空の屋上
野々宮 可憐
プロローグ
夏休みの始まり
そこにはピンクの薔薇の髪飾りをつけた先輩がいる。
僕だけがその存在を知っている、先輩が。
蒸し暑い空気に階段を登る音が響き渡る。頂上には重厚な扉が立ちはだかっていた。そっと銀色のドアノブに手を伸ばすと、ぬるい感触が指先を支配する。
うるさい心臓の鼓動が聴こえてないか心配だ。
深呼吸をひとつして、ハンカチのせいでドアノブが滑らないように力を込めて捻り、開ける。風が僕の体にぶつかるのと同時に
「ばぁ! 今年もようこそいらっしゃいました!」
冷たい体を持った彼女は、僕に抱きついた。
この学校は屋上の出入りが禁止されている。だけど夏休みの間、夏休み最終日にある文化祭準備の下調べのために屋上の鍵が特別に生徒会本部に渡される。僕は二年連続でその役目を担っていた。
「ねー聞いてる? 君がいない間、ほんっっとに暇だったんだからね! だーれも来ないんだもん。ソーラーパネルの点検におじさん達が来たくらい!」
「仕方ないじゃないですか。この時期しか屋上が開かないんだから」
「まぁそうなんだけどねっ。さぁ! 今年こそ当てられるかな〜?」
彼女はふわりと飛び上がり、フェンスの上に着地した。
「私は一体何者なのか!」
彼女は屋上を住処とする幽霊である。
ことの始まりは、一年前だった。
当時僕は高校一年生で、生徒会本部役員をしていた。それで押し付けられたのが、屋上整備員。
今年から文化祭のみ屋上が自由解放され、全校生徒は打ち上げられる花火を間近で見ることができる。とのことで、そのために屋上をよく点検して掃除して、不備があったら報告するというのがこの役割だ。
僕はこの仕事を知った時、唖然とした。こんな危険な役目は業者にやらせろよって思った。でもうちの学校はフェンスがめちゃくちゃ頑丈だし高いしで安全だし、経費削減したいしで業者を呼ばないという判断をしたらしかった。
ちなみにこの役員はすごく人気がなかった。その理由は単純で、めちゃくちゃ暑いから。だから特に意見も何も出さなかった僕が、この誇り高き役割を担うことになった。
最初の一日だけちゃんとやって、後は適当にサボろうと思った。でも彼女はそうはさせなかった。
「こんにちは〜! ようこそ
屋上に入った途端、彼女が扉の上から向日葵のような笑顔を逆さまにして現れた。
小麦色の肌を隠すようにこの学校の制服を着て、茶色がかった黒髪を肩より短い位置で揺らしている少女だった。
「生徒が来るなんて初めて! 私の事見える?」
少女は寂しそうに笑った。まるで僕が彼女を見えないのだと決めつけるように。
「……見えるけど、あなたって何……?」
僕はラムネのビー玉のように透き通った彼女の瞳を見て言った。彼女は唖然として、すぐに炭酸が弾けるように笑った。
「見えるのー!? 私はね! ここの幽霊だよ!!」
初対面の時、僕は声を上げて腰を抜かした。彼女は「驚きすぎだよ〜!」とか言ってケラケラ笑ってたけど、ラノベの主人公じゃあるまいし、そんな簡単に理解できる訳が無かった。幻かと思ったら彼女がひんやりとした手でツンツンと触ってきた。
僕はすぐに帰ろうと思った。熱中症だ、この暑さにやられたんだ、と思って休もうと思った。
扉を閉めようとしたその時、彼女が僕の袖をキュッとつまんで
「行っちゃうの? 明日は来てくれる?」
と上目遣いで言ってきた。主人に置いていかれる子犬のような目をしてた。僕の家族である犬のだいすけが、僕を見送る時の姿と彼女が重なってしまった。これは置いて行けない、置いてくやつは人間じゃない、と思わされてしまった。
僕は顔を覆い隠して情けない声で
「飲み物を買ってくるだけだよ……」
と言った。そしたら彼女はニヤリと笑って、僕は初対面である彼女の策にまんまと嵌ったことに気がついた。
それから炎天の中、僕と彼女の夏休みが始まった。彼女は自分のことを『先輩』と呼ばせ、後輩なら敬語だよね! と敬うように指示してきた。そして僕は課題があっても、どんなに雨が降ってても、学校が開いている日は屋上に足を運んでしまった。彼女は屋上に長い間ずっとひとりぼっちだったようで、少し同情してしまったからだった。
でも屋上にずっといた彼女は、自分の居場所のことを知り尽くしていて、不備などを明確に教えてくれた。だから僕は屋上整備員として非常に優秀だった。
ので、僕は今年もこの役目に抜擢された。指名されなくてもやるつもりだったけど。
「ねー、何をぼーっとしてるの? せっかく来たんだからおしゃべりしようよ」
先輩は去年のように僕をツンツンしまくる。幽霊のくせに、先輩のことが見えている人には触れるようだった。
「いや、去年のことを思い出してただけです。今年も課題持ってきたから、知恵を貸してください」
「仕方ないなぁ〜! その代わりに来られる日は来るんだよ
先輩が人差し指を真っ直ぐに立てて偉そうに僕に言う。
こうして、盆休みを入れなければ三十一日間の、僕と先輩の夏休みが幕を開けた。
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