第9話

 疲れてバルコニーに出ると、丁度ベンチが空いていた。良かった、と座り込むと足が痛い。ヴォロージャが一通り踊らせてきた所為だ。誰にも取られないように、自分も捕らわれないように。しかし今は淑女たちと一緒に過ごしている。そのぐらいなら嫉妬もしないのが私だ。妾でも良いから王子に取りつきたい人もいるんだろう。もっとも、ヴォロージャがそんなもの欲している訳はないけれど。

 あのお母さんに育てられたらそんな事は考えつかないだろうし、もしも子供が出来てしまったとしたら妾と王妃の立場が逆転するかもしれない。そんな危険なことはすまい。だって私が好きだから。その信用を失うようなことは、しない。


 私のこの鉄壁の信用に対し、ヴォロージャはまだちょっと自信のない所がある。まったく仕方のない王子様だなあ。好かれることに慣れているから、そんな心配をする。私とは違う。好いて好かれた事のない同士なのだ、私達は。だから一緒に居ると安心する。好いて好かれて、安堵する。私はここにいるのに、ヴォロージャの方が遠いぐらいだ。あんなに囲まれちゃって。


「失礼、隣を良いかな? ローリィさん」

「へ? ああボリス様、 ええどうぞ」


 にっこり柔和な笑みを浮かべるけれど、吊り目が勿体ないな。人を化かす狐のようで、ちょっと信用できない。それにヴォロージャ曰く、恋愛キラーだったらしいから、自分にもちょっと警告が出た。近付きすぎ禁止。でも同じベンチに座っていたら、逃げも隠れも出来ない。


「あなたから殿下に嫉妬することはないのかな? あんなに囲まれているのに、随分と余裕で外に出たと見えるが」

「ヴォロージャは私以外を愛したりしないと、確信がありますから。現に今もこっちを見て、げって顔しましたよ。声に出すなら、『嫌な奴が来た!』とでも言いたげな」

「ははっ僕は王子に嫌われているからねえ。ねえ君、本当にヴォロージャが浮気することはないと思っているのかい? ヴォルコフ陛下なんて有名な浮名流しだったんだよ、学生時分に女子生徒五人に同時に手を出して、婚約者までいるのにって」

「ヴォロージャは私の為に七人を泣かせましたよ。数の上ではヴォロージャの勝ちです。それに私が謂れのない差別を受けた時には、真っ先に反論してくださいますし。そんな人だから、好きなんですけれど」

「愛している?」

「恋しています」

「それは強い」


 愛は誰にでも振り撒けるけれど、恋は一人にしか捧げられない。だから陛下も土下座したんだろうし、妾も作っていないんだろう。王妃様が好きだから、王妃様だけを選び、一粒種の王子を得た。その王子にも恋愛教育をさせ、好き嫌いははっきり言えるようにした。

 だからってどうって事もない。当たり前にラブレターを貰い、それを捨てることに躊躇せず、私にとばっちりを与えた。となると面倒くさい人なんだけれど、好きだから許せている。愛せている。恋していられる。


「ちなみに私は今日はもう踊りませんよ、ボリス様。ヴォロージャに付き合わされて足が棒のようです。湿布貼ってさっさと寝たいぐらい」

「君はあまり貴族らしくないね」

「辺境育ちですから。向こうでは経済を学んでいる時間の方が圧倒的に多かったですからね。だからヴォロージャに家族になろうと言われた時は、驚いたものです。私にお茶会大好きな王妃様のようになれって言うのかと」

「ああ、彼女は彼女で我が道を行く人だから……」

「本当。でもその愛情には、救われてきました」

「口の端の傷も?」

「……まだ見えます?」

「ちょっとだけね。口紅と勘違いできる程度」

「ええ。私に嫉妬した生徒から受けた傷でしたが、泣いて心配してくださいましたよ。それからヴォロージャにお説教までして。頼りになる方です」

「あはは、あの人にも浮名はあったんだよ。『メドベージェワ家の癇癪玉』、ってね」

「ぷっ」

「ああ、笑ってくれた」

「え?」

「緊張からか、君、ずっと固い顔をしていたから」


 そうかなあと頬をふにふに引っ張る。それにしても癇癪玉、か。ヒステリックではないけれど、確かに王妃様に相応しいと言えば相応しい。


「私は浮名が付かないと良いのですが」

「そうだね、そうやって安全に学園を進級して行けたら万々歳だ」


 くふくふ笑っていると、女子達を掻き分けてヴォロージャがやって来るのが見えた。私が笑ったせいだろう、多分。他人と一緒に笑っている事なんて、限られた相手にしか許さない。それがヴォロージャの美点であり欠点。この恋に於いて。

 ベンチから腕を掴んで立たせる。まだちょっと足が痛い。でもここは彼を立てることにする。なんてったって私、婚約者だから。国中に知られている有名人だから。だから下手なことはせず、この人にしずしずと付いて行くのです。


 ぱた、とボリス様に手を振って室内に戻ると、談笑の時間は終わりかけていて、軽食も殆ど無くなっていた。ほら、とトマトとバジルのブルスケッタを渡されて、はむっと食べる。落とさないように落とさないように。あれ、美味しいなこれ。岩塩が効いてて空きっ腹に丁度良い。


「殆ど食べてないだろう、残り物だが食ってしまえ」

「ヴォロージャもでしょ? 一緒食べよ」

「うぐ」

「ほら、あーん」


 冗談のつもりで差し出したそれは、はぐっと食い取られる。まじか。そんなに腹減ってたのか。或いは見せ付けたかったのか。くつくつ笑うとホッとしたような笑みを返される。大丈夫。私は誰にも取られない。あなただけの、ローリィですよ。だからあなたも私だけのヴォロージャでいて下さいな。

 嫉妬の目なんて気にしない、私達になれば良いんだから。


「美味いな」

「うん。向こうのフルーツも美味しそうやな。片付けがてら食べに行こ」

「ああ、ローリィ」

「うわこのピッツァうまっ。冷めてても尚うまっ」

「お、ホントだうまっ。いや、良いもんだな」

「何が?」

「女子に邪魔されずパーティの軽食を楽しむって、今までなかったから」

「あら、うちは虫よけ?」

「違うけど人が寄って来ないからそれでも良いか」

「否定しきらんかい」


 けらけら笑ってフルーツに辿り着き、ドレスを汚さないようにかぶりつく。甘いオレンジは果汁たっぷり。ブドウは種無しで皮まで食べられる。二人っきりでそうしているのが、今はやっぱり幸せだった。ボリス様と話しているよりも、この方が、私達らしくていい。

 暴走特急になることも多いけれど、私としてはこうしてのんびりした時間を送るのも良い。笑い合って、好き同士でいられるのが良い。

 だから変な嫉妬はしなくて良いのよ、と、私はぶどうを渡す。そうなのかもな、とヴォロージャは恥ずかし気に一つ取る。


「ボリスに女子を取られなかったのは、これが初めてだ。やっぱり公言しておいて良かったな、婚約者」

「撤回もせんで良かったやろ?」

「確かに。お前には勝てないかもな、ボリスも」

「勝ち負けの駒にしなや。シツレーやで、ヴォロージャ」

「すみません」

「次やったらケツ蹴るからな」

「やめて! 公衆の面前で王子のケツ蹴るとか、俺のプライドが!」

「お互い高いからなあ。あははははは」

「笑ってない、目が笑ってない……」


 それでも私達は婚約者同士。胸を張って歩くのだ。

 恋して恋されているのだ。

 ちょっと強引で私を大事にしすぎる人だけど。

 私は別に、それで構わない。

 なんてったって、恋人なのだから!


 思いながらバルコニーの方を見ると、ボリス様の姿はもう無かった。と、きゃいきゃい声が響いて、ヴォロージャの取り巻き集団がボリス様を囲んで談笑しているのが見える。それが彼なりの、ヴォロージャに対する降参なのだろう。くふっと笑って、私はライチを食べる。広大な国だから、どんなフルーツもいつだって手に入るのは良いな。私、辺境伯家ではオートミールか腐りかけのリンゴだったし、食べ物。だからいまだにリンゴは好きになれない。別の理由もあるけれど。

 ヴォロージャも気付いたらしく。へんっとまだしっくり来ない軍服の胸を張っていた。可愛いなあ。格好良いって言ってあげるべきなんだろうけれど、可愛いなあ、まだ。


 いつかは格好良いとしか言えない王子様になってくれると良い。その日を楽しみに、今日は食べよう。あっでも私あんまり太れないんだった。まあ社交シーズンは特別と言う事にしておこう。ダンスで結構疲れたし。あー、マスカットもうまー。


「ヴォロージャ、これも美味いで」

「おっホントだ。こっちも行けるぞ」

「ほんま! はー、やっぱパーティー言うたらご馳走やんなあ」

「ロマンスがねーなお前は」

「一緒に梯子してくれる王子に言われたないわ」


 けらけらと笑う。

 ロマンス?

 日常に溢れ返って、あっぷあっぷしているわ。

 大体、素で話せん奴となんかどうこうなるかい。私は思いながら、焼き菓子の方に足を進めた。

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異国訛りの令嬢と王子の恋愛は邪魔されすぎる ぜろ @illness24

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