ばれた実はその途中で何処かに種を落とし、新たな芽を吹くのだろう。


 

 だけど。この鳥籠の中に居る限り。



 不意に突き付けられた現実に叫び出したいような気持ちを覚え、それを振り払うように高枝切り鋏を振り回す。刃先が当たる度、母の言いつけに従って黙々と設置していった鳥籠はあちらこちらに綻びが出来る。



 そう、これでいい。これで良いんだ。


 

 なんで最初からこうしなかったのだろう?私は。



「くくく……あはははははは」

 

 

 私は思わず、近所の誰かに聞かれるなんて全く気にもせず、笑ってしまった。

 


 思えば、今までこんな生き方に疑問を感じた事は何度もあった。だからと言って『今までこうしてきたんだから』という言い訳にが見つからないと足踏みを続けてきたのは自分自身だ。自分で作り上げてしまった鳥籠なんだとしたら、それを破れるのも



 あの鳥達のように一緒に羽ばたける仲間が居るわけじゃ無い。何処かに落とされても再び芽吹く事の出来る、種のような強さを持っているわけでもない。だけどせめて、自分で絡めとった人生を切り裂いてもう一度踏み出してみたいと思う望みぐらいは、ある。


 

 だから。



 高枝切り鋏を元の位置に返すと、自分の部屋に戻って部屋の物を片っ端からスーツケースに投げ入れる。元々大した荷物は無い。数日分の着替えとスマホと充電器、それからを搔き消して脳内を爆音で満たしてくれる唄さえあれば十分だ。



 窓の外では鳥たちが破れた網の中にお宝がごっそりあるぞと騒ぎ立てる。空を見上げると雨はもう上がっていた。決して青空などではなく、ただの曇天に戻っただけの憂鬱で重苦しい鈍色。だけど、こんな門出には丁度良い。

 


 玄関ドアを開ける前に靴を履きながらスマホを手に取ると、あの女へとメッセージを送る。


 

『社宅付きのトコから採用の電話があったので家を出ます。落ち着いたらご心配なく』


 

 送信して少しだけ迷いながら、最後に着信拒否とメッセージブロックをONにする。あの女が美容院帰りの浮かれた気分で帰ってきてこれを目にした時にはもう、私は手の届かないだ。


 

 さようなら。どうぞご自分の鳥籠の中で、お元気で。

 

 

 履きなれた靴の感触を確かめると玄関に鍵をかけ、それを郵便受けに滑り込ませると私は曇天の空の下、歩き始めた。

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6月の曇天に嗤う。 川中島ケイ @kawanakajimakei

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