19.エレーヌの望み

 窓際の椅子に腰かけて、ぼんやりと窓向こうの闇を見つめるエレーヌに声をかけてきたのはカーラだった。


「……カモミールティーでもお持ち致しましょうか?」


 眠れぬエレーヌのために勧めてくれているのはわかったが、今のエレーヌは自分の体調を気にかけている場合ではなかった。


「カーラさん。国王陛下は、何をお考えなのでしょう……?」


 ポツリと尋ねたエレーヌに、カーラは眉をピクピクと動かしてから、ひどく苦しげな顔になった。


わたくしめがすべてを申し上げることは出来ませぬ。ただ陛下には、思い返すことも忌まわしい過去がおありになる。そのせいで、ひどくつらい思いを抱えておいでなのは、確かなことにございます」


 淡々と言いながら、カーラの表情は悲痛であった。おもむろにエレーヌに頭を下げて告げる。


「カーラさん?」

「……セヴラン卿より、明日あす、お嬢様をフラヴィニー伯爵家に返す旨のご連絡がございました」

「そんな……」


 エレーヌは愕然となった。

 さっき、もし家に帰るのであれば、伯爵領を焼け野原にすると言ったばかりであるというのに。

 エレーヌは頭をおさえた。


「いったい、何がしたいの……?」


 ここに来てから、いや、いきなりやって来て有無を言わせず馬車に乗せられたときから、ずっと彼の考えていることがわからない。エレーヌ自身を求めていたというには、彼の言動はあまりにも残酷すぎる。


「色々と思うところはおありになるでしょうが、このまま伯爵家に戻られるほうが、お嬢様にとってはよろしかろうと存じます」


 カーラの言葉に、エレーヌは泣きそうになった。


「どうして? 私は今さっき、陛下に戻ったら領地を焼き打ちにすると脅されたばかりなのに!」


 カーラはその言葉にゆるゆると首を振った。


「そのようなことにはなりません。いつもの如く、意地悪を仰言おっしゃったのでしょう。気になさる必要はございません。お嬢様は帰って……どうか向後こうごつつがなくお過ごし下さいまし」

「どうしてあなたも陛下も、言っていることと、真逆の顔をなさるのかしら? 私に戻れと言っておきながら、まるですがるように私を見るじゃないですか」


 エレーヌが責めると、カーラは軽く息を呑み、沈痛ちんつうな面持ちでつぶやいた。


「申し訳ございません、エレーヌ様。私も少し……夢を見てしまったようです」

「夢?」

「あの御方の傷つき果てた魂が救われることもあるかと……。あなたと過ごしておられるときの陛下は、とても穏やかで、嬉しそうでいらっしゃったので」


 エレーヌはまじまじとカーラを見つめた。いつもの鹿爪らしい表情はなく、今はただ悲しげに沈んでいる。


「……もう寝ますから、一人にしてください」


 エレーヌが告げると、カーラは再び深々とお辞儀して出て行った。



  ―――― 出て行くがいい……



 切り捨てるように言いながら、ジスカルの顔はひどく寂しげだった。

 まるで置き去りにされた子供のように。


 エレーヌは泣きそうになるのをこらえ、必死に考えた。

 一体、ジスカルは何を考えているのだろう?

 どうすれば、皆にとって幸せな答えにたどり着けるのだろう……?


 ドクドクとまた心臓が耳障りな鼓動を響かせる。落ち着かせるようにエレーヌは胸を押さえ、祖母の姿を思い浮かべた。

 三年前に亡くなるまで、祖母はエレーヌにとって最も良き理解者であった。彼女はエレーヌの様々な悩みや疑問を聞いてくれたが、答えを押しつけることはしなかった。ただ、いつも前を向いて生きていくための道標みちしるべを示してくれた。


「お祖母ばあ様、教えてください。もう私は……死にたくなってしまいそうです」


 最も望まない死が、忍び寄る気配がする。

 それくらいエレーヌにとって、この状況は滅茶苦茶で、理解不能だった。もう何を信じて、なんのために生きればいいのかもわからない。

 硝子ガラスのようになったエレーヌの瞳に、闇を抜ける流れ星が映った。



『エレーヌ。人の気持ちなんて、結局わかりっこないんだよ』



 祖母が耳元で囁いた。

 不意に、少女だったエレーヌの頭を撫でながら語ってくれた日の光景が浮かぶ。



『自分の気持ちに素直に生きなさい。それでどうにもならなかったとしても、それは間違いなくお前の人生さ……』



 涙が頬を伝った。

 じんわりと祖母の言葉が、罅割ひびわれたエレーヌの心に沁みこんでゆく。


「私……は……」


 自問自答しながら、エレーヌは少しずつ自分の気持ちを辿たどっていった。

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