夏休み
一日目から五日目まで
夏休みが始まって一日目
僕はノートと問題集と飲み物を屋上の床に展開した。すごく書きにくいけれども机を持ってくる訳にもいかないので去年から我慢している。
「先輩、ここの部分教えて。……先輩?」
彼女はふわふわと浮きながら目の中のぐるぐるマークをくるくる動かしていた。
「円の公式……? 数列……?」
「え? 先輩、わかんないんですか?」
「うるさいやい! 習ってないだけだもん!!」
「へぇ〜。先輩って高一なんだぁ。先輩に関する情報、初めて自分からゲットしました」
僕は去年、どうしても謎の少女である先輩のことを知りたくて、あらゆる手で訊きだそうとしたが、どうしても僕に自分の情報を教えてくれなかった。
分かっていることは、屋上にいること、この学校の生徒であったこと、つけている髪飾りの花が好きなこと、そして今ゲットした高一であること、だけだ。
この学校の七不思議とかを調べようと思ったけれど、「そんなのずるい!!」とインターネットを使うことを制限された。
もしこのようなずるい手を使ったら、少し嫌いになると言われた。そしたら僕は彼女の言うことを聞かざるをえない。
「じゃあ先輩って呼ばなくてもいいですか?」
「だめです。私は先輩です。ほら、ちゃっちゃっと解きなさいよ」
先輩は腕を組んで屹然とした態度をとる。僕はとにかくペンを動かした。
「暑かったら言ってね。抱きしめてあげよう」
先輩の身体は冷たい。腕も、足も、唇でさえも。
だから去年は温度を下げるために後ろから抱きしめられたりしていた。
僕は立派な男子高校生で、標準的男子高校生だ。女子と目が合ったら好きになってしまうような、普通の。
男子高校生は女子に抱きしめられたら、その子を意識するなと言われても無理だ。例え、それが幽霊であっても。加えてこの屋上には僕と先輩の二人だけだ。先輩についての情報は分からないのに、先輩の可愛いところも、変なところも、去年知ってしまった。
もうどうしようもない。僕は、先輩のことが好きだ。
「何見てるの? 見惚れちゃった?」
「いや別に。なんとなくですよ」
去年、文化祭の時に絶対に叶わない想いを打ち明けようとした。でも、初めての緊張のせいで小さく呟くようになってしまった告白は、あっけなく打ち上げられた花火に掻き消された。
あとはラブコメによくある通り、我に返って僕の告白は失敗に終わり、僕と先輩の夏休みが終わってしまった。
この日を、また逢える日をどれだけ待ち望んだか分からない。でも、告白はできない。よくよく考えなくてもわかるけど、先輩は幽霊。付き合うことを抜きにしても、きっとこの気持ちを受け取ってはくれない。その後どう接すればいいか、僕は分からない。
だからせめて、最終日。今年は必ず花火よりも大きな声で打ち明ける。
「なぁ開青くんよ。今更だけど、君ってどっか遊びに行かないの? 毎日来てよとは言ったけど、友達優先でもいいんだよ? 泣くけど」
「学校が空いてない日は普通に遊んでますよ。それ以外は屋上整備員の仕事あるので」
「嘘つき! 屋上整備員の仕事するのは最初と文化祭直前だけでしょ!!」
先輩はビシッと僕を指さす。僕は見ないふりをして解きまくる。先輩は飛べるのに僕のノートの目の前に正座した、と思ったらノートに覆いかぶさった。僕は驚いて仰け反る。
「暇だよぉ〜開青くん。去年はまだ教えられたのに、今年は教えられないんだけど〜。まぁいつもに比べたら、話し相手がいるだけ全然マシだけどね」
そしてノートの上でジタバタしだす。でも僕にとってはなんの問題もない。先輩は不満そうな顔をして起き上がる。ノートはクシャクシャになっていない綺麗なままだ。
「今年も触れないや。君には触れるのに」
僕のペンケースを指で弾いて、つまらなそうに呟いた。ペンケースは微動だにしない。先輩の指が無常にペンケースを通過した。
「先輩って結局なんなんですか? なんで僕だけに見えるの? 僕がおかしいんですかね」
「おや〜? 去年の話忘れちゃった? 私が何者か当ててみてって言ったでしょ! 開青くんはおかしくないさ。霊感が強いんじゃない?」
先輩は起きてふわりと浮いた。そのままあぐらを書いて僕を眺め続ける。先輩は思い出したように口を開いた。
「そうだそうだ。私、開青くんがいない間にいろいろ試したの。でも結局出られなかったよ。屋上から。見えない壁があるみたい。床にも側面にも」
先輩は浮いたまま体を横に倒して屋上をごろごろと転がる。僕はようやく目標の数だけ問題を解き終わったので、先輩の方に目を向けた。
相変わらず不貞腐れた態度でごろごろ転がっている。
「まぁまぁ、今年も僕がいますし、色々おしゃべりしますよ。何から訊きたいですか?」
「じゃあ最近の流行りものについて教えてよ! 勉強してきてるでしょ?」
去年と同じセミの鳴き声とグラウンドから聴こえる部活の声援に包まれながら、先輩と和気あいあいと雑談を始めた。
「なるほどねぇ。今はチョコマシュマロとしっとり系のクッキーと氷タンフルが流行っていると。去年もそうだったけど、君は流行りものに疎いねぇ〜。勉強してきてよぉ」
僕はまったく流行を知らない。だから色々調べさせられていたら、あっという間に下校時間になっていた。今日は学校の都合上、午後からしか来られなかったけれど、もう少ししたら学校は一日中開くはず。先輩ともう少し一緒にいられるはず。
「分かりましたよ。明日までに勉強してきます。ほら、帰りのチャイムが鳴りました。僕帰りますね!」
「え〜!! 待ってよぉ〜!!」
先輩が僕の服をつかもうとするが、あっけなくすり抜けて腕が掴まれた。ひんやりとした柔らかい感触が伝わる。何度も言うように、僕は単純な男子高校生だ。
「ちょっと先輩! やめてくださいよ! 僕が男子高校生であることを! 先輩は忘れ」
「明日も来るよね?」
先輩は上目遣いで僕を見る。ずるい。ずるすぎる。僕はずるずるとしゃがんで顔を隠した。
「……明日までに流行を調べてくるって言ったでしょ……。何があろうと来ますから……」
先輩はパッと笑って手を振った。またあした! とか呟きながら。
僕は名残惜しいけど、僕はまた熱いドアノブをハンカチを使って開けた。
夏休みが始まって二日目
「ははーん、今はこの曲が流行っているんだね。リズムいいなぁ」
僕はちゃんと予習してきて、先輩に流行りの曲を聴かせた。
「ねね、これにダンスとかあったりするの?」
「あります。先輩ダンスならできますよね? 踊ってくださいよ」
「えー! 恥ずかしいから開青くんもやってよ。それならやる!」
先輩はひまわりのように無邪気に笑った。先輩のダンスが見れるのなら、己の恥などあってないようなものだ。全力でやってやる。
「じゃあこれやって見ましょうか。あ、これ二人でやるやつですね」
「ちょうどいいじゃん! やろうやろう」
体育評価Dの僕は頑張る。それでもかなりおかしな動きをしているらしく、先輩にケラケラ笑われた。結局、今日一日はダンスの練習に費やしてしまった。僕は汗だくになった。
「明日も来る?」
「明日から一日中学校が開きますけど、夏休み追加学習っていう訳わかんない授業があるので、午後から来ますよ」
「そっかぁ〜。懐かしいな夏休み追加学習。あれうざいよね。頑張れよ後輩!」
先輩はポンと背中を押した。なんだか明日も乗り切れる気がする。
夏休みが始まって三日目
「終わりました〜!」
「おつかれぃ! 待ってたよぅ。昨日のダンス復習してた! でも忘れてる部分もあるから確認しよ! そしたら二人で踊ろう!」
先輩はわくわくと踊りながら僕を歓迎する。ちなみに僕は、昨日帰ってからは勉強なんかせずに自室でダンスの練習をしていた。部屋を通りがかった姉に冷ややかな視線を送られた気がしたけど、そんなの知らない。
「僕もう踊れますよ。昨日練習したんで」
「そんなのずるいよ! 私だって練習できたんならしたもん!」
先輩は僕が出したスマホを食いつくように見て頷きながらダンスの練習をした。
「よしっ! できる! じゃあやってみよう!」
腕を掴み、僕は青い空の下に連れてかれた。
「音楽再生! よーい! スタート!」
僕と先輩は、太陽だけに見守られながら二人で踊る。先輩は見たことないぐらい楽しそうで、僕は自分がどんな顔をしているのか分からないぐらい高揚した。
何回か先輩も僕も振り付けを間違えて、二人でまた動画を見て学んで、もう一度実践をする前にチャイムが鳴った。
「じゃあ明日こそ完璧にやろうね」
「もちろんですよ。先輩もちゃんと復習してくださいね」
「もう覚えたから大丈夫! じゃあまたね」
先輩が手をひらひら振ったのを確認して、扉を閉めた。
夏休みが始まって四日目
「今日も来ましたよっと……、先輩?」
いつも先輩は出迎えてくれる先輩が出てこない。あの人どっか行けないんだけどな……。
「ばぁ〜!!」
上から先輩が降ってきた。いつも先輩といる時はドキドキしているが、今回のドキドキはいらない。
「びっくりしたね? 嬉しいなぁ。いつもいつも反応がよくて楽しいよ私は」
先輩はふわふわと浮いてくるくる回っている。
「あんまりひどいと僕帰りますよ。ダンスの練習はしましたか?」
「もちろんだよ。めっちゃ踊れる」
先輩は自信ありげにブイサインを作った。
「なら、撮ってみましょうか。スマホ置いて」
先輩の頭上に疑問符が浮かんだのが見えた。
「え? たぶん私映らないよ?」
「映る映らないじゃなくて、一緒に踊って撮ったっていう事実が大事なんです。ほら、やりましょう」
僕はスマホの録画ボタンを押して赤くした。先輩は嬉しそうにふわふわ浮きながら、僕と一緒に踊った。
太陽だけが僕らを見守る中、何度も踊って、ようやく満足できるダンスができた。その時僕と先輩はできるだけ強くハイタッチした。
夏休みが始まって五日目
「こんにちは……。来ました……」
「あらぁ? げんなりしているね。今日で追加授業終わるんだよね? どうかしたの?」
先輩は心配そうに眺めてくる。僕は悩みの種である紙切れを出した。
「進路希望調査?」
「そうです……。僕は夢なくて……」
昔は沢山夢があった。サッカー選手になりたいと願った。けれど現実は簡単にそれを否定した。僕は今日渡された進路希望調査の紙をひらひらと力無く振る。
「じゃあ今日は私と将来について語り合おうじゃないの!」
先輩は朗らかに笑うが、僕は一つの過ちに気づいた。
先輩には将来がない。僕がしたことはあまりにも先輩に対して失礼じゃないか?
「あ! 将来がない先輩にこの話はキツくない? って顔してる〜!」
先輩は楽しそうに言い当てた。僕は固まる。
「別に気にしてないよ!私も未来があるかもの話しがしたいし!」
「どういうことですか?」
「気にしなくていいよ。生き返ったらの話」
こんな感じに誤魔化されてしまったら意地でも教えてくれないことは去年学んでいる。僕は唸りながらも、先輩と一緒に将来について語り合った。
「私はね〜可愛いお嫁さんになりたかったんだ〜。高校生時代にたっぷり青春して、誰かと恋してキスをして。きゃー! 恥ずかしい!」
先輩は顔を覆い隠す。頬は赤く染められないようだった。
「僕は、人助けができる仕事がいいなとは思っているんです。好きな人を助けられるような」
「すごくいいじゃないの。君と結婚できる人は幸せだねぇ〜」
好きな人を助けられる、先輩を助けるには、どうしたらいいんだろう。ずっと太陽のように笑っていられる先輩を、屋上から連れ出すには僕は何になればいいんだろう。
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