第4話


午後になり、ルカとソーニャは再びキッチンに立っていた。

そして今は、エプロン姿になったエリーゼも一緒だ。体調もずいぶんと回復したようで、エリーゼは腕まくりをして意気込みながらルカたちを振り返る。

「じゃあ、始めましょうか」

そう告げたエリーゼの手元には、あのレシピが書かれたノートがある。

ルカたち3人はお菓子作りに取り掛かった。

あの後、ルカは真実をエリーゼに話して聞かせた。エリーゼは最初こそ驚きを浮かべ動揺を見せたものの、思っていたよりもずっとすんなりと事実を受け入れたようだった。何かを決心したかのように顔を上げると、「あのお菓子を作る」と宣言したのだ。

それは、クレハのために作るお菓子だった。よかったら一緒に作らないかという誘いを受け、ルカたちもこうして今一緒にキッチンに立っている。

「えっと、薄力粉にバター……それから卵。えっと、鍋はどこにあるんだったかしら」

エリーゼが眉間にしわを寄せながらレシピを読み上げ、材料を調理台の上に並べていく。調理器具を見つけるのにも、棚をあちこち開けている。まだ料理というもの自体に慣れていないようだった。

「私、薄力粉測りますね」

手伝おうと、ルカは薄力粉の袋に手を伸ばす。

「ありがとうございます。薄力粉は150グラムみたいです」

エリーゼが棚から見つけ出した測りをルカの前に置く。

「わたし、卵割りたい!」

ソーニャが手を挙げながら言う。

「ソーニャ、卵割れるの?」

ルカが聞くと、ソーニャは胸を張って堂々と宣言する。

「わかんない!」

恐らく割り方がわからないという意味ではなく、記憶がないから自分ができるのかどうかもわからないということだろうとルカは考える。

とりあえずやってみようということになり、ソーニャが卵をひとつ手に取って割ってみる。ルカがなんとなく予想していた通りに、ソーニャは盛大に失敗した。

「せっかうだから、もう1回やってみましょう」

エリーゼが優しく声をかけて、ソーニャに卵の割り方を一から教え始める。ルカはその姿を隣で見守りながら、いつかこうやって自分の子どもに料理を教える日がエリーゼにやって来るのだろうかと想像した。

料理初心者3人のお菓子作りは慌ただしくも、進んでいく。

「クレハは……どんなふうにお菓子を作っていましたか?」

ふとエリーゼに尋ねられ、ルカは自分が見た光景を思い起こす。当時のクレハは今のエリーゼと同じくらいの歳だったのかもしれない。思えば、クレハの手つきもそこまで慣れたものではなかった気がする。

「必死でしたよ」

そう答えながら、エリーゼに目を向ける。ボウルを抱えて一生懸命に材料をかき回す姿が、若い頃のクレハと重なって見えた。

「でも、どこか楽しそうでした」

お菓子を作りながら、かすかに頬を緩ませていたクレハの横顔を思い出す。

「あれは、きっと食べる人のことを想像していたんだと思います……」

感じたままの素直な想いを口にすると、エリーゼもあのときのクレハと同じような顔になる。

「そうですか……なんだかわかる気がします」

そう返したエリーゼは、今クレハのことを想像しているのだろう。そして、いつか生まれてきた子どもの顔を思い浮べながら、このお菓子を作る日が来るのだろうとルカは思った。



 お菓子ができあがり紅茶の準備も整ったところで、広間に運ぶ。

お菓子を作っていたことは、サプライズにするためクレハには内緒にしていた。誰が呼び出すかを話し合って、その役目はソーニャにお願いすることにした。

ソーニャに促され、広間にやって来たクレハは、テーブルの上にあるお菓子を見て目を丸くした。

「これは、どういう……」

 呆然としたままのクレハに、エリーゼが答える。

「クレハに食べてほしくて、3人で作ったの。クレハのように上手く作れてはいないかもしれないけれど……」

その言葉でクレハは、エリーゼが真実を知ったのだと察したらしい。クレハと目が合ってしまい、ルカは肩を竦めることで謝罪の気持ちを示した。

「さあ、座って! みんなで食べましょう」

それでもエリーゼの笑顔を見て、その想いを汲み取ったようだった。クレハが席についたのに続いて、ルカたちもお菓子を囲むようにして腰を下ろす。

「いただきます」

全員で手を合わせたものの、クレハに一番に食べてもらおうと、ルカたちはすぐにはお菓子に手をつけなかった。ルカは紅茶に口をつけ、ソーニャは反応を楽しみにするようにクレハのことをじっと見つめている。

クレハがナイフで丸く焼かれたお菓子を一口大に切る。サクッという音が立ち、バターの香りがさらに広がった。

少しだけ緊張した面持ちで、クレハがお菓子を口に運ぶ。

「……どう?」

クレハよりもっと緊張した様子で、エリーゼが顔を覗き込む。

「……美味しいですよ、とっても」

そう答えたクレハは、とても優しい顔をしていた。



日が傾き始めた頃にエリーゼの邸宅を出たルカとソーニャは、次の目的地へ向けて汽車へ移動するため駅を目指した。

エリーゼに、とある魔女を探していることを話すと、知り合いの伯爵から聞いたという情報を教えてくれたのだ。どうやら東の村に突然やって来て、住民たちに魔法について教えている魔女がいるらしい。その魔女というのが、ルカが探している人物かはわからない。それでも、他に情報や行く当てもないので、必然的に次に向かう場所はその村に決まった。

ホームに着くと、乗車予定の汽車がまもなく出発しようとしているところだった。

「ソーニャ、急いで!」

 汽笛が鳴ったのを聞いて、ルカがソーニャを急かす。ソーニャは売店で買ったお菓子を抱えながら走ってルカの後を追う。

 2人が乗り込んだと同時に汽笛がもう一度鳴り響き、汽車が動き出した。

 車内は思ったよりは空いていて、ボックス席に向かい合わせになるようにルカとソーニャは腰を下ろす。

 窓の外を景色が流れ、都会的な街並みが離れていく。大きな鉄橋を渡り切ると、景色は一変して見渡す限りの麦畑が広がった。西の空に沈み始めた夕日を受けて、穂が波打つように黄金色に輝いている。

 ルカが静かにその美しさに目を細めている向い側で、ソーニャは窓の枠に手をかけるようにして景色を見ていた。

「わあ、きらきらしてる。あんなに綺麗なのに、美味しいお菓子にもなるなんて不思議だよね」

ソーニャはしばらく麦畑を眺めた後で、席に座り直すとノートを広げて文字を書き始めた。どうやら、ソーニャは最近日記のようなものを付けているらしい。

「ねえ、ソーニャ。ソーニャは、自分の過去を知りたい?」

前にも聞いたことはあったはずだが、改めて気持ちを確かめたくなって尋ねてみる。

「うん、知りたいよ。わたしはなんだって知りたいもん」

その口ぶりはまるで、どうして空は青いのか、どうして太陽は西に沈むのかとか、そういったことを知りたいと言うのと同じように聞こえた。ソーニャの本当の気持ちには手が届いていないような気がする。ソーニャ自身もわかっていないのかもしれないと、そんなふうに考える。

「ルカは?」

「ん?」

「ルカは、まだ“愛”って言葉、取り戻したい?」

ソーニャがノートから目を上げて、ルカと視線を合わせる。それからソーニャは続けた。

「わたしはね、別にそんな言葉がなくても、ルカは大丈夫だと思うんだ。だって、あのレシピに愛なんて言葉、ひとつも書かれてなかったでしょ」

「……そうだね。伝え方はいろいろある」

愛という言葉を使わなくても人はそれを伝えれられる。

「わたしはね、お菓子が大好きだよ。キャンディで殴られても痛くも痒くもないし、グミで縛られても全然へっちゃら」

「ふっ、なにそれ」

ファンシーなのか物騒なのかわらかない伝え方に、ルカは思わず笑みをこぼす。

ソーニャが差し出した棒付きのキャンディを受け取りながら、ルカは自分から言葉を奪った魔女のことを考えた。

かつて、ルカはその魔女に愛を伝えようとした。けれど、それを聞いた魔女はルカからその言葉を取り上げてしまった。

どうして。ルカは、その理由を考えた。そして、きっと自分の愛を疑われたのだという答えに行きついた。

もし、愛なんて言葉を使わなかったら。もっとそれが明確に伝わる言葉を使っていたのなら。こんなことにはならなかったのだろうか。

苦々しい気持ちがこみ上げてきて、口に入れたキャンディから甘さが薄れていく。

「……雲ってどこから来て、どこに行くんだろうねぇ」

ソーニャののんびりとした声がルカの耳に届く。ソーニャの関心は、もう別のことに向いていたようだ。ソーニャにつられて、ルカも窓の外を見た。

 空を流れていく雲を見つめながら、どんな言葉を選べばあの美しさが伝わるのだろう。考える。ソーニャだったら、なんて言うだろう。そう思い、ルカはソーニャに顔を向ける。

すると、ソーニャはさっきまで雲に見惚れていたはずなのに、今はもう眠りこけていた。相変わらずの速さに、ルカは苦笑をこぼす。

「ソーニャこそ、どこから来たの……?」

穏やかな寝顔を見つめながら、声に出してみる。答えはあるはずもなく、ルカは諦めて息を吐いた。それから窓に近づくと、少しだけ身を乗り出して景色を眺めた。

風を受けて、髪が揺れる。線路は麦畑の傍を延々と伸びている。

次の目的地まではまだ遠い。

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コトノハノ 瀬戸みねこ @masutarooo

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