十二日目から十六日目まで
夏休みが始まって十二日目
僕は去年と同じく先輩に急かされて課題を全て終わらした。
「お見事!やるじゃないの」
「先輩のおかげというかせいというか……」
先輩は先程から僕にバックハグをしている。暑い暑いと僕が言ったから冷ましてるらしい。逃げ出したいけど逃げ出したくない。
そんな僕らを、蝉や吹奏楽部や野球部の音が包む。去年と同じくうるさいばかりだ。でもどこか心地いい。
「君は相変わらず帰宅部のエースなの?」
「そうですよ。目指せインターホンです」
「君は夏休みの学校が開いている日は部活に明け暮れている訳だね。熱心で素晴らしい」
先輩は感情がこもってない拍手をする。拍手とはいっても音は鳴っていないけれど。
「先輩の部活は、相変わらず教えてくれないんですか?」
「うん! 教えないよ! 言ったでしょ。暴け!」
先輩は元気に否定する。僕が呆れようとした時、ガチャ、と扉が開く音がした。
「あ! 空本くん! やっぱり居た!」
声を出したのは見知った顔、ポニーテールを揺らしながら来たのは
「
同じ生徒会の同級生だった。横田さんはにこにこと笑顔を見せてジュースを差し出す。
「これ、差し入れ! 暑い中毎日頑張ってるって先生に聞いたから、来ちゃった。手伝うことある?」
先輩は僕の背中に隠れ、誰? 誰? と僕に訊いた。しかし応えられない。
「ううん、もう終わったから、帰ろうかなって思ってたところだよ」
先輩との時間を邪魔される訳にはいかない。横田さんを早く帰らせないと。
横田さんはパッと顔を明るくして
「そうなの? じゃあ一緒に帰ろう?」
と言う。……困ったな。まだやることあるって言っても、ついてきそうだし、先に帰ってって言ってこの後の生徒会活動に支障をきたすのも嫌だ……。
先輩はとトッと僕の背中を押した。そのせいで、僕は横田さんに一歩近づいてしまった。
振り向くと、先輩は笑顔でひらひらと手を振っていた。
ここで帰ったら負けな気がする。
「横田さんごめ」
「早く行こう!」
僕の声は呆気なく掻き消され、屋上から連れ出される。ガチャリと音が響いた。
夏休みが始まって十三日目
僕は懲りずに屋上への階段を上り、扉を開ける。先輩は驚かしに来ず、柵のそばで野球部を見守っていた。先輩が振り向く。
「おや、来たんだ」
「来ますよ。昨日はすみませんでした」
「何について謝ってるの? 青春しなさい若者よ。あの子、きっと開青くんのことが好きだよ。私も女の子だもん。わかっちゃう」
先輩の表情は見えない。声に含まれている感情が分からない。
すごく嫌で複雑な気分だ。僕は先輩の事が好きなのに、別の子を勧められた。でも、先輩は僕に先輩のことを恋愛的に好きになって欲しくないのかもしれない。というかきっとそうだ。もう遅いのに。
何度も別の子を好きになろうとした。でも天真爛漫な笑顔をすべてをかっさらう。先輩以外を好きになれたらどんなに楽なんだろうか。
「私もあの子みたいな恋したかったなぁ……」
先輩は寂しげに呟く。その時、またガチャリと音がした。そこには晴川先生と、横田さんがいた。
「空本くん! 来たよー!」
来るなぁあああ!
「今日もやってるかな? 様子を見に来たよ。こんなに暑いのによく来るなぁ」
先輩は屋上入口の上へ飛んでいって座った。僕らを微笑ましく眺めている。
「どこ見てるの?」
「いや、別に。僕はちゃんと仕事してますよ。お気なさらず」
「そうかな? これ、僕からの差し入れです。じゃあねまたね」
先生は帰っていく。横田さんは帰らない。
「ちょっとおしゃべりしない? 私も屋上にいたい! なかなかないじゃん!」
「そうだね……。でも暑いからちょっとね」
僕は応じる。こういうタイプは断るより要求を少しだけ飲んだ方が楽だと姉から教わった。
「空本くんは宿題終わった? 私は英語終わったよ」
「全部終わった。面倒見がいい人がいてね」
「全部!? すごいね!!」
あぁ、早く先輩と喋りたい。今日はリバーシ持ってきたのに。
僕がどうにか横田さんを帰らせようとしても、先輩は僕の口を塞いだり耳元で、青春しろよ青春しろよ……、と囁いたりする。僕はあなたと青春したいのに。
結局、昨日と同じく横田さんと帰らされてしまった。
夏休みが始まって十四日目
今日こそはと屋上に入ろうとするとカギが開いていて、嫌な予感がしつつも開けたら横田さんがいた。そして先輩が横田さんの隣に座っていた。
「あ、空本くん! 待ってたよ!」
無邪気に僕と先輩の時間の終わりを告げる。先輩はニヤニヤとこちらを見ていた。
相変わらず僕が横田さんに何か言おうとすると口を塞いで、たまに叩いたりキックしてきたりする。こんなに僕と横田さんをくっつけたいのかと悲しくなった。
「ねぇ、空本くん。これ踊ってみない? 誰もいないしさ。私これずっとやってみたかったんだよね! お願い!!」
見せてきたのは、先輩と踊ったダンス。
「ごめん、僕めっちゃ運動音痴で、ダンス苦手なんだ」
夏休みが始まって十五日目
とうとう僕と先輩の夏休みの半分が終わってしまう。今日こそは先輩の静止を振り切ってでも横田さんに来ないで欲しい旨を伝える。もう生徒会のしがらみとかどうでもいい。
昨日と同じように扉を開ける。横田さんが待っていた。
「空本くん、こんにちは」
昨日よりも元気がないように見える。そして横田さんはもじもじしだした。
「ごめ……、上手く言えないかも……。私ずっと、空本くんが好きだったんだ……! よかったら付き合ってください!!」
横田さんは深々と礼をして僕に右手を差し出す。僕は人生で初めて告白された。
屋上で、先輩がいるところで告白されたくなかった。僕の返事は決まってる。
「ごめんなさい。好きな人がいます。付き合えません」
僕も礼をした。横田さんより、深く、深く。
「そっかぁ……。ありがとう!」
横田さんは急いで屋上から出ていく。先輩が近寄ってきた。ひたすら僕の頭を撫でる。
「そうかぁ、いらんお世話焼いてごめんね」
「いいんですよ……。そういえば、あの子の紹介全くしてなかったですね。横田恋香さんです。同じ生徒会で、バレー部の」
「バレー部かぁ……。あの子見る目あるなぁ〜。でも相手が悪かったね」
先輩はひたすら僕の頭を撫で続ける。僕の好きな相手が、あなたであることに気づいているのだろうか。
夏休みが始まって十六日目
雨が降っていた。それも土砂降りで、仕方ないから傘を持って屋上に来た。
「おお……来ると思ってたけどやっぱり来るんだね」
濡れない先輩は僕を出迎える。暗雲の中にセントセシリアの髪飾りが一つ咲いていた。
「去年も来たでしょう」
「今年は皆勤賞だね。最終日に賞状授与しよう」
今日は濡れて床が座れないので、立って雑談をする。他の人から見たら異様の光景だ。でも僕にとってはかけがえのない光景だ。
突然、ガチャリと音が鳴る。これ以上聞きたくない音だった。振り向くと、晴川先生がドアノブを握っていた。
「まさか今日もいるなんて……。何をしているんだい?こんな土砂降りの中で突っ立って……」
晴川先生は呆然と呟く。僕は誤魔化す言葉を考えるけれど、上手くいかない。
「……ちょっと相談室まで来なさい。待っているから」
ガチャリと閉まる。先輩は僕の肩を叩いた。
「今年はよくデートを邪魔されるね。残念だなぁ」
「デートって……。ようやく横田さんから逃れられたのに。だって、明日から盆休みなんですよ?学校が一週間開かないんです。会えないなんて……」
先輩はまた笑顔を貼り付ける。それがどうしようもできないのが悲しい。
「いつものに戻るだけだよ。あっ、今日はもうそのまま帰りなね。さすがに雨降りの中おしゃべりは難しいさ。雨音の合唱で、君の声がよく聞こえないからね」
ひらひら手を振る。そしてふわふわ飛んで扉の横に降り立った。
「さぁ行きな。一週間後、待ってるよ」
どうにか抵抗しようとしたけれど、先生に不審がられて屋上の立ち入り許可がもらえなくなったら困る。
僕は先輩に礼をして、上靴を拭いて、屋上から立ち去った。
「お、来たね。そこに座って。このお菓子は好きに食べていいから」
晴川先生は煎餅類が入った皿を差し出した。僕は一つ取って口に入れる。
「なぁ空本君、何か悩んでいることがあるのかい?」
「悩んでいること……? 進路とかですかね……?」
「屋上によくいる理由を教えてくれないか? 去年もずっといたって噂だけど、ただ屋上が好きなわけじゃないんだよね?」
晴川先生は真っ直ぐに見つめてくる。もしかして僕が飛び降りるのではと心配しているのかな?
実は好きな人が屋上にいるんですなんて言えない……。
「あの、質問に答えてはいないんですけど、この学校七不思議とかあったりしますか? 例えば……屋上に住む幽霊とか……」
流石にこの訊き方は不審だな。しかし晴川先生の目が見開いた。
「もしかして、屋上に幽霊がいるのかい?」
急に僕の心を読んできた。バレた、そういう反応をしてしまった。どうしよう。
「その幽霊は、ピンクの薔薇の髪飾りをつけた少女かい?」
晴川先生はすごい剣幕で詰め寄る。なんで、なんで知っているんだ。僕だけが知っているはずなのに。
「そ、うですね。名前は教えてもらってないけど、女の子が、います。この学校の高校一年生らしいんですけれど……」
晴川先生は力無く椅子に座って呟いた。
「そういう事だったのか。彼女はずっと屋上にいたのか」
「知っているんですか!? あの子のこと」
僕は自分でも驚くくらい机を叩いて晴川先生を問い詰めた。晴川先生は腕を組んでぽつりぽつり真実を口にし始める。
「彼女の名前は、
頭の中が真っ白になる。あの人が?雨雲を吹き飛ばすようなあの人が?
「飛び、降りた? それ、自殺ですよね……?」
「そうだよ。僕は当時、教科担任でも顧問でもなかったから、彼女のことをあまり知らなかった。快活な少女だったらしいよ。でも、彼女の部活のバレー部でいじめにあっていたようで、加えて進路にも悩んでいた。忘れもしない。文化祭の次の日の、快晴の日だったよ。彼女があの高い屋上から飛び降りたのは。怖かっただろうなぁ」
先生は悲しげに俯く。僕は微動だにできない。じゃあどうやって先輩は天真爛漫に笑い続けているんだ。じゃあどうして泣き叫ばないんだ。
「彼女は、死んでいないんだ。ずっと植物状態で、面会ができない。意識が屋上に閉じ込められているのかもね」
死んでいない、その事実に僕は少しの希望を見出す。でも、僕は植物状態というのがどういう状態か知っている。奇跡が起きない限り、目を覚ますことは無い。
「彼女が飛び降りるまで、屋上の柵はあんなに厳重じゃなかったし、一年中解放されていたんだ。彼女の事件があって、二年間屋上は閉鎖されていた。でも多くの人の要望で、文化祭だけは屋上が開放されるようになったんだ」
「それで、屋上整備員が発足したんですね。先輩は、ずっとひとりぼっちだったようです。それで、見える僕は彼女のところに遊びに行っていました」
「そうだったのか。ありがとう。僕らは、教師達は、空野さんを守れなかった……。彼女にどう謝罪すればいいのかわからない……。お願いだ。少しでも空野さんとと一緒にいてくれ…。君にしかできないんだ。身勝手なのは分かってる」
晴川先生は机に手を付き頭を下げる。別にお願いなんかされなくても、僕は屋上に通い続けるのに。
「大丈夫です。僕は屋上が開いている間はずっと通います。空野先輩に、身勝手だけどどうしても伝えたいことがあるんです」
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