20.オルレアの咲く頃に

 翌朝、本宮殿にある国王の執務室にやって来たのはカーラだった。


「エレーヌ様がお待ちです」

「……元気になったのなら、伯爵家に帰せ」

「陛下。エレーヌ様が、お待ちです」


 静かに語気を強める老女官に、ジスカルは溜息をつくと席を立った。

 オルレア宮に向かうと、エレーヌが玄関に立って待っていた。外套がいとうを着ている。

 ジスカルはいつもと同じく無愛想に言った。


「帰るのだな」


 エレーヌはニコリと微笑んだ。


「はい。一度ひとたび、帰ろうかと思います」

「……一度ひとたび?」


 怪訝けげんな顔になるジスカルに、エレーヌは頷いた。


「はい。せっかくオルレア宮に来たのに、オルレアを見ずじまいですもの。カーラさんに伺いました。花の時期にはそれこそオルレア宮の名に違わず、見事なくらい咲き誇るそうですね。陛下はご覧になったことありまして?」

「さぁ……咲いていたとしても、気付いてない」

「だったらちょうどいいわ。春になったら、一緒に見ましょう」


 エレーヌが楽しげに話すと、ジスカルは眉を寄せた。


「ここに戻ってくるとでも言うのか?」

「えぇ。戻ってきたいと思っています。ですから、もう一度、迎えに来て下さい」


 真っ直ぐに自分を見つめるエレーヌの瞳に嘘はない。

 ジスカルは戸惑い、動揺を隠すように強張った声で問うた。


「何を言っている?」


 エレーヌのはしばみ色の瞳が、静かにジスカルを見つめる。

 その瞳に宿る温かな光が眩しい……。


「陛下……背高せいたかさん。私、あなたのことが好きです」

「…………」

「愛しているんです、とても」


 ジスカルは固まった。

 かつて、その言葉を言われたことがなかったわけではない。それこそ何度も繰り返し言ってきて、すがく女はいくらもいた。だが、それが真実であろうとなかろうと、ジスカルにとっては何らの意味もなかった。いくら言われようが、ジスカルの凍りついた心が溶けることはなく、自分が彼女らに愛を与えることなどなかったから。


 それでもエレーヌの口から出たその言葉は、ジスカルに奇妙な感情ざわめきを与えた。喉奥にせり上がってくるものを感じて、あわてて唾を飲み下す。ギュッと拳を握りしめ、いつものごとく皮肉げに問いかけた。


「昨日のことをもう忘れたのか? そうでないなら、令嬢はよほどにお人好しであられるようだ」

「もちろん忘れておりません。ひどいことを言われて、大層傷つきました」

「それなのに、私が好きだと?」

「えぇ。あんなにひどいことを言われて傷ついても、あなたを嫌いにはなれなかった……重症ですね、私」


 あきれたように言うエレーヌに、ジスカルは戸惑った。

 さっぱり理解できなかった。

 あまりにも唐突過ぎる告白も、目の前のエレーヌの落ち着き払った態度も。


「その言葉を信用しろと?」

「えぇ、そうです。信じてほしいのです。信じてくださった上で、私を愛して欲しいのです」

「簡単に……言うな」


 言ってからジスカルは途端に気恥ずかしくなった。

 まるで自分がひどく恋愛に不器用な男のようではないか。自分を恋い慕う女など掃いて捨てるほどいるというのに。


 エレーヌは一歩、ジスカルに近寄ると、クスリと微笑んだ。


「確かに、背高さんには難しそうですね。でも、私だって簡単ではなかったんですよ。あなたのご身分だとか、あなたの性格だとか、色々と考えることはあったんです。それでも最終的に辿たどいたのは、あなたが好きだということだけでした」


 エレーヌはさらりと言いながら、ジスカルを見つめる瞳は熱く、真摯しんしだった。


「私は我儘で、強情で、頑固なんです。大それた望みかもしれないけれど、私は自分の好きな人を愛したいし、その人からも愛されたいのです」

「私を……まだ、信じるとでもいうのか?」


 ジスカルが低くつぶやくと、エレーヌは小首をかしげて、またニコリと笑った。


「それは最初に申し上げましたよ。あなたを信じると。私はあのときの自分の気持ちが裏切られたとは思いません。ここに来て ―― 色々あったけれど、来たことは後悔しておりません。ここで背高さんと他愛ないお喋りをしている間、私はとても幸せでした。私にとって、とても大事で、大切な……かけがえのない時間ときでした」

「……だったら、このままいればいいだろう」


 言ってからジスカルはギリッと奥歯を噛みしめた。

 まるで小さな子供のようではないか。今更行くなと駄々をこねている……そんな自分が不快だった。

 エレーヌもまた、そんなふうに感じたのだろうか。フフッと笑ってから、ゆるゆると首を振った。


「私は私の気持ちを確かめました。だからあなたに告白したのです。ですから今度は、背高さんがご自分の気持ちと向き合ってください」

「私の気持ちが何だというんだ? お前はさっき私に愛を乞うていたろうが」

「乞うたからといって、手に入るわけでもないですし、そもそも手に入れるものでもないでしょう?」


 屈託なく言うエレーヌに、ジスカルは昨日までの自分をかえりみてじた。

 彼女を無残に傷つけて、身も心も奪い取ろうとしていた自分が、あまりにもちっぽけでくだらない存在に思える……。

 目の前に立つ女性はかごの中の鳥ではない。いっそ永遠に捕まえることなどできない、晴れ渡る青空そのものだった。


「オルレアの咲く頃に、迎えにいらしてください。お待ちしております」


 深々とお辞儀して、エレーヌはオルレア宮を後にした。


 ジスカルは黙って、去りゆくエレーヌを見送ったのち、しばらくその場に立ち尽くした。


 王宮で一番小さいはずの宮殿が、冷え冷えと広く感じる。

 寂寥せきりょうに沈む心を持て余し、ジスカルは小さく息を吐いた。


「籠の鳥は……私か」


 ボソリとつぶやいた声が、誰住むこともなくなった小さな離宮の中で、虚しく響いた。…………



*** ** ***



 その後、ジスカル王がエレーヌ嬢を迎えに行ったのかどうか……? というところで、この話はひとまず語ることを終える。

 いずれ二人が共に生きる道を選ぶのか、多難なる先行きを考えて別れる道を選ぶかは、まだようとして知れない。

 今はただ、それぞれに歩み始めた二人を見守ることにして、作者はひとまず筆をくことにしよう。



【Fin】

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オルレアの咲く頃に ~恋をあきらめた病弱令嬢、思いきって残虐王に告白します!~ 水奈川葵 @AoiMinakawa729

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