プレスマン

青山喜太

第1話 プレスマン①

「はぁ、はぁ! 助けて! 頼む! 助けて、神さま!! 勇者さま!!! 俺は……!」


 男一人、よく逃げる。全く犯罪者というのはどいつこいつも、逃げ足だけは光に勝るような気がする。


 クソ……めんどくさいな、もうそろそろ許してやっても……。



「ああ! くっそ!」


 おいおい……おいおいおい、やめてくれよ。めんどくさいな、なんで振り向いた?


「暮れの空、深淵を覗く我に天を焦がす紅を!」


 攻撃魔法、それもまぁまぁ高等じゃないか。

 しかし、こと詠唱というのはなぜ、こんなにも気取っているのか。

 それも人を殺すことしかできない攻撃魔法の詠唱をなぜ、ここまで飾りつけるのか? 

 せいぜい、詠唱などこの程度でいい。


「餓鬼よ畜生の肥溜めに堕ちろ」


 そう、これぐらいの下劣さでちょうどいい。

 人を紅の絵の具溜まりに変える用な魔法など。


 ──ベシャリ



 ─────────────


 土臭い四角の穴を雲が覗き込む。なんの変哲もない、ただの人間が作った穴かと、興味を失い雲は通り過ぎていく。

 だが、その穴を名残り惜そうに覗き込む男が一人。


 ボサボサの髪、薄汚れた顔、目には涙を浮かべている。


「ジャガルぅぅ……! なんでこんなことにぃぃ……」


 男はその穴の底に横たわる、人間一人包み込めるほどのズタ袋に涙を落とした。


「泣くな、マルトン」


 すると泣いている男、マルトンの肩をスキンヘッドの男が叩き、慰める。


「でも! こんなのあんまりじゃないですかいお頭ぁ! ジャガルはいいやつだったのに……」


 するとお頭と呼ばれた男は、ズタ袋を見つめながら吐き捨てるように呟いた。


「だからこそ、必ず見つけなきゃならないんだろ、ジャガルを肉塊にした……薄切りベーコンみたいにした奴を」


 すると、お頭は振り返り言った。


「そうだろう皆んな!」


 振り返った先にいたのは、数十人の黒服の男たち。

 どうやら喪に服しているようだが、どうにもカタギには見えない。


 お頭の掛け声と共に男達は叫びを上げる。


「犯人をぶち殺すぞ! みんな!」


 男達はさらにカシラの怒りに同調していく。

 全ては死んでいった仲間のジャガルの為に。


 大義のために、弔いのために、義憤を募らせる。まるで恐怖を誤魔化すように。


 ─────────────


 全ての発端は一昨日の早朝だった。

 勇者を生み出した伝説の国、ソール国。

 その辺境、サンカラクという町で事件は起きた。


 サンカラクを拠点とするマフィア、レッドラッドファミリー。そしてその構成員の一人、ジャガルがベーコンになった。


 ベーコンというのは当然、比喩だ。

 というのも、ジャガルの死体を見た町人がこう衛兵に伝えたのが原因だった。


 ──ベーコンみたいに、薄くなったなにかの肉の塊があった。


 高所から落とされたのか、何かに潰されたのか。

 だが殺害方法は重要ではない。


 重要なのはジャガルがレッドラッドファミリーの構成員だということ。

 ジャガルの死を宣戦布告と受け取ったレッドラッドファミリーのカシラ、禿頭のゴーン・レッドラッドは怒り狂った。


 いや、怒り狂ったとアピールしなければ流石にメンツや立つ瀬がなかったのだろう。


 サンカラクの町人に前よりも威圧的に振る舞うようになり、犯人探しに躍起になった。

 さらにゴーンはこのジャガル殺害犯をプレスマン潰すものと呼び懸賞金までかけ、本格的に探し始めたのだった。


(そう、そしてそのせいで、私の残業は増えまくる……)


 サンカラクの女衛兵、ミシェルはため息を吐いた。

 あの、ベーコン事件のせいでレッドラッドファミリーがピリついているのは非常に厄介だ。


 こうして休みの日、町を歩いているというのにそこかしこにヤクザ者の姿が目に入ってしまう。


(仕事……休みなのに……)


 ミシェルは再びため息を吐く。この状況でどうやって休めというのか。

 上司からはしっかり休め、息抜きをしろと言われているミシェルだったが、出てくるのはため息ばかり。


 息抜きの息とはため息の息のことか? などと上司に皮肉の一言でも言いたくなる気分だ。


 だが上司に向かってそんなことを言っても、返ってくるのは中指と減給だけだろう。

 こんな時、こんな憂鬱な休日を吹き飛ばせるところは一つしかない。


 食堂、ロマン&ロマン。


 サンカラクの有名なレストランだ。

 ここのホットケーキは脳みそと胃に幸せを一瞬で届けてくれる。


「今日ぐらいしか行けないし……お世話になりますか……!」


 そうと決まれば、早速腹ごしらえだ。ミシェルは食堂の扉を開いた。


「いらっしゃいませぇ!」


 元気の良いウェイトレスがミシェルを出迎え、そしてカウンターに案内する。

 ミシェルが通り過ぎて行くテーブル席には冒険者や、飲んだくれ、子と母など、客層は厚い。


 さすがは老舗といったところか。

 絵描きが憩いの場という題材でを絵をかけと言われたら間違いなくこの食堂兼酒場を題材にするところだろう。


 それぐらいには、民草に愛された場所だが、どこか雰囲気が重苦しい。


 それもそのはずだ。


 ──くちゃり、くちゃり。


 その男は、下品にステーキを食い、神の子の血ワインに酔っていた。

 服装は上下の黒いズボンにジャケット。


 どこかの紳士そのものといった所だが、品性は猿と変わらない、この場にいる誰もがわかっていた。


 男はレッドラッドファミリーの構成員だった。その証拠に指からいやらしい赤の光沢が周囲の客たちの視界を汚していた。


 ファミリーの一員であることの証明である赤色の鉄の指輪だ。


「はぁ……」


 ミシェルはため息をつきながら、カウンターに座る。

 ここにもファミリーが目を光らせにきている。犯人探しの一環なのだろう。


 といってもほぼ、サボりのようなものだろうが。しかし渦中のファミリーがいるというのはどうにも気が収まらない。


(せっかく美味しくご飯を食べようと思ったのに……)


 そう落ち込むミシェル。

 するとカウンターテーブルが音を立てた。


 いつのまにか、スープが置かれている。

 しかも匂いからしてコンソメの。

 ミシェルの好物だ。


「レディ、衛兵さんだろ? 奢りだ」


 低い声がミシェルの耳をくすぐる。

 ふとミシェルが顔を上げると、目の前には見慣れない男がいた。


 左目は刀傷で潰され、そこそこの長さの髪を後ろで縛っている。

 そして清潔なシャツとズボンに似合わない花柄エプロンを身につけているその男は笑みを浮かべている。


「あ、ありがとうございます……」


 ミシェルはそれが自分に向けられたスープそして笑みだということに遅れながら気づき、一口飲む。


 うまい。

 脳が、いや心が発した。

 素朴な味ながら、しかし具材の玉ねぎが良き味を出している。


 コンソメが最高のステージを用意し、そしてそのステージで玉ねぎが自身の香りと味を遺憾なく発揮ダンスしている。


 美味しい。


「お、美味しい」


 遅れてミシェルの口が言葉を発する。


「そうか」


 淡白な返事だったが、花柄エプロン男は口を若干、綻ばせている。


「では、ご注文をどうぞレディ」


「え、あ、店員さん?」


 男の言葉に当然の事実を質問するミシェルに、また男は笑う。


「なんだと思ったんだ? 突然、コンソメスープを提供するクソ妖精か?」


「あ、ご、ごめんなさい……」


「ああ、謝らないでくれ。冗談……冗談だよ。悪いな俺の頭の国語辞典にはFワードしかないんだ」



 男は謝ったあと、改めて挨拶する。


「俺はスイケシュ・グリーンケーン、今日からシェフ兼バーテンダーになった。つまりは新入りさんだ。お手柔らかに頼む」


 新入り、どうりで。

 ミシェルはそこでやっと気づいた。

 なぜ、この新入りの従業員スイケシュ・グリーンケーンに馬鹿な質問をしてしまったのか。


 この町のレストラン、ロマン&ロマンには老舗ということもあり、新入りはとても珍しい。


 それだけ長年、支えてきたメンバーがこのレストランにいまだに残っているのだ。


 だからこそ、新しいシェフ兼バーテンダーのような料理の品質の中核をなす人員を採用するのはなかなかない。


「まあ、去年の戦争の影響でな、人手不足なんだよ」


 そういうスイケシュは、ミシェルが飲み終わったスープのカップを受け取り洗い場に持って行く。


「それで、お嬢さん、注文は──」


 スイケシュがメモを取り出した、その時だった。


「テメェ!! ふざけんなぁ!!」


 怒号が店内に響き渡る。

 ふとミシェルが怒号のする方を見る。

 ため息をミシェルはついてしまった。


 レッドラッドファミリーの男が叫んでいる。


 ウェイトレスに詰め寄り、顔に怒りの青筋を浮かべている。


「いかなきゃ……」


 さあ、仕事の時間だ。ミシェルは立ち上がる。

 しかし、誰かに肩を掴まれカウンターに座らされた。


「レディ、別にアンタが行かなくていいだろ? 店の問題だ、俺が行く」


「え、いや危険……!」


 そう呼び止めるまもなく、スイケシュはカウンターの外に出て怒りを撒き散らす男に近づいて行く。


「いかがいたしましたか? お客様?」


 あくまでも毅然とし、そして物腰柔らかい態度でスイケシュは男に問うた。

 すると男の標的はウェイトレスからスイケシュに変わる。


「どうしたもこうしたもねぇよ! 食事に髪が入ってんだ! 髪が!! ああ!!? どうしてくれんだ!?」


 男の怒鳴りに冷静にスイケシュは返す。


「それはそれは失礼いたしました。しかし見た所、その髪の毛の色と長さ……私たち従業員のものではないご様子。どうかご容赦していただけないでしょうか」


 と言うか、明らかにその髪の毛の長さと色は男自身のものだ。

 男は自身の抜け毛が混入したことに怒っているらしい。つまりは勘違い。

 

 だがそんなこと、男にはどうでもいいことだ。

 怒りを解消できればいいのだから。


「そんなこと、どうでもいいんだよ! 問題はこの俺様に髪入りの食事を提供したってことだ」


 まずい酔っている。酔いが男の原始的な脳を類人猿レベルに巻き戻している。このままでは暴力沙汰になるのは間違いない。


「ああ?! どう落とし前つけんだよ! テメェ!」


 スイケシュは黙っている。


「何黙ってんだ!? なんとかいってみろや!!」


 ミシェルは動く、このまま何事もなく事態が治るとは思えない、椅子を掴みいざという時に武器にしようとしたその時だった。


 ふと、スイケシュが顔を上げた。


(スイケシュさん、どうかうまく逃げ──)


「| Please fuck yourself sir.《土にお還りくださいお客様》」


 レストランの時が止まった。誰もがぽかんと口を開け、レッドラッドファミリーの男でさえも驚いている。


 そして、信じられない言葉を投げかけた男、スイケシュ本人は気にせず続ける。


「お客様、テメェの利き手はどっちですか?」


「あ、え、なんで?」


 レッドラッドファミリーの男は戸惑いそして問う。


「だって可哀想だろう?」


 するとスイケシュは、笑みを浮かべながら質問に答える。


「使いずらい方の手でケツを拭くことになるのは」


「ふざけんな!」


 宣戦布告と取ったレッドラッドファミリーの男は懐からナイフを取り出す。


「右利きか?」


 右手でナイフを取り出した男を見るや否やスイケシュは咄嗟に男の利き手を看破し、すぐさまレッドラッドファミリーの男の左手を両手で取った。


ハイファイブハイタッチしようぜ?」


 そして、鈍い音がレストランに響く。


「ぎゃあああ!!」


 続けて酔っ払ったマフィア男の叫びが響く。

 スイケシュが、男の指の骨をへし折ったのだ。


 マフィアの男が腰を抜かし、ナイフが落ちる。


「困るな、お客様……この店の食卓で出していいナイフはテーブルナイフだけだ。テーブルナイフ以外のナイフが使いたいなら、厨房か表に出ろ」



「ごがあああ……! て、テメェ!」



 折れた指の骨とプライド、そのどれもがレッドラッドファミリーの男の足に響く。

 だが、ファミリーのメンツのためにもガタガタと笑う膝を必死に押さえつけながら立つ男。


 その姿を見てスイケシュは言う。


「お帰りはあちらですお客様」


「ウルセェ!」


 男は、粉々になったプライドを右手に乗せて前進する。殴りかかるつもりだ。


 だが、スイケシュは動じない。

 フッと笑い、指を鳴らす。

 すると床が悲鳴を上げ、割れる。


 割れた床から顔を出したのは、盛り上がった石混じりの土だった。


 当然、そんなものを進路上に置かれた男は避けられもせずつまずく。


「お、おお!?」


 男の目の前の光景が、スイケシュからオークの木の板間に変わる。

 それとともに、顔面に熱い感覚。


 鼻血だ。

 男は自身の鼻から鼻血が流れ出でる事を悟ると同時に猛烈な痛みを顔面に感じた。


「ぐがああああ!!」


 男はつまずき強打した鼻と顔を押さえながら叫ぶ。

 そしてひとしきり身体中に床の細かい汚れをつけた後、ヨロヨロと立ち上がり出口に向かって走る。


「テメェら! 覚えてろよ!!」


 そんな捨て台詞を代金の代わりにレストランに残し男は出口に向かって逃げ出し行く。


「ああ、覚えておくよ。暫くはブラックリストに乗るだろうからな」


 そんなスイケシュの言葉が男の背を押した。

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