第8話

 グループは瓦解し私への嫌がらせは結局一度で済んだ。暫くはガーゼで頬を覆った登校が目立ったけど――部活の間は邪魔で仕方なかったから剥いでたけど――社交シーズンには、すっかり傷は目立たなくなっていた。

 そうして仕立てたドレスをメイドさん達に着付けて貰って、ちょっとだけお化粧もすると、ドアの前で待っていたヴォロージャが軍服姿でいる。ぴんっと背筋を伸ばしてまじまじと私を見てから。ぎゅっと抱きしめて来た。化粧が剥げる、と突き放したが、ご機嫌は止まらず、私をエスコートする形になっている。


 それにしても中等部からもう軍服着せられるとは、流石に王子。こっちも仕立てて貰ったオーダーメイドで、デザインは王様が行ったらしい。ブルーを基調にした上着は夏のカラッとした晴れ間をイメージしているとか。それから金の飾りに勲章。生きてるだけで貰える勲章もあるから、暫くはそれだけ。最近戦争は起こっていないから、もしかしたら在位中はずっとそうなのかもしれない。

 陛下も軍服姿、王妃様は夜会服。ほっそいよなあと思う背中がガラッと開いたものだ。私とはお揃いだけど、こんなにすらっとしてはいない。これで一児の母なんだから、すごい。


 ちなみに私が傷を作って帰った日には、やっぱり号泣された。そしてヴォロージャを叱った。ちゃんと付いていなくちゃダメでしょう、あなたの婚約者なのよ。他の誰でもなく、あなたが選んだあなたの婚約者なのよ。その通りだったので謝ったら、謝る相手はローリィちゃん! と修正されていた。いやもう大分謝られたんで良いです、と言うと、本当に? と覗き込まれて、はっきり言って王妃様の方が怖かったぐらいだけれど、そこは言わないでおこうと思う。

 様々な色の夜会服の令嬢たちは、私たちを見てひそひそと何か言い合っている。私は王家側だから混ぜて貰えないのは必然だろうけれど、それにしたってあからさまじゃないか。そんな私の夜会服はビリジアンブルーだ。ちょっとだけヴォロージャとお揃い感のある金のブローチを着けて、今日の為にレッスンして来たワルツも踊れる。もっとも私の相手は王子であるヴォロージャぐらいだろうけれど――一応婚約者を公言しているし――、存外にも、同い年ぐらいでやっぱり軍服姿の男の子が、手を出して来た。


「一緒に踊りませんか? 辺境伯令嬢」

「良いんですか? 私、まだステップに自信はありませんから足を踏んでしまうかも」

「構いません。こんな軽い身体、踏まれても痛くもない」


 ワルツのレコードが掛かると、同時に私たちは踊り出した。上手くリードしてくれるから、踊っているのが楽しいと思わされる。と、背中に感じる殺気は何だろう。否分かっている。分かっているだけに見たくない。あーもう、踊る嫉妬王子め。と、男の子が笑って見せた。


「あなたは王子に本当に愛されているようですね、ローリィさん」

「え、名前」

「この国の人間なら誰でも知っていますよ。新聞にも載りましたからね、王子の婚約者決定は。その王子がエスコートしてきた女性だ、すぐに分かる。名前通りの金茶の巻き毛、杏色の眼、実に美しい」


 歯が浮いた。こんなこと言われたのは初めてだ。お世辞だと分かっているけれど、ちょっと頬に熱が溜まる。思えばヴォロージャ以外の男子にそういう目線を向けられたのなんて、小学校の頃のラブレターぐらいだから、私にも耐性はないのだ。中学になってから美辞麗句を覚えた貴族のラブレターも読んでおけば良かった。でもそれは、さっさとヴォロージャが巾着に詰めてごみ箱に捨ててしまう。

 そう言う所だぞ、ヴォロージャ。そう言う所が私を無知にさせる。小さな頃からちっちゃなお見合いを繰り返してきたあんたとは、そこが違う。私はひたすら鍛錬しかして来なかったから、こう言う人に弱い自覚がある。ヴォロージャだって紳士だけど、今更私に美辞麗句なんて使ってこない近さにいるのだ。


 遠いからこその甘い囁き。背中まで赤くなってるんじゃないかと言う照れ。ああ恥ずかしい。なんでこんな人と踊っているんだろう、私。


「あの、お名前は」

「ボリスとお呼びください」

「ボリス様。私にも恥じらいはありますので、あまり過度の美辞麗句を頂くわけにはまいりません」

「でも事実ですよ。あなたはとても美しい」

「だから」

「王子から奪い取ってしまいたいほどだ」


 それは絶対に止めといた方が良い。と言う直前で、腕を掴まれ引き寄せられた。ヒールの無い靴で良かった、こけて思いっきり軍服に顔からダイブするところだった。

 殺気を発していたのは、言うまでもなくヴォロージャだ。じろっと睨み上げられるボリス様は、五センチぐらいヴォロージャより背が高い。と言う事は私よりは十センチは高かったのだろうか。だからこそ余裕のリードが出来たのかと思うと、自分の身長よりもヴォロージャの身長を気にしてしまう。これ以上伸びるだろうか。中一としては平均的な身長だけど、二年三年と順調に更新して行けるだろうか。私はそろそろ止まる頃だ。女子の成長期は僅かで短い。


「ボリス。紹介もまだの淑女を強引にダンスに誘うのは失礼だと思わないのか」

「そう言えばまだ自己紹介もしていないのでしたね。ボリス・メドベージェフ、殿下の母方の親戚筋に当たります。どうぞお見知りおきを」

「ローリィ・ド・ツォベールと申します。改めて、よろしくお願いいたします」

「よろしくしなくて良い」

「え」

「俺がちょっとでも気に入った女性は、みんなこいつに取られて来たんだ」


 女性を物のように言うな。って言うか今までにも惚れた腫れたあったのか。まあ化粧してる女性はみんな綺麗に見えるしね。それでぽーっとなったところを、ボリス様に奪われてきたと。思うとくすくす笑えてしまった。向かうところ敵なしの王子様の天敵。しかも王妃様の血筋。なるほどと思わされる。確かに似ている、何と言うか、静かにヴォロージャに掛ける圧が。


「来い、ローリィ。みんなにお前を紹介する」

「は、はーい。それではボリス様、また」

「ええ、またワルツを」

「踊らなくて良いッ!」


 がう、と猛犬のように噛み付く姿がちょっと可愛い。王座に座っていた陛下が立ち上がると、レコードも針を外され静かになる。

 そして王妃様が、私とヴォロージャをその前に出すように背を押した。


「先日公示された、ウラジーミルの婚約者、ローリィ・ド・ツォベール辺境伯令嬢である。我々の新しい家族だ。無礼のないように」


 スカートを持ってぺこりと頭を下げると、いつもより気合を入れられて巻かれた髪が頬の方に落ちてくる。簡単に後ろでまとめただけでも、この髪はボリューミィだ。

 その髪をヴォロージャが取り、ちゅ、とキスをして私の肩に掛けさせる。顔を上げると、やっぱり頬に熱が溜まった。こんなご歴々皆様方の前で何してくれてんだ。殺気出してる女子もいるぞ。私は犠牲になりたくない。


「ほう、先ほどうちのボリスと踊っていたご令嬢じゃないか。浮気はいけないよ、お嬢さん」

「あら叔父様、私の教育に間違いはありませんわよ。ヴォロージャはローリィちゃんが大好き、ローリィちゃんもヴォロージャが大好き。ちゃんと二人は清いお付き合いをしています。それより八回も浮気なさって奥様に捨てられかかった叔父様はいかがですの?」

「ぼ、ぼちぼちしているとも」

「あらそれは素敵。ヴォロージャは女の子泣かせだけど、それはローリィちゃんに限った結果のことだものねー」

「流石は殿下に嫉妬させる女性。随分と愛されておいでだ」


 ボリス様の言葉に、もう私は消えてなくなりたくなる。でもそれじゃあ隙あらばヴォロージャを取り巻こうとしている女子たちのなすがままだ。それは嫌だ。ボリス様が何を言っても、ヴォロージャは威嚇の殺気を止めないだろう。社交界デビュー・即破談! なんてことは、私だってしないのに。信用がないのか、警戒心が強すぎるのか、どっちだろう。

 と、今度はロンドが掛かる。ヴォロージャは強引に私をその輪の中に押し込んで、自分も入って来た。お互いステップは拙いけれど、リードされているよりそのたどたどしさが可愛くて、私はくふふっと笑ってしまう。


 しかし信用がないのは問題だな、と私は考え込む。

 ちゃんと好きだって言ったのに。

 こんなに愛されてて。まったく本当、溺れそうですよ、私は。

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