無敵の人にも涙

脳幹 まこと

無敵の人にも涙


 とある建物で立て籠もり事件が発生した。

 犯人のS氏は失うものなど何もない典型的な「無敵の人」だった。

 警察からの取引に応じる素振りはなし。

 建物内にいる人らと無理心中することが唯一の目的だという。


「俺を生み出したこの世界に復讐してやる! ここにいる奴らはその尊い犠牲だ!」


 建物には3000人もの市民。この日の23時59分、フロア内全域に自家製の猛毒ガスがばら撒かれるとのことだった。

 事件の三日前、謎の人物が「新型屠殺ガスのデモ」と称した動画を投稿していた。そこには、森に放たれたガスが、鳥獣や植物を瞬く間に殺していく衝撃的な光景が記録されていたのだ。

 事件発生と同時にS氏本人から、自分が該当動画の投稿者であるとカミングアウトがなされ、場内に戦慄を与えたのである。

 その様子は大々的に報じられ、視聴率は40%を超えた。間が持たないところは、心の闇とか専門家のトークショーでしのいでいた。

 警察や彼の関係者が様々な交渉を試みるもダメだった。彼は無敵だった。


「540、539、538……」


 一向に話が進まないまま、遂に23時50分を迎えてしまった。

 事態は秒読み段階となり、有頂天になったS氏は長めのカウントダウンをし始めた。

 迫る期限。



「ここまで来たら、アレしかない」


 現場での指揮権を持つR氏は最終手段に動く。

 R氏の部下は言った。


「そんなことをしたら、S氏の命は……」


 R氏は目一杯渋い顔をしながらこう言った。


「大いなる力には大いなる責任が伴う。やむを得ないことだ」


 S氏が自家製の猛毒ガスを作っていたように、警察側にも試験的に作られた交渉用の最終兵器があったのだ。

 人道を守りながらも、無敵の人すらもほぐす一手が。


「100、99、98……くっくっく、もう終わりだなあ!!」


 哄笑しながらカウントダウンを進めるS氏。


 そんな彼の目の前に一人の女の子がやってきた。

 彼は怪訝な顔をしたが、すぐに無視をした。あと1分で片がつくのだ。

 誰の子供かは知らんが、親と一緒に逝けるんだからいいだろ。


 女の子は更に進んでくる。

 彼は多少無理をしてでも無視を続ける。


 彼女が口を開いた。


【おじちゃん――お腹痛いの?】


 男が固まった。

 苦しそうに胸を押さえてうずくまる。

 そんな彼の背中を女の子がさする。


【痛いの、痛いの、とんでけぇ】


「うわああああああああ!!!!!」


 男は涙を一滴流し――爆発した。



 その一部始終を見ていたR氏は呟いた。


「やはり、耐え切れなかったか。《原因は分からないがとりあえず苦しむ大人を気遣って心配したり痛みを取ってあげようとする子供》の健気さには」


 無敵の人の無敵さの源とは、すなわち愛に対する無知なのだ。

 知らないからこそ、知ろうとしないからこそ、好き勝手に、残虐に振舞える。

 そんな彼らに意図的な愛は決して通じない。

 与えるべきは、無知の愛なのだ。彼らは人は愛さないが、人以外を愛することは割と多い。

 動物や植物が与える、健気な、原始の愛こそが、彼らを溶き解す。それをコンセプトにこの最終兵器は作られた。


 試験的に作られたその子供――正確には子供型ヒューマノイドは、周波数や揺らぎ、精神力学などが考慮された特殊な声を持ち、エモさが人間の1000倍になっている。

 いかに無敵の人であろうと、精神を溶解されて爆発する運命なのだ。


「ふっ……」


 R氏は爆発した。


 上司の末路を見て、部下は恐ろしさを覚えた。

 もしかして、我々は――とんでもない見落としをしてしまったのか?

 よく考えてみれば、無敵の人でさえ爆発するほどの力に、良心を持つ一般人が耐えきれるはずもない。

 PCの画面には、3000の人質が次々に爆発していく様が映っている。


「大いなる力には大いなる責任が――」


 彼もまた、爆発した。


 人間のいない建物内に、猛毒ガスがばらまかれた。

 鳥も虫も花もみんな死んでいった。


 そして、何千万の視聴者も全員爆発した。


 0時になった。


 いるのは、ひとりの女の子だけだった。


 彼女があくびをすると、目じりに涙がちらりと見えた。

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