最終話   婚約者はカクレブサー

 名護武琉の最初の印象は、飄々とした野生児だった。


 南海の漁師を思わせる赤銅肌に色素が濃い黒髪。


 決して二枚目とは言えないが不思議と人を惹きつける魅力。


 それなりに鍛えていると思われる肉体には気づいていたが、まさか近代空手の礎ともなった古流空手を修得していたとは思わなかった。


 しかし、やはり信じないわけにはいかない。


 目を閉じなくとも旧校舎での仕合いは今でもまざまざと蘇ってくる。


 近代空手と古流空手の凄まじい闘いのすべてが。


 試合で効率よく相手を倒すために研磨された近代空手を使う秋兵は、スピーディーな突きと膝のバネを最大限に利用した華麗な蹴り技が多く見受けられた。


 傍目から見ていても凄まじい威力を伴った攻撃だということは手に取るように分かったものだ。


 一方、そんな攻撃を後の先で捌いていった武琉も相当な技量だった。


 相手の腕に絡みつくような独特な捌きを使い、予想を遥かに超える速度と威力を伴った上段廻し膝蹴りに対して首を捻ることで〝いなす〟高度な防御技術。


 丸一日経った今でも目蓋の裏に焼きついて離れない。


 高度な技術の応酬が繰り広げられた中、羽美が最も目を見張ったのは武琉が最後に繰り出した一発の突きであった。


 相手の身体に拳を密着させて放つ特殊な突き。


 常識から考えれば身体に拳を密着させた状態で威力のある突きを打てるはずがない。


 踏み込みや腰の捻転、肩や手首の返しなどの全身運動の末に放つ突きに体重を乗せるのはある程度の距離が必要なのだ。


 だが、武琉は近代空手の常識を見事に覆す突きを放った。


 古流空手では〝裏当て〟、中国拳法では〝浸透勁〟などと呼ばれる、突きの衝撃を筋肉や骨のみならず体内の臓器にまで通す危険な技が存在する。


 もしかすると武琉はそれに酷似した突きを放ったのではないか。


 そうでなければ道場通いを止めていたとはいえ、フルコンタクト空手で鍛え抜いていた秋兵が一撃で地面に沈むとは到底考えられない。


「どうやら羽美も武琉さんに対する評価を改めたようだね」


 記憶の再生に耽る羽美に朱音は嬉しそうに言った。


「武琉さんの家は代々古流空手を伝える一族で、沖縄では看板はおろか門弟も取っていないそうなんだよ。それでも武琉さんの家に伝わる空手は何やら特別な空手のようで近隣の住民たちからは半ば守護神のような扱われ方をしているという。まあ、これは武琉さんの父親が沖縄県知事のSPを務めているとか、武琉さんの祖父が戦後の沖縄でアメリカ軍相手に孤軍奮闘したことが大きな要因だと思う。ただ、そういう経緯も含めて名護家に生まれた男子は必ず先祖から伝わった空手を修得するのが慣わしなんだそうだ。また名護家には一風変わった慣わしがあってね。空手を修得した男子は十六歳になると家を出て広い世間の中で自分が修得した空手の技術をさらに飛躍させるとか。妥当な言葉を借りて言えば武者修行かね」


 話を聞いて羽美は眉根をひそめた。


「え~と、つまり名護武琉がうちにきた一番の理由は……」


「もちろん武琉さんの祖父に頼まれたからだよ。彼の祖父とは昔ながらの友人でね、以前からうちの孫が16歳になった暁には是非頼むと言われていたんだ。でも彼を鷺乃宮家に居候させた一番の要因は羽美のためになると思ったからさ。男ヤモメな羽美さんがこれを機に男性へ興味を示してくれればと」


「誰が男ヤモメですか!」


 握り締めていた拳をガラステーブルに叩きつけ、羽美は眼前の相手に向かって吼えた。


 が、敵意を向けられた朱音は涼しい顔で言葉を紡ぐ。


「さすがに男ヤモメは言い過ぎたね。でも、この件を通じて名護武琉という人物の人となりがよく分かっただろう。彼に転校の手続きを取ったとき、私は学園内で羽美のことを気にかけてくれるよう密かに頼んでいた。最初は本当にそれだけだったんだけど、武琉さんは私が考える以上に羽美さんと学園のために尽くしてくれた。まさか生徒会に入会してまで羽美さんの傍にいてくれるとはね」


 本当は自分が強引に彼を入会させたのだが。


 などと野暮なことは口に出さず、羽美は自分に内緒で色々なことを画策していた祖母に舌を巻いた。


 さすが鷺乃宮グループ内で一目置かれている才媛である。


 行動力が半端ではない。


「やはり武琉さんは本物のカクレブサーだったようだね。卒業までという条件とはいえ彼を鷺乃宮家に迎え入れてよかったと思うよ」


 そのとき、羽美は朱音が口にした言葉に反応した。


「そう言えばお祖母様、ずっと聞きたかったのですが」


 絶好の機会と思ったのか、羽美は記憶の片隅に仕舞っていた疑問の回答を求めた。


「そのカクレブサーとはどういう意味なんです?」




 平日の綾園駅は軒並み閑散としている。


 すでに通勤・通学の時間は過ぎているため、3年前に全面改装した駅内には私服姿の大学生や主婦たちの姿が多い。


 そんな中、1人だけ純白のブレザーを着ていた少年がいた。


 場所は改札口の近くに設置されていた綾園市の全体地図が掲載されていた案内板の前である。


「昨日の今日でもう発つのか? あまりにも急すぎる気もするが」


 ブレザー姿の少年――名護武琉は眼前にいる私服姿の少年に話しかけた。


 鷺乃宮学園のブレザーを着ていた武琉とは違い、眼前にいる少年は無地の黒Tシャツの上から茶色のブルゾンを羽織り、やや色落ちしたデニムパンツを穿いている。


 足元には私物が押し込めているのだろう、パンパンに膨らんだボストンバッグが置かれていた。


「別に急じゃないさ。どのみち今週中に退学届けを提出しようと思ってたんだ。何せ晴矢の父親があんなことになったからな」


 武琉の目の前にいる少年は秋兵だ。


 昨日、旧校舎の屋上で武琉と苛烈な死闘を演じたというのに妙に晴々としている。


 憑き物が落ちたとでも言うのだろうか。


 いや、ウチナー(沖縄)的に言えばマブイ(魂)が戻ったと言えるだろう。


「それは本人の口から聞いたさぁ。まさか二階堂晴矢の父親が指定暴力団の若頭だとは思わなかった」


「正確には〝だった〟んだがね。何せ本人は誰とも分からない殺し屋に銃撃されてあの世逝きだ。まあ、その点だけを言えばお気の毒だったけど、晴矢や花蓮に言わせれば渡りに船だったんだろう。ようやくあの父親からすべての意味で開放されたんだからね」


 それも本人の口から聞いていた。


 晴矢の父親は綾園市に拠点を構えていた城山会系の指定暴力団・磯島組の若頭であり、その筋の人間には有名な人物だったらしい。


 曰く、年端もいかない少年少女を薬物で食い物にする外道として。


「事件の概要は派手にニュース報道されていたから誰でも知っている。おそらく水面下で暴力団同士の抗争が始まるだろう。さすがに一般人に被害は出ないと思うが、今後ますます薬物の流通が激化するのは間違いない」


 武琉は淡々と告白する秋兵の言葉を黙って聞く。


「だから僕は綾園市から出る。僕が仕入れたマリファナを〈L・M〉に製造していた磯島組があんなことになったんだ。今後は足元を見られるばかりか下手な疑いを持たれかねないからね。ここは早々に高飛びするのが妥当さ」


 聞けば聞くほど勝手な言い草であった。


 薬物に手を出す人間も確かに悪いが、やはり一番悪いのは薬物を世間に流す人間たちだ。


 主に売り捌いていたのは〈ギャング〉たちだったとはいえ、秋兵も罪の償う責任があるのではないか。


 軽くうつむいた武琉を見て秋兵は暗い微笑を浮かべた。


「君が何を言いたいのか手に取るように分かるよ。多くの生徒たちに被害を与えた僕が自分の都合で消えるのが不服と言うんだろう?」


 武琉はゆっくりと顔を上げた。


「だから僕はすべてを捨てて国外へ出るよ。幸い祖父が中国で貿易商を営んでいてね。前もって中国へ国外逃亡するために色々と相談していたんだ。本当ならばもう少し先になるかとも思っていたんだけど晴矢と花蓮が何かと急がせるものでね。だったら最後に〈ギャング〉と派手に決別して学園を去ろうとしたのさ」


「そこに羽美と俺が割り込んだわけか?」


「そういうこと。でも屋上で君に言ったことは嘘じゃないよ。赤松公園で出会ったときや真壁会長を素手で鎮静化させたときのことは忘れない。ましてや旧校舎の屋上での仕合いは二度と忘れないだろう」


 ふと秋兵は虚空を見上げて遠い目になる。


 釣られて武琉も秋兵が見つめている視線の先に顔を向けてしまったが、クリーム色の壁に取り付けられた丸時計が見えるのみ。


 丸時計の長針と短針は、午前10時20分を指し示していた。


「そろそろ行くとしよう。先に大阪へ向かった晴矢たちと合流しないと」


 武琉の肩を軽く叩き、ボストンバッグを片手に改札口へ向かう秋兵。


 そんな秋兵を咄嗟に武琉は呼び止めた。


 最後にずっと疑問だったことを本人に訊こうとしたのだ。


「秋兵は何で麻薬に手を出したんだ? 単なる好奇心や金のためじゃないんだろう?」


 秋兵は顔だけを振り向かせ、ふんと鼻で笑った。


「生憎と君に教える義理はない……と、言いたいところだが僕の口からは話したくない。どうしても知りたいなら羽美か羽美の祖母である理事長に訊けばいい。多分、僕が麻薬の売買に手を染めた理由を知っているはずだ」


 それだけ言うと、秋兵は首を傾げた武琉にぼそりと呟いた。


「最後に僕が言えた義理じゃないが、麻薬には手を出さない方がいいよ。よくも悪くも薬物が与える影響は自分を超えて周囲に感染する。愛しい人間がいるのなら尚更だ」


 秋兵は顔を戻し、軽く右手を上げた。


「僕が君に言いたいのはそれだけだ。じゃあ、せいぜい羽美を幸せにしてあげてくれ。ウチナー(沖縄)からきた空手家……いや、君はどちらかと言えばカクレブサーかな?」


「カクレブサーとは褒め過ぎやっさぁ」


 苦笑交じりに答えたときには、秋兵はすでに改札口を通り過ぎるところだった。


 そして彼の言葉を信じるならば、秋兵は貿易商の祖父の力を借りて晴矢や花蓮とともに中国に渡るのだろう。


 二度と日本に帰らないという決意を抱きながら。


「さて、そろそろ俺は学園に帰ろうかな」


 大阪へと向かう秋兵を見送った武琉は、学園に到着する頃には三時限目に突入するだろうなと考えながら歩き始めた。



 古来より、沖縄では唐手(空手)家のことを武士と呼んでいた。

 日本の武士とは違い刀は持たず、素手素足を極限まで鍛え抜いた誇り高き唐手家。

 そんな唐手家たちは普段は野良仕事などに従事し、近しい人間にも己が唐手を修練している事実を一切教えなかった。けれども唐手家たちはいざ事が起こると、秘匿していた唐手の技を用いて大儀を為した逸話が数多く残されている。

 そして当時の沖縄に住んでいた住民たちは大儀を為したことに見返りを求めず、ただ己の信念と義侠心のために技を振るう唐手家――武士たちを賞賛と尊敬の念を込めて「隠れ武士カクレブサー」と呼んだという。



 〈了〉


 ================


【あとがき】


 最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。


 主人公たちの人生はまだまだ続きますが、物語自体はここで幕引きとさせていただきます。


「面白かった」や「次回作に期待」と思われた方はフォローや★★★などで応援してくれると嬉しいです。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

【完結】婚約者はカクレブサー ~ただの居候だと思っていた少年は、実は最強の〇〇使いの婚約者でした。そして学園内で起こる凶悪事件を知力と武力で容赦なく解決する模様~ 岡崎 剛柔(おかざき・ごうじゅう) @xtomoyuk1203

現在ギフトを贈ることはできません

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画